目となる「台湾建国烈士 鄭南榕先生を偲ぶ会」を開催した。
なぜ日本人の私どもが亡くなった台湾人を顕彰するのか。
鄭南榕は、あの戒厳令下の台湾において、蒋介石以来続いてきた中国国民党の圧政に
抗し、公開の場で初めて台湾の独立建国を叫び、あるいは2・28事件の真相究明を求め、
遂には一死をもって台湾に言論の自由をもたらし、民主化を切り開いた先達として、台
湾問題に目覚めた日本人にとってもけっして忘れてはならない存在だからである。
鄭南榕顕彰会会長も務める宗像隆幸氏は、生前の鄭南榕と会っている数少ない日本人
の一人である。本年2月末、台湾の戦後史、そして台湾独立建国運動の軌跡をつづった
『台湾建国−台湾人と共に歩いた四十七年』を出版し、その第3章「台湾の民主化」に
おいて、「壮烈きわまる鄭南榕の自決」という見出しで鄭南榕について触れている。
いまだ鄭南榕について知る日本人は少ない。ましてや、その偉業を知る日本人はさら
に限られている。台湾人の中にさえあの苦難の時代や鄭南榕を忘れた人々が出てきてい
る現在、鄭南榕が自らの命を賭して訴えたことを、台湾の民主化がどうやって生れてき
たのかを思い出すためにも、ここに宗像氏の一文をご紹介する次第だ。
単行本では9ページほどの分量だが、本誌で一挙に掲載するにはいささか長すぎるの
で、3回に分載してご紹介したい。
この『台湾建国−台湾人と共に歩いた四十七年』は名著と言ってよい。李登輝前総統
が懇篤な推薦の辞を書かれるのももっともだ。日台交流にかかわる人々には最善の、そ
して必読のテキストとしてお薦めしたい。
(メルマガ「日台共栄」編集長 柚原 正敬)
壮烈きわまる鄭南榕の自決(2)
台湾独立建国聯盟総本部中央委員 宗像 隆幸
この年の十二月九日に発行された『自由時代』誌に、鄭南榕は許世楷が書いた「台湾
共和国憲法草案」(註35)を掲載した。翌一九八九年一月二十日、高等検察庁は憲法草
案の掲載は叛乱罪容疑に該当するとして、一月二十七日に出頭するよう、鄭南榕に召喚
状を送った。すでに台湾独立の主張が台湾中にあふれていた時代に、検察庁がこの問題
をこれほど重視したのは当時、許世楷が台湾独立建国聯盟(一九八七年に台湾独立聯盟
を改称)の主席だったからかもしれない。一月二十六日、鄭南榕は、「今日から家に帰
らない。自由時代社に寝泊まりする」と言って、籠城した。彼は編集長室に三つのガソ
リン罐を置き、それにライターを貼り付けた。警官が逮捕に来たら、自決する覚悟であ
った。鄭南榕が編集部員に話したことを自分で整理した遺書ともいうべき文章が、『自
由時代』台湾建国烈士・鄭南榕記念特集号(一九八九年四月十六日刊)に掲載されてい
る。彼はその中で、こう語っている。
問…なぜ、喚問に応じないのですか?
答…これは国民党が公権力を乱用して政治的反対者を迫害しているのであり、人民に
は抵抗する権利があることを、台湾人民に知ってもらう必要があると考えました。
問…もし、国民党が強制的にあなたを連行しようとしたら?
答…彼らは私を逮捕することはできません。彼らが逮捕できるのは、私の死体だけで
す。このことを彼らは知っていなくてはなりません。
問…台湾独立の主張は、二・二八事件と関係があると思いますか?
答…相当に密接な関係があります。海外で独立を主張している戦後の若い世代は、ほ
とんどが二・二八の血なまぐさい教訓の影響を受けています。彼らは台湾が独立し
てこそ、台湾人の人権や民主主義が初めて保障されることを明確に認識しています。
問…あなたは一九八七年四月十八日に公開演説で初めて台湾の独立を主張し、その後
一貫して独立を標榜し、新憲法草案を雑誌に掲載しました。これらの行動の背景に
は、一貫した戦略があったのですか?
答…それ以前は誰も公開の席で台湾独立を主張できなかったので、まずそれを主張せ
ねばなりませんでした。台湾独立の主張が一つの共通認識になったあと、スローガ
ンを叫ぶだけでなく、具体的な憲法草案の出現となったわけです。
問…この島に住んでいる人々の間には(本省人と外省人の間に)、なかなか解消でき
ない「しこり」があります。この問題をどのように解決しますか?
答…国民党の身分証の分類によれば、私は外省人ということになっていますが、私は
一〇〇%台湾人です。私たちはぜひともこの「しこり」を解消しなければなりません。
問…台湾独立はかならずしも民主主義を保障しない、大事なのは民主主義であって、
独立ではない、という意見もありますが?
答…台湾の独立が民主主義を保障するかどうかは、台湾がどのような形で独立するか
にかかっています。私たちは公民投票によって独立を決定することを主張しています。
問…現在の心境は?
答…闘志は高く、心は平和です。
鄭南榕は七十一日間、自由時代社に籠城を続けた。その間に彼を訪ねた数多くの人々
に、彼は決して逮捕されないと、自決の意志の固いことを語った。一九八九年四月七日
午前九時五分、警官隊がビルを包囲して自由時代社に突入しようとしたとき、鄭南榕は
ガソリンを浴びて火を放ち、自決を遂げた。四十一歳であった。
五月十九日、台北市で鄭南榕の葬儀が行われた。参加者は四万人を超え、葬列は五、
六キロも続いた。葬列が総統府に近づくと、総統府は鉄条網で囲まれ、その内側を警官
隊が固めていた。葬儀参加者は総統府を見上げながら、繰り返し「台湾独立万歳!」を
叫んだ。そのとき葬列の中にいた一人の若者が鉄条網に身を投げ、体から真っ赤な炎が
燃え上がった。!)益樺である。彼はガソリンを詰めた袋を体に巻きつけており、それに
火を放ったのだ。鄭南榕に殉じたのである。
もし李登輝総統に少し力があったら、鄭南榕の逮捕に警官隊を向かわせることはなか
ったであろう。鄭南榕と!)益樺の壮烈な死に、李総統の心痛はいかばかりかであったか
察せられる。しかし、当時の彼はまったく無力なロボット総統に過ぎなかったのである。
鄭南榕と!)益樺の壮烈な自決は、敵にも味方にも計り知れない衝撃を与えた。抑圧者
に対しては、自由のために戦っている人々の決意の固さを知らせた。自由を求めている
人々には、「自由か死か」と命を賭けなければ、自由は勝ち取れないことを教えたので
ある。
註34:宋重陽(宗像隆幸)著『台湾独立運動的思想與戦略−為自由而戦』(一九八八年
五月、台湾・南冠出版社)
註35:日本語版の台湾共和国憲法草案は『台湾青年』(第三四〇号、一九八九年二月号
発行)に掲載。
(つづく)
■宗像 隆幸(むなかた たかゆき)
1936年、鹿児島県生まれ。明治大学経営学部卒。1961年、台湾青年社に参加、月刊『台
湾青年』の編集に従事。1985年から停刊する2002年まで同誌編集長を務める。アムネス
ティー・インターナショナル日本支部理事、台湾人元日本兵の補償問題を考える会幹事
を歴任。現在、台湾独立建国聯盟総本部中央委員、アジア安保フォーラム幹事、日本李
登輝友の会理事、鄭南榕顕彰会会長。著書に『存亡の危機に瀕した台湾』(自由社)、
『台湾独立運動私記』(文藝春秋)、『ロシア革命の神話』(自由社)などがある。
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■著者 宗像隆幸(アジア安保フォーラム幹事、日本李登輝友の会理事)
■書名 『台湾建国−台湾人と共に歩いた四十七年』
■体裁 四六判、上製、本文328ページ
■定価 1,890円(税込み)
■発売 2008年2月28日
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