米」という名称は、1926(大正15)年4月25日、当時、第10代台湾総督だった伊澤多喜男(いざ
わ・たきお)が台北で開かれた第19回大日本米穀大会の席上で発表した内地米の名称。
今でも台湾では「蓬莱米の父」と尊敬されている磯永吉(いそ・えいきち)が中央研究所農業部
技師で種芸科長時代に作成した3つの候補名(新高米、新台米、蓬莱米)から伊澤総督が選んで命
名された。
磯永吉とともに台湾で米の改良に取り組んでいた一人に末永仁(すえなが・めぐむ)がいる。末
永は台中州立農場試験場長として、蓬莱米命名4年後の1929(昭和4)年に「台中六十五号」と言わ
れる良質の米を開発、台湾では「蓬莱米の母」と慕われている。
奇美実業創業者で八田與一や後藤新平などの胸像を制作している許文龍氏(財団法人奇美文化基
金会会長)は、この2人の功績を称えて胸像を制作、一昨年3月、磯永吉が台北帝国大学教授時代に
使っていた通称「磯小屋」に設置されお披露目された。
「蓬莱米」命名から米寿、つまり88年を迎えたということでお祝いの式典が台湾大学の「磯小
屋」で開かれ、朝日新聞が伝えているので下記に紹介したい。
なお、磯永吉と末永仁の事跡については、早川友久氏「磯永吉と末永仁─蓬莱米を作り上げた農
学者」(『日本人、台湾を拓く』まどか出版、2013年1月刊)に詳しい。
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台湾の蓬莱米、米寿祝う 日本米と掛け合わせ命名88年
【朝日新聞:2014年4月25日】
http://www.asahi.com/articles/ASG4S5H8BG4SUHBI02G.html
写真:台湾大学には「蓬萊米の父」故・磯栄吉氏らが作業した建物(左)が残され、さまざまな種
類の稲が栽培されている=24日、台北、鵜飼啓撮影
日本統治下の台湾でインディカ米と日本の米を掛け合わせた良質米「蓬萊(ほうらい)米」の命
名から88年となり、「米寿」を祝う式典が24日、台北市の台湾大学であった。台湾ではもともと長
粒種のインディカ米を食べていたが、蓬萊米開発で今では短粒種がほとんどだ。
植民地時代の台湾は、日本向けの食糧生産基地としての役割が期待された。日本人が好むジャポ
ニカ米(日本米)も持ち込まれたが、気候が合わずにうまく育たなかった。そこでインディカ米と
掛け合わせて品種改良を重ね、栽培方法も工夫。統治開始から約30年かかってようやく良質の米が
できるようになった。
こうした米を売り出すための「ブランド名」として採用されたのが「蓬萊米」だ。台湾が蓬萊仙
島と呼ばれていたことから名付けられた。現在台湾で作られている米の多くは蓬萊米の改良品種
で、台湾大学農芸学部の郭華仁教授は「蓬萊米は台湾人の食文化を大きく変えた」としている。
台湾大学には、品種改良の研究に当たり、「蓬萊米の父」と呼ばれる故・磯栄吉氏や教え子らが
作業していた建物が今も保存されている。在来種と掛け合わせた当時の日本米の品種「中村」を、
冷凍保存されていた種子から再生する実験にも取り組んでいるという。(台北=鵜飼啓)