土場駅と太平山地区の太平山林場の36.4kmを結んでいたのが大平山森林鉄道で、羅東森林鉄道は土場駅から平地に向かうので「平地線」と言われ、土場駅と太平山林場を走る路線は山間部を走るので「山地線」と呼ばれたと言う。木材も人も運搬していた。
しかし、戦後は木材の生産量が低下し、また旅客輸送も道路輸送に取って代わられるようになり、加えて1978年に起きた台風による水害が甚大だったことで、1979年8月をもって廃線のやむなきに至ったという。
近年になり、三星駅と天送[土卑]駅間の運行を復活させようという機運が盛り上がり、昨年春には観光用トロッコ列車が走るようになっている。
今年に入ると大平山森林鉄道を観光鉄道として復活させる動きが出てきて、8月下旬には、台湾政府と宜蘭県政府や関連省庁などが観光鉄道として復活させる方向で合意したそうだ。
ちなみに、三星駅も天送[土卑]駅も三星郷にあり、岐阜県の岐南町(ぎなんちょう)はこの三星郷と交流していて、2016年から河津桜を寄贈している。2015年は5本、翌年も5本だったが、2017年からは三星郷からの要望で一気に40本に増えている。
この河津桜は本会の斡旋によるもので、三星郷公所では、岐南町から寄贈の河津桜を天送[土卑]駅の線路にそって植えていて、大平山森林鉄道を観光鉄道として復活するころには、大きく育った河津桜が車窓から見られるだろう。
—————————————————————————————–太平山森林鉄道、40年ぶり復活の見通し【台湾国際放送:2019年9月5日】https://jp.rti.org.tw/news/view/id/91928
黒煙を上げながら列車が駆け抜ける─。
太平山森林鉄道が、運休から40年近くが経って復活の兆しが出ています。
宜蘭県と中央政府は旧森林鉄道を修復し、観光鉄道として整えるために復活計画費用としておよそ800万台湾元投じる方向で合意しました。中央政府が86%を負担し、残りは宜蘭県が負担します。来年末には企画報告を完成させたいとしています。
宜蘭県工商旅遊処の池騰聯・副処長は、「まず全体の企画を立てる。多くの関係先を入れる時、一貫性がなくなるのを避けるためだ。のちに再建の無駄を引き起こさないようにする。」と説明しました。
かつては全国三大林だった太平山。当時、日本人はヒノキの高い経済的価値に着目して(太平山)森林鉄道を敷設しました。写真からはトロッコを使い、人力で運送している様子が見られます。のちに蒸気機関車が登場し、沿線には10の駅があり、とても賑わいました。しかし、伐採が減り、さらには1978年の台風襲来によって、運休を余儀なくされました。
現在復刻している太平山トロッコは、当時の森林鉄道に沿って運行されています。関係機関は全体企画を通して、森林鉄道の観光振興だけでなく、文化資産も残していきたい考えです。
(編集:中野理絵/王淑卿)