様を招く「招魂遷座祭」が行われ、翌12日にはご鎮座祭も行われました。中央通信社が報道してい
るので下記に紹介します。
高士神社再建の話は、NHK「JAPANデビュー」裁判が始まって1年後の平成23年(2011
年)5月、高池勝彦・弁護団団長や尾崎幸廣・弁護士、本会の柚原正敬・事務局長らが原告となっ
た高許月妹さんや通訳をつとめた陳清福氏への聞き取り調査のために訪問した折、陳清福氏の案内
で土台のみ残る高士神社跡を案内されたときにお願いされたことが発端でした。
柚原事務局長から神社再建の話を聞いた、本会会員でもある神職の佐藤健一氏は宮大工の家柄で
もあり、日本から何度か高士村に通って?士神社再建が村の総意であることを確認、それからお宮
の建造に取り組みました。3年前のことです。高士村の人々の夢がようやく叶い、8月11日の「招魂
遷座祭」に至ったという次第です。
式典には高士村の李徳副・村長をはじめとする人々ばかりか、屏東県政府文化処の呉錦發処長や
牡丹郷の陳英銘郷長なども駆けつけ、心から喜んでいただいたようでホッとしています。
NHK「JAPANデビュー」裁判の原告で、来日してNHKの不当を訴えた李文来氏(医師)
や華阿財氏(元牡丹郷長)ももちろん式典に参加しました。また、いまも高士村に住む高許月妹さ
んも式典に参加、村の人々と和服を着て踊りを披露されていました。
12日の午前中に「御鎮座祭」という祀りを行って一通りの神事を終え、佐藤氏やチャンネル桜の
カメラマンなどと左営に向かう途次に昼食で立ち寄ったときのことでした。日本に留学経験がある
店の女性店主がわれわれが神社再建に関わったメンバーだと気づき、果物を差し入れてくれ、記念
写真を撮るという嬉しいこともありました。
神社ということを台湾の人々はどう思っているのだろうという一抹の不安もありましたので、こ
の一事で払拭することができました。
なお、産経新聞が神社再建に至る経緯の詳細を報じていますので、別掲にてご紹介します。
日本統治時代の神社、日本人の尽力で再建 李登輝氏もお祝い
【中央通信社:2015年8月12日】
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201508120008.aspx
写真:再建された高士神社の前で(右2:陳清福氏、右3:華阿財氏、右4:呉錦發・屏東県政府文
化処長、右5:佐藤健一氏、右7:陳英銘・牡丹郷長、右8:李徳副・高士村村長、右9:柚原
正敬・日本李登輝友の会事務局長)
(台北 12日 中央社)日本統治時代に神社が存在していた南部・屏東県牡丹郷高士村で11日、神
職の佐藤健一さんが約1000万円をかけて再建した新しい社が披露された。式典では台湾原住民(先
住民)のパイワン族の伝統的な舞踊や、佐藤さんによる神事が行われ、李登輝元総統からもお祝い
の書が村側に贈られた。台湾の複数メディアが報じた。
高士村の人々は第2次世界大戦時、日本兵として戦地に赴く際に「もし生きて帰れなかったら、
神社で会おう」と誓い合ったとされ、命を落とした英霊たちが祭られていたという。日本の敗戦
後、国民党政権が来台すると神社は荒廃し、石垣の一部を残すのみとなっていたが、住民の中には
再建を望む声が根強くあった。
高士村の李徳福村長などから事情を聞いた佐藤さんは、東日本大震災に対する支援など台湾に対
する深い感謝の気持ちから、新しい社を制作し寄贈することを決めたという。再建された社は高さ
約2メートル30センチで、建材にはヒノキが使用されている。
(編集:杉野浩司)