旧制高校 寮歌物語(23)台湾に息づく日本の教育  喜多 由浩(文化部編集委員)

昨年の8月5日から毎週日曜日、産経新聞が「旧制高校 寮歌物語」を連載している。執
筆は、文化部編集委員の喜多由浩(きた・よしひろ)記者。昨年、「歴史に消えた唱歌」
(全14回)を連載して好評を博した。その第2弾が「旧制高校 寮歌物語」だ。

 1月6日付の第22回では台北高校出身の李登輝元総統を取り上げ、その全文を本誌でも紹
介した。1月13日付の第23回の冒頭に芝山巌事件のことが紹介されている。

 この事件で、芝山巌学堂の6人の教師が土匪に惨殺されるが、最年長だった楫取道明(か
とり・みちあき)もその一人で、楫取は本会の小田村四郎会長の祖父。その縁で本会設立
時から副会長として関わり、現在は阿川弘之・初代会長の後を継いで第2代会長を務めてい
る。

 楫取の父が群馬県令(知事)や元老院議官、貴族院議員などを務めた楫取素彦(かと
り・もとひこ)で、吉田松陰の妹を夫人としている。道明は次男だった。

 非命に斃れた「六士先生」と呼ばれる6人の教師は、楫取道明、関口長太郎、中島長吉、
桂金太郎、井原順之助、平井数馬。

 本誌でもお伝えしたが、一昨年11月、愛知県岡崎市出身の関口長太郎の生誕150年に際
し、岡崎市在住の杉田謙一氏ら有志が「のご生誕を祝う会」を初開催するとともに慰霊顕
彰している。

 芝山巌に遊歩道などが整備されたこともあって、地元の小学生などが「台湾教育の聖
地」としてよく訪れているが、最近は日本からのツアーでも「六氏先生墓」を訪れて参拝
するようになっている。


旧制高校 寮歌物語(23)台湾に息づく日本の教育 喜多 由浩(文化部編集委員)
【産経新聞:平成25(2013)年1月13日】

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130113/edc13011309550002-n1.htm
写真:旧制高校の教育について語る台北高同窓会会長の辜寛敏氏=台北市内

◆再建された「六氏先生」碑

 『芝山巌(しざんがん)事件』(別項)のことは日本人よりも台湾人の方がよく知って
いる。

 日清戦争で台湾の領有権を得た日本は早速、教育制度の整備に取りかかった。1895(明
治28)年、台湾総督府学務部長心得に就任した伊沢修二(1851〜1917年、「唱歌の父」と
しても知られている)は近代教育制度を整備するため、台北北郊の丘陵(芝山巌)に学務
部を移し、台湾人子弟を対象とした学堂を開く。中島長吉ら6人が渡台し、教師(学務部
員)となった。

 だが、統治開始翌年の正月、伊沢が日本へ一時帰国中にショッキングな事件は起きてし
まう。事件を悼み総督府は芝山巌に当時の首相、伊藤博文が揮毫(きごう)した「学務官
僚遭難の碑」を建て、後には6人の教師(六氏先生)を祭る芝山巌神社を設けた。毎年2月1
日の芝山巌祭には、小学生らが参拝に訪れる習わしになっていたという。

 戦後、大陸から台湾に乗り込んできた国民党政権によって、神社は打ち壊され、碑は倒
され赤ペンキで汚された…。ここまではよくある話である。ただ、台湾の人々は、近代教
育をもたらした日本人の功績を忘れてはいなかった。長いときを経て学堂の後身にあたる
地元小学校の同窓会らの尽力によって、碑は再建され、六氏先生のお墓も整備されたので
ある。

 ラジオ台湾のキャスター、潘扶雄(はんふゆう)(1933年〜、旧制台北二中─台湾師範
大学)は、芝山巌祭に行ったり、「六氏先生」の話を母親から聞かされたことをよく覚え
ている。「私の先祖は六氏先生から最初に教えを受けたひとりでした。先生方は台湾に略
奪に来たのではなく教育のために来たのです。『功績をたたえてどこが悪い』という気持
ちが台湾人には強かった。碑の再建を申請し、何度却下されても諦めませんでした」

 小さな学堂からスタートした日本の教育は、台北だけを見ても統治2年後には早くも最初
の小学校を開設。1931年には小学校・公学校19校、児童数は約2万5千人に達した。上級学
校では中学校、高等女学校、実業学校、医学専門学校、師範学校、そして、台北高等学校
(1922年設立)、台北帝国大学(同28年)をつくり、台湾人にも高等教育への門戸が開か
れたのは前回書いた通りである。

 潘扶雄は言う。「日本のことがタブーだった時代も台湾の人々は、日本がつくった教育
制度について『感謝』の気持ちを忘れなかった。それを最初にもたらした『六氏先生』の
ことは、台湾のインテリなら、まず知らない人はいませんよ」

◆台北高の歴史示す資料室

 旧制台北高の校舎は現在、台湾師範大学となっている。潘扶雄が卒業した学校だ。2009
年6月、師範大の図書館に「台北高等学校資料室」が開設された。

 日本語版のパンフレットにはこうある。≪台北高等学校の校風であった『自由自治』の
精神は、台湾師範大学が定めた学訓『誠正勤樸』に受け継がれ、今も昔も時代の先端を担
う学生の精神的支えとして輝きを放ち続けています≫。つまり、校舎だけでなく、台北高
の精神も引き継いだというわけだ。

 資料室には、台北高時代の写真や資料がところ狭しと飾られている。≪卒業生の中に
は、台湾と日本における発展と交流に多大な貢献をした人々が、多数います≫として、元
総統の李登輝や作家の邱永漢など著名な卒業生の顔写真で壁が埋められ、黒マントに白線
帽をかぶった生徒の人形まである。

 かつて日本が統治した国や地域で、こんな資料館があるのは、おそらく台湾をおいて他
にないだろう。

◆「自由の鐘」を復元

 師範大には1982年に破損するまで、かつて台北高で使われていた「自由の鐘」があっ
た。高等科設置時の台北高校長、三沢糾(ただす)(1878〜1942年)がアメリカの農場で
見つけ持ち帰った大小2つからなる洋風の鐘で、1920年代半ばに設置されている。「カラ
ン、コロン」という心地よい鐘の音は授業の開始、終了時に響き渡り、台北高関係者だけ
でなく、周囲の住民たちにも長く親しまれてきた。

 昨年秋、台北高の90周年を祝う記念大会に合わせて、「自由の鐘」を復元し、同校開校
日の4月23日にお披露目されることが明らかにされた。OBらが資金を集め、富山県の鋳造
会社に発注し、製作中。その中心となっているのが、台北高同窓会会長である辜寛敏(こ
かんびん)(1926年〜)だ。台湾を代表する実業家のひとりで、“華麗なる一族”として
も知られている。

 父親の辜顕栄(こけんえい)(1866〜1937年)は実業家、政治家で、日本統治時代、台
湾人唯一の貴族院議員。異母兄の辜振甫(こしんぽ)(1917〜2005年)は実業界で活躍、
政府の重要なポストにも就いた。長男のリチャード・クー(1954年〜)は著名なエコノミ
ストである。辜寛敏自身は日本で長く、台湾の独立運動にかかわった。

 辜寛敏は、1944(昭和19)年、旧制台北三中から台北高に入っている。「戦争の時代で
したが、台北高の校風は、本当に自由でおおらか。中学時代が厳しかったから、『こんな
に自由でいいのか』とびっくりしたぐらい。街の人たちもとてもよくしてくれた。(台北
高の)帽子をかぶっているだけで信用が違う。兄貴が高等学校に通っている女学生たちに
とっては自慢のタネでしたね」

 2年に進級するとき、辜寛敏は図らずも、寮に入ることになった。授業の態度などが悪い
として「落第」と判定されたところを、万葉学者である教授の犬養孝(1907〜98年)が
「態度が悪いだけなら寮で人格を磨けばいい」として、入寮を条件に進級を認める“助け
舟”を出したからである。

 「悔しくて入寮を断ったボクに犬養先生は珍しく怒ってこう諭してくれた。『2年で軍隊
に行くと見習士官になれるが、1年のままなら兵隊だ。軍隊でそれがどんな意味を持つのか
分かるだろう』ってね。でも寮に入ってよかったですよ。やはり高等学校の本当の雰囲気
は、寮に入らないと分からない。寮歌もよく歌いました」

 ただ、台北高が廃校になってからすでに70年近い。日本と同じく、台湾の若い世代にと
っても旧制高校の存在はほとんどなじみがない。なぜいま、旧制高校の教育などが見直さ
れようとしているのだろうか。

 辜寛敏はこう思う。「戦後、日本の教育は『平等』を柱とするアメリカの制度をそのま
ま取り入れてしまったが、社会の期待に応えるためには平等だけではダメ。国を動かすエ
リートを養成せねばならないが、今のリーダーは“粒が小さく”感じられて仕方がない。
『自発的な勉強』も高校で学んだが、今は試験に受かるための勉強ばかり。教育は『技
術』ではなく、『人間教育』が大切。日本も台湾も課題は同じですよ」

                =文中敬称略(台北で 文化部編集委員 喜多由浩)
                
                  ◇

【用語解説】芝山巌事件

 日本が台湾統治を開始した年の翌1896(明治29)年正月、台湾総督府学務部員の6人の教
師らが土匪(どひ)に襲われ、惨殺された。まだ日本統治への反発が強かった時代のこと
で犯人は、抗日分子であるとか、金目当ての強盗ともささやかれたが、真相は定かではな
い。事件は台湾独自の唱歌『弔殉難六氏の歌』や『六氏(士)先生』に歌われている。


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