壮烈きわまる鄭南榕の自決(1) [宗像 隆幸]

先般4月6日、日本人3団体で結成する「鄭南榕顕彰会」(宗像隆幸会長)が今年で4回
目となる「台湾建国烈士 鄭南榕先生を偲ぶ会」を開催した。

 そのときの模様は本誌でもお伝えしたが、記念講演は、台湾駐日代表処の許世楷代表
と、日本人として鄭南榕の偉業を顕彰されてきた日台交流教育会の草開省三(くさびら
き しょうぞう)専務理事のお2人だった。

 なぜ日本人の私どもが亡くなった台湾人を顕彰するのか。

 鄭南榕は、あの戒厳令下の台湾において、蒋介石以来続いてきた中国国民党の圧政
に抗し、公開の場で初めて台湾の独立建国を叫び、あるいは2・28事件の真相究明を求
め、遂には一死をもって台湾に言論の自由をもたらし、民主化を切り開いた先達として、
台湾問題に目覚めた日本人にとってもけっして忘れてはならない存在だからである。

 鄭南榕顕彰会会長も務める宗像隆幸氏は、生前の鄭南榕と会っている数少ない日本人
の一人である。本年2月末、台湾の戦後史、そして台湾独立建国運動の軌跡をつづった
『台湾建国−台湾人と共に歩いた四十七年』を出版し、その第3章「台湾の民主化」に
おいて、「壮烈きわまる鄭南榕の自決」という見出しで鄭南榕について触れている。

 いまだ鄭南榕について知る日本人は少ない。ましてや、その偉業を知る日本人はさら
に限られている。台湾人の中にさえあの苦難の時代や鄭南榕を忘れた人々が出てきてい
る現在、鄭南榕が自らの命を賭して訴えたことを、台湾の民主化がどうやって生れてき
たのかを思い出すためにも、ここに宗像氏の一文をご紹介する次第だ。

 単行本では9ページほどの分量だが、本誌で一挙に掲載するにはいささか長すぎるので、
3回に分載してご紹介したい。

 この『台湾建国−台湾人と共に歩いた四十七年』は名著と言ってよい。李登輝前総統
が懇篤な推薦の辞を書かれるのももっともだ。日台交流にかかわる人々には必読のテキ
ストとしてお薦めしたい。

                   (メルマガ「日台共栄」編集長 柚原 正敬)

■宗像 隆幸(むなかた たかゆき)
 1936年、鹿児島県生まれ。明治大学経営学部卒。1961年、台湾青年社に参加、月刊
 『台湾青年』の編集に従事。1985年から停刊する2002年まで同誌編集長を務める。ア
 ムネスティー・インターナショナル日本支部理事、台湾人元日本兵の補償問題を考え
 る会幹事を歴任。現在、台湾独立建国聯盟総本部中央委員、アジア安保フォーラム幹
 事、日本李登輝友の会理事、鄭南榕顕彰会会長。著書に『存亡の危機に瀕した台湾』
 (自由社)、『台湾独立運動私記』(文藝春秋)、『ロシア革命の神話』(自由社)
 などがある。


壮烈きわまる鄭南榕の自決(1)

                 台湾独立建国聯盟総本部中央委員 宗像 隆幸

 台湾の人々の自由を封じ込めている何重もの重い扉を一枚一枚こじ開けるようにして
開いている男がいた。鄭南榕である。一九八四年三月に週刊『自由時代』を創刊した鄭
南榕は、投獄されたり江南のように暗殺されることを恐れてタブーとされていた独裁者
一族の内幕や特務機関の暗躍などを暴露した。彼が死ぬまでの五年間に、『自由時代』
は一年間の発行停止処分を受けること二十七回、その号限りの発行禁止処分を受けるこ
と十六回、それでも休むことなく『自由時代』誌は発行された。停刊処分に備えて彼は、
『郷土時代』、『創造時代』、『台湾時代』など「時代」のついた誌名をたくさん登録
していたのである。だから絶えず誌名は変わったが、発行所の自由時代出版社の名から、
すべて『自由時代』と呼ばれていた。発禁になった『自由時代』でも書店でほしいと言
えば買えたのは、没収されぬよう隠しておいたものを書店に配本したからである。

 鄭南榕は創造力が豊かでさまざまなアイデアを生み出し、それを組織活動化する行動
力の人でもあった。一九八六年の「五一九緑色行動」は、民進党の結成準備に加わって
いた鄭南榕の発案であった。そのために彼は六月二日から翌一九八七年の一月二十四日
まで八ヵ月間投獄され、その間に民進党は結成された。

 出獄するや鄭南榕は、二・二八事件の四十周年を前にして、二月二十八日を平和記念
日とする「二二八和平日」運動を起こした。鄭南榕の母は台湾人だったが、父は日本統
治時代の台湾へ中国からきた人で本籍は中国であった。中国の正統政権と称する国民党
政権は、台湾を中国の一省と見なし、父親の本籍が台湾なら「本省人」、中国なら「外
省人」としていた。二・二八事件で「外省人」が「本省人」を殺戮したことから、両者
の間に根深いしこりが出来たので、台湾に自由で民主的な国家を建設するためには、ど
うしてもこのしこりを解消しなければならないと考えて、鄭南榕は「二二八和平日」運
動を起こしたのである。

 一九八七年四月十八日、鄭南榕は公開演説会で「台湾は独立すべきだ」と主張した。
長老教会が人権宣言で「台湾を一つの新しい独立した国家にすべきだ」と提言したこと
はあるが、公開の場で個人として台湾独立を主張したのは、これが初めてであった。台
湾独立を主張しただけで叛乱罪に該当するとされていたために、それまで誰も公開の場
では台湾独立を口にしなかったのである。しかし、鄭南榕によってこのタブーが破られ
ると、その後は至るところで公然と台湾独立が主張されるようになった。

 国民党も手をこまねいていたわけではない。たとえば、同年八月末に元政治犯が集ま
って台湾政治受難者聯誼会を結成し、その規約に「台湾は独立すべきである」という一
項を盛り込んだ。そのときの議長と、この項目の提案者が十月に叛乱罪容疑で逮捕され
ると、台湾各地で「台独無罪」と「言論の自由」をスローガンにデモや集会が行われ、
十一月には民進党が党大会で「人民には台湾独立を主張する自由がある」という決議を
採択した。翌年一月に台湾高等法院(高裁)は、逮捕した二人に懲役十一年と十年の判
決を下した。すでに戒厳令は解除されていたから軍事法廷は使えないが、国民党が検察
も裁判所も支配しているのだから、どんな判決でも下せる。しかし、この判決で二人の
無罪釈放を要求する大衆運動が、長期にわたって続けられることになったのである。

 一九八八年七月、訪日した鄭南榕は、独立聯盟日本本部の幹部と会食したほか、数人
とは個々に話し合った。仲間の張良澤(当時、筑波大学助教授)が、鄭南榕が私に会い
たがっていると言って、彼を家に案内して来てくれた。

 この年の五月に台湾で、私の『台湾独立運動の思想と戦略——自由のための戦い』
(中国語、注34)と題する本が発行されていた。これは私が『台湾青年』に発表した論
文の中国語訳でアメリカの『台湾公論報』(独立聯盟米国本部が週二回発行)などに掲
載されたものを集めて一冊の本にしたものである。鄭南榕が公然と台湾独立を主張して
からわずか一年間で、このような本が台湾で出版できるようになっていたのだ。我々は
張良澤の通訳で話し合ったが、鄭南榕がこの本を読んでくれていたので、たちまち意気
投合した。彼が特に関心を示したのは、日本人の私がなぜ台湾独立運動を行なっている
のか、ということであった。「外省人」でありながら台湾独立運動に身を投じた鄭南榕
は稀有の存在だったので、外国人の私が独立運動に参加していることを興味深く感じた
のであろう。「私は根っからの自由主義者だから、台湾独立運動は人間の自由のための
戦いなので、許世楷に誘われたとき喜んで参加した」と簡単に言えば、そのような回答
をした。                              (つづく)


『台湾建国』のお申し込み

■著者 宗像隆幸(アジア安保フォーラム幹事、日本李登輝友の会理事)
■書名 『台湾建国−台湾人と共に歩いた四十七年』
■体裁 四六判、上製、本文328ページ
■定価 1,890円(税込み)
■発売 2008年2月28日

 なお、日本李登輝友の会にお申し込みいただければ、下記のような割引を実施して
います。どしどしお申し込みください。

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