来日していた謝長廷・元行政院院長はすべての日程を終え、昨日夕刻、成田発のチャ
イナエアーライン101便にて帰台した。
成田空港では許世楷・台湾駐日代表処代表、易錦銓・日本長昌友之会代表委員、柚原
正敬・日本李登輝友の会事務局長、訪問先で歓迎した台湾維新を支持する日本人有志の
会のメンバーなどが見送りに馳せ参じた。
18日は日本外国特派員協会において日本語で講演を行った後、平沼赳夫会長ら日華議
員懇談会と懇談、また森喜朗元首相と懇談。最終日の昨19日は虎ノ門パストラルにて記
者会見を行った。
謝長廷氏は今回の来日で日本人に何を最も訴えたかったのか──。それをよく現して
いたのは、講演草稿を準備して日本語で行った初日の京大講演だろう。それを、今号から
3回に分けてご紹介したい。
因みに、この京大講演は台湾留日京都大学校友会の主催により、本会理事でもある大
田一博氏が推進役となって、12月16日、京都大学医学部創立百周年記念施設の「芝蘭会
館」で行われた。 (編集部)
日台関係強化への道(1)─私と京都・日本と台湾の歴史的絆
台湾元行政院院長 謝 長廷
■私と京都
みなさま、こんばんは。謝長廷です。今回日本に参りまして、この場をお借りしてこ
うして講演ができますことを、非常にうれしく、また光栄に思います。特に大田先生、
河上先生、それから柏先生におかれましては、今回の講演実現に向けて御尽力を賜りま
したこと、この場をお借りして厚くお礼を申し上げたいと思います。
早速ですが、本題に入りたいと思います。私は元号でいえば昭和47年に台湾から京都
大学に留学に参りました。最初は南禅寺付近にございました「暁学荘(あかつきがくそ
う)」という寮に住んでおりまして、そこから市電に乗って京都大学に通っておりました。
時には吉田山を越えて大学に通ったこともありました。今となっては非常に懐かしい思
い出です。
京大に留学したことは、私に大きな影響を与えました。政治家になったことも、日本
で知ることになった二つの歴史的な出来事が、私にきっかけを提供したからです。
その一つは1933年の京都大学事件、いわゆる滝川事件です。この事件を初めて知った
のは黒沢明監督の映画『わが青春に悔なし』によってでした。この事件は、自由や民主
主義というものが天から与えられるものではなく、大きな代償を払って勝ち取ってゆく
べきものだということを教えるものでした。もう一つの大きな出来事とは、明治維新で
す。まさにここ京都こそは、明治維新の大きな舞台となり、維新の志士たちのドラマが
展開された場所でもあります。私が京都におりました時期には、この点について強い印
象と感銘を受けました。一つの国が近代化を成し遂げる際には、一人のカではなく、多
くの人の団結とコンセンサスが必要で、それによって国というものを根本的に変えられ
る、ということも教えられました。
私は現在台湾の総統候補として「台湾維新」という考え方を提案しておりますが、こ
の考え方は、まさに「明治維新」からインスピレーションを得たものなのです。
明治維新といえば、ちょうど日本に来る前の11日に、前総統である李登輝さんとお目
にかかり、明治維新についてご教示を受けました。李登輝さんは私の京都大学の先輩に
あたり、おそらく世界で唯一の京大出身の大統領経験者でしょう。李登輝さんは1996年
に日本の友人の方から坂本竜馬が書いた『船中八策(せんちゅうはっさく)』を贈られ、
深い感銘を受けたとおっしゃっていました。
話はまた元に戻りますが、私が大学生だった時代には、台湾人の留学先といえば普通
はアメリカでした。そのため、多くの人からなぜ日本留学を選んだのか日本にしたのか、
と質問されます。それは、私の父や年配の方々の影響です。彼らは日本統治時代の教育
を受けて日本に対して敬意と愛着を感じていました。それが、間接的に若かった当時の
私にも影響を与えたのです。
■日本と台湾の歴史的絆
ここで台湾人が日本に親近感を覚えていることについて申し述べておきたいと思いま
す。台湾で有名なビジネス雑誌に『遠見』というのがありますが、この雑誌が昨年台湾
人の外国に対するイメージについてのアンケート調査を行いました。その結果、好感度
が一番高い国家が日本だったのです。これは非常に重要なことだと思います。
私が考えますに、日本と台湾は歴史的、感情的に深い絆を持っております。それだけ
でなく、両国には利害と平和の問題においても密接な関係があります。たとえば、地理
的に見ても、両国は太平洋周辺における同一ライン上に存在しております。そこで私た
ちは、両国の友好関係、お互いの友情を大切にし、さらに緊密に協力し、理解しあって
ゆくことが必要であると考えます。実際、日本と台湾の間には、経済的、文化的に緊密
な相互交流がありました。お互いに相手の国を訪れる人の数は、それぞれ年間のべ110万
人を超える規模になっています。
しかしながら、人と人との活発な往来に比べまして、日本の台湾の政治・社会に対す
る理解は、まだまだ不足しているものがあると、不躾ながら申し上げさせていただきた
いと思います。台湾は戦後1949年に国民党政権が戒厳令を実施してから1987年に解除す
るまで38年間も戒厳令が敷かれてきました。これに対して現在与党となっている私ども
民進党は、1986年に結成されてから、国民党独裁政権に対抗して着実に成長を続け、20
00年にはついに政権を獲得するにいたりました。私ども民進党政権になってから、台湾
では大きな変化が生まれました。それは、われわれは中国人ではなく、独自の台湾人で
ある、という意識が強まったことです。最近の意識調査を見ましても、自分が中国人で
はなく、台湾人であると考えている人は、70%を超えており、自分が中国人だと考える
人はわずか15%になっております。民進党が政権をとった7年前には台湾人であるという
人は30%あまりだったことを考えると、まさに隔世の感です。
■台湾は中国ではない
この「台湾人という意識」が強まった理由としては二つ考えられると思います。ひと
つは台湾の民主主義が進んだ結果であり、もうひとつは台湾人がミサイルなどの軍備を
増強して台湾を威嚇している中国のありかたに反感を強めつつあるからです。
中国は千発以上のミサイルを台湾に向けており、台湾に対して法律戦、心理戦、電子
戦争などさまざまな手段で攻撃をしかけております。さらに中国は国際社会で台湾を孤
立させ、台湾が国際機関に加盟するのを妨害しております。その典型が人々の健康に強
く関係するWHO=世界保健機関の加盟問題です。中国による台湾に対する妨害行動は台
湾の国家アイデンティティの発展に重大な影響を与えております。
実際、台湾社会では国連やWHOなどの国際機関への参加を求める声がますます強ま
っているのです。
もちろん台湾としては、中国との間で平和的な対話を進めてゆきたいと願っておりま
す。ただしそれは無条件ではなく、あくまでも台湾の独自性、主体性を守るという前提
で、いつでも対話に応じたいということなのです。私が総統に当選した暁には、中国が
台湾の確固たる民意を直視せざるをえなくなり、それが台湾と中国との対話に発展する
きっかけになるものと確信しております。 (つづく)