台湾のソウルデザート「愛玉」は日本でブームが起きるか  一青 妙(エッセイスト)

【nippon.com:2023年10月29日】https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02345/

◆NHK連続テレビ小説に登場した台湾名物

「先生、この植物の名前は何です?」

「愛玉子。わしは、台湾の人らあとこの植物に、命を救うてもろうたがじゃ」

 『らんまん』のワンシーンだ。この下りは台湾でも放送され、大きな話題を呼んだ。

 日本の植物学の父と呼ばれる高知県出身の植物学者・牧野富太郎は、東京帝国大学で助手をしていた1896年、清から割譲された台湾に学術調査団の一員として派遣された。

 牧野は台湾の植物を採集しながら次々と興味深い発見をするが、山中で体調を崩してしまう。高熱にうなされる牧野の口元に運ばれたのが、先住民が植物の果実から作ったゼリー状の食べ物だった。

 後に牧野は、自身の命を救ったこの新種の植物に「Ficus aukeotsang Makino」の学名を付けた。「Ficus」はイチヂクを意味し、「aukeotsang」は「愛玉子」の台湾語読み「オーギョーチー」から取った。日本では植物もデザートも区別せずに「愛玉子」と呼んできたが、台湾では植物の「愛玉子」と食べ物の「愛玉」を分けて呼ぶ。本稿ではデザートとしての愛玉を取り上げるので統一して「愛玉」を使いたい。

◆台湾にのみ自生する愛玉の正体は?

 愛玉子の外観は緑色で、小ぶりのマンゴーによく似た楕円形をしており、すっぽりと手のひらに収まるくらいの大きさだ。学術的には、クワ科イチジク属のつる性に分類され、海抜1000メートル以上の高地に生育する台湾の固有種とされる。特徴的なのは、雌雄異株で、イチジクコバチによって受粉した花が果実となる。気温が低い日本では、イチジクコバチが生息できないため、栽培できない。

 1921年、高雄州の技師・福田要が刊行した『臺灣の資源と其經濟的價値/台湾の資源と経済的価値』の林業の章に「此果實を布に包み水を容れたる器の中にて揉み二、三十分間放置する時は淡黄色にして半透明なる寒天状となるを以て砂糖を混じて食用に供す若くはジエリー製造の原料に供することを得」との記載もある。

 先住民の間で食べられてきた愛玉の名は、一般にも広く知れ渡っていたことがうかがえる。

 ゼリーのように固まるのは、食物繊維で凝固作用のあるペクチンを大量に含んでいるからだ。腸の蠕動(ぜんどう)運動が促進され、便秘に効果があるだけでなく、満腹感も得ることができる。美白や体脂肪を減らす効果もあるので、うれしいことばかり。体温を下げる作用もあり、熱を出した牧野が愛玉で命拾いをしたのは、偶然ではなく、先住民の知恵によるものだった。

 ところで、可愛らしい「愛玉」の名前の由来については、1921年に、詩人で文学者の連雅堂が執筆した『台湾通史』に記述がある。清朝時代に中国大陸の福建省から台湾にやってきた商人は喉が渇き、嘉義を流れる渓流の水をすくって飲むと、とても冷たく爽やかな気分になった。水面に植物の種が浮いていて、揉み出すとゼリー状に固まり始めた。商人は果実を持ち帰り、15歳の娘・愛玉にゼリーを売らせたところ、評判を呼び、娘の名前から愛玉ゼリーと呼ばれるようになったそうだ。

◆愛玉は台湾人の国民的デザート

 愛玉については、台湾に滞在した教員の堀川安市が1942年に出版した『臺灣の植物』で以下のように描かれていた。

<暑い台湾には冷たい飲食物が多いのは当然だが、その中に台湾特種なものがある。それは仙草と愛玉子であろう。(中略)以前は樹陰や城門の脇には必ずそれを売る露店を見ることができたものである。店頭をのぞけば黒や黄色の寒天様ものが器に盛られている。注文をすると、それを方形に切って碗に入れ、砂糖水をかけて出す。(中略)いずれも特種の風味があって、熱帯地の冷たい飲食物としては好適のものである。(後略)>(注 : 常用漢字・現代仮名遣いに改めて引用している)

 私が暮らしていた1970年代の台湾を思い起こす。夏になると市場に必ず愛玉が並んでいた。水を少し張った金だらいの中に、琥珀色の四角い塊がある。欲しい分だけ切り分けてもらい、ビニール袋に入れてよく持ち帰ったものだ。砂糖やハチミツ水に氷と愛玉を入れたものをおやつに食べた記憶を多くの台湾人が持っているだろう。その場で愛玉を食べられる屋台も多かった。

 昔も今も、台湾人の共通の記憶として愛玉は存在している。

 近年、健康志向の高まりと共に、愛玉の効能が見直されている。成分のほとんどが水分の愛玉は、100グラムでわずか2キロカロリーしかない。味やにおいがなく、どんなものにも合い、喉越しがよく、ストローでちゅっと容易に吸い上げられる。そのため、ドリンクスタンドやかき氷店のトッピングの定番にもなっている。

 100%愛玉子から作った本物の愛玉は、一定時間放置していると、愛玉の酵素の働きで水分が流れ出し(離水)、凝固部分が徐々に小さくなってしまう。愛玉の希少価値は年々上がっており、高価になっているという。値段や手間を考え、寒天やゼラチンを加えて作っている店も少なくないが、本物の独特な食感にはかなわない。

 屋台や市場、夜市には愛玉専門店があり、一杯わずか40元(約200円)。人気店には行列ができることも珍しくない。コンビニでも手に入る。一番のお勧めは、ゼリーとシロップだけのシンプルな食べ方だ。黒糖や上白糖、ハチミツによって味わいが異なり、レモンの有無によっても違うので、いくつかの店で食べ比べて、好みの愛玉をぜひ見つけてもらいたい。

◆日本でも愛されていた愛玉

 私がまだ小さかった頃、日本で愛玉を食べたり見たりした覚えはないが、日本進出は早かったようだ。

 1941年刊行の『趣味の台湾』(宮川次郎著)に、愛玉について興味深い記述を見つけた。

<(前略)内地は広いが、東京の浅草公園で十数年前からこの専門店ができており、いつの間にか二軒となり、更に神田神保町にもできた模様だが、浅草のそれは冬季でも一本調子で開店を続けているのは、寧ろ壮観というのほかない。これは台湾でも夏季に限るもので、専ら労働者相手の飲料で、大道で売っている類いだから、内地人の永い在住初でも知らぬ人が多い。>(注 : 常用漢字・現代仮名遣いに改めて引用している)

 事実だとすれば、1930年代にはすでに日本に入っており、専門店があったことになる。

 池波正太郎の『銀座日記』にも愛玉が登場する。

<(前略)道を歩いているとB社の女性編集者に声をかけられたので、谷中警察署のとなりの店で、むかしなつかしい〔愛玉只〕(オーギョーチー)を食べる。

 〔オーギョーチー〕は台湾特産の蔓茎植物で、これを寒天のようにして、独特のシロップをかけて食べる。

 私が子供のころは、浅草六区の松竹座の横町にあった店で、よく食べたものだが、いまは、この店だけだ。ほんとうに五十年ぶりで〔オーギョーチー〕を食べたことになる。>

 さらに、漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の第64巻(1990年刊行)に、主人公の両さんが「愛玉子」という店に入り、お土産に愛玉子を3つ買って帰るシーンがある。上野谷中の同店は現在も営業しており、おそらく現存する日本唯一の愛玉専門店ではないだろうか。

 しかし、一部を除いて愛玉の食習慣は日本には根付くことはなく、デザートなどで提供する店もごく少数にとどまってきた。

◆ポストタピオカブームとなるか

 ドラマでは、牧野が日本に持ち帰った愛玉を食べた家族が「わらび餅みたいね」「水ようかんに並んで夏の名物になったのに」と驚き、感嘆する様子が映しだされていた。愛玉は人の記憶に残り、家族を結びつける素敵なデザートなのかもしれない。

 牧野富太郎の名を『らんまん』で知った人は多い。旅行代理店やホテルには、『牧野富太郎ゆかりの地めぐりマップ』などが並べられブームが起きている。牧野が命名し、戦前の日本でも広く食べられてきた愛玉は、戦後に影が薄くなり、いつの間にか姿を消してしまっていた。台湾食のブームで、以前より増えたとはいえ、愛玉が食べられる場所はまだ日本では限られている。『らんまん』をきっかけに、愛玉だけでなく、材料の愛玉子も手軽に手に入るようになることを期待したい。そうなることで、台湾と日本の食を巡る共通の記憶が思い出される日が近いかもしれない。

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