懐かしの『跳舞時代』 黄金の台湾語流行歌時代

台湾人による台湾語流行歌が流行った1930年代の台湾を活写

【駐日代表処のホームページより  http://www.roc-taiwan.or.jp/index.html

 いま台湾で、あるDVDが話題を呼んでいる。「公共電視台」(公共テレビ局)
製作の『跳舞時代』(一時間五十分)である。昭和初期、日本の流行歌がドッと
台湾に移入し、巷(ちまた)に氾濫した。同時にそれは、台湾人による台湾語流
行歌が芽生えた瞬間でもあった。
 一九三三年(昭和八年)、「古倫美亞唱片公司」(コロンビアレコード)が台
北に支社を開設した。同社は日本の流行歌を移入するよりも、台湾で台湾の歌を
発掘することに力を入れた。そこに作曲家の?雨賢、作詞家の陳君玉、周添旺、
美人歌手の愛愛や純純らが一世を風靡した。その中に生まれたのが、今日にも歌
い継がれている台湾語流行歌「月夜愁」「河邊春夢」「雨夜花」などである。そ
れらは平易な歌詞のなかにも台湾の心を唄ったものであった。当時の台湾青年男
女はそれらに酔いしれ、この一時期を「維新世界、自由恋愛」の時代と今の世に
伝える。
 だが、その時代は短かった。大陸での戦火は拡大し、大東亜戦争へと進むにつ
れ、台湾語による流行歌は激減し、ラジオから流れるのは「去了海邊」(海行か
ば)になり、「雨夜花」の歌詞も「君に捧げた男の命、なんで惜しかろ御国の為
に」といった替え歌に変わっていった。そして一九四五年(昭和二十年)五月三
十一日、台北大空襲のなかにコロンビアの社屋は焼失し、さらに八月十五日の玉
音放送を境に、台湾から台湾語の歌が消えた。
 当時のレコードの多くは空襲で失われ、現存するものは少ない。だが音楽家で
ある李坤城氏が台湾全島を歩き、旧家に秘蔵されていたもの、防空壕で辛うじて
原型をとどめたものなどを収集し、また研究も重ねた。その枚数は三千五百枚に
のぼった。それらを元に編纂されたのが『跳舞時代』である。
 「跳舞時代」とは、十数年で終わった台湾語流行歌黄金時代を表現した言葉で
ある。画面にはまずジャズの「楽しい我が家」を背景にラッパ式の蓄音機があら
われ、そのターンテーブルには七十八回転のレコード盤が回っている。そこへす
っかり歳を重ねた愛愛と、かつてコロンビアの社員であった五人が往時を語りだ
す。そのころの台北市街、それに郊外であろうか川辺に集う市民たちの姿が映し
出される。流れる曲はいずれも台湾語の歌曲で、会話も台湾語である。歌詞もテ
ロップで流される。そこに当時の台湾を見ることができる。
 日本時代にも決して衰えることのなかった歌仔戲(コアヒ)の、当時のレコー
ドも残っていた。当時のフィルムとともにそれが流され、現在の歌仔戲の俳優が
今昔を語る。まさしくそれらは、思い出多き往時を偲ばせる映像と音楽である。
やがて場面は戦時へと移り、台湾から出征する兵士の隊列が映し出され、さらに
空襲で焼ける台北市街が出てくる。その火炎を背景に、元コロンビアの社員らが、
台北の街とともに社屋の焼け落ちる場面を「江山月影」の歌曲を背景に述懐し、
本編はエンドとなる。
 いま台湾では、中華文化ではなく台湾文化そのものの時代に入ろうとしている。
この意味においても、本DVDの示唆するところは大きい。
 本編に日本語解説版がなく、日本国内で市販もされていないため入手困難だが、
機会ある方には是非お勧めしたい名作である。



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