◆はじめに
2018年8月14日(火)、台南の観光スポットとして有名な林デパートの向かい側に「慰安婦」の像が設置され、その除幕式が行われたと言います。すでに日本でも報道されていると思いますが、現地から報告させていただきます。
◆台南に慰安婦像が……
実は除幕式が行われたという日の前週金曜日に、日本からのお客様と林デパートに行きました。設置場所の横を通ったのですが、うかつにもその存在に全く気付きませんでした。
林デパートは1932年に台南市の末広町(現・中正路と忠義路の交差点)に建設された6階建ての百貨店で、2014年修復され、開業されました。多くの日本人観光客が訪れる場所です。
ニュースで慰安婦像が設置されたことを知ったその日に、私は取るものもとりあえず、安物のカメラを引っ提げて、あわてて見に参りました。林デパートの向かい側に国民党の台南支部の建物があり、その一角に慰安婦の銅像が設置されていました。像の背後に大きなパネルがあり、中国語、英語、韓国語、日本語で説明が書かれておりました。日本文の説明は文章も内容も怪しいものですが、そのまま記します。
◆日本語による説明
1937年12月、対日抗戦期間中、日本軍が南京を攻落し、30万の住民が殺戮やレイプされ、世界中を震撼させ、また日本に対する強い譴責をした。日本軍がその後、アジア太平洋各地で「慰安所」を設立し、騙しや脅迫、拉致などの方式で、占領区の若い女性を「慰安婦」、として強制徴用して、日本軍の姦淫に供し、被害された女性は約20万ないし40万人に上ると言われ、台湾も少なくとも1200人が被害されているという。
1996年1月、国連人権委員会が「慰安婦」に関する調査報告を公表し、「慰安婦」は第二次世界大戦・「日本軍の性的奴隷」だと認定し、これは戦争罪であり、日本政府は責任を負い、謝罪と賠償をしなければならないと認定された。現在までには、アメリカ・カナダ・EU・韓国・中華民国等の32カ国の国会が国連の調査報告を支持したが、日本政府は依然として責任を負うことや謝罪・賠償を拒否している。
辛うじて生き残した「慰安婦」の正義を勝ち取る勇敢な行動は、すでに国際婦女人権運動の模範となった。本日、この銅像を安置することは、中華民国の国民は決して「慰安婦」の悲惨な歴史を忘れず、さらに彼女たちの奮闘ぶりに対する尊敬と支持の意を表す。
◆誰が設置したのか?
報道によりますと、この像を設置したのは、自称「台南市慰安婦人権平等促進協会」だそうです。後に述べる李宗霖氏の投書によりますと、この団体が用いている電話番号と国民党台南支部の電話番号は同じとのこと。
14日の除幕式には、馬英九氏が11月の台南市長選挙の候補者高思博氏を連れだって出席したということであり、慰安婦像設置場所の隣にある国民党台南支部の建物にはとてつもなく大きい高思博氏の写真が掲げられているのを見ると、この慰安婦像設置というパフォーマンスは政治活動とみなされてもやむを得ないでしょう。
慰安婦像の背後に掲げられた説明文に何故ハングルが使用されているのでしょうか。インターネットで在台韓国人の数を調べようとしたのですが、観光客や就労者などの統計でも韓国の名前は見つかりません。と言うことは多くないと言うことでしょう。
日本語の説明文は、台南在住の日本人もそれほど多くはないと思われますので、これは日台間に楔(くさび)を打ち込もうと言うことでしょうか。勘ぐってしまいます。
◆台湾の人々の反応は?
自由時報紙には読者からの投書を紹介する欄「自由広場」がありますが、いくつかの意見が寄せられています。
李宗霖(台南市民・基進党組織部主任)さんは、「評国民党消費慰安婦 並談八三?」と題した投書の中で、次のように述べておられます。
<……国民党政権時、金門馬祖の離島のみならず本島にもあまねく俗称「八三?」を設置し、資料によれば未成年の少女をだまして金門島に行かせ、3カ月に3000回も接客させた……>
また、陳天隆(日本台南市後援会会長)さんは「国民党はまだ對日抗戰中か?」と題した投書の中で、「慰安婦問題は人類歴史上の傷口であるが、日本政府は過去色々な機会に談話や書簡で詫びている。歴史上の傷は必ずしも癒えているとはいえないが、近年の台日交流を見れば、友好関係はますます深まっている。何故ここで日台の対立をあおるようなことをするのか。多くの台南の人々は日本の観光客を歓迎しています」と述べておられます。
蔡濁瀝(台北市民・半導体業勤務)さんは「更に悲惨な40年にわたる軍妓の血涙史」と題して次のように述べておられます。「『八三一特約茶室』の実施期間は1952年から1992年までの40年にわたり、これは日本が台湾において行った慰安婦制度の5倍以上である。台湾の婦女および未成年の少女に対する残虐さは比較にならない。『八三一特約茶室血涙館』を作ったらどうか」
黄天麟(国策顧問・元第一銀行総経理、董事長)さんは「国民党は八三?少女の銅像を鋳造してください」と題した投書の中で、「……もし中国国民党台南支部に婦女の転型正義(正義の見直し)への真の関心があるならば、この度の慰安婦の銅像の隣に同じサイズの『軍中楽園少女の像』を鋳造し設置してください」と書かれました。
◆「八三?」「軍中楽園」とは?
私は2013年、馬祖列島ツアーに参加し、馬祖島の中の基地を見学しましたが、基地の一角に「軍中樂園」と書かれたパネルを見かけました。そこには次のように書かれていました。
<『軍中樂園』は、単身の若い士官の特殊なニーズを満たすために中華民国39年(1950)に設立された。その名称の由来は一説によれば、電報の「?」の暗号『八三一』であると言う。別な説明では、『軍中樂園』の設置は『半山腰』(山の中腹)に建てられたので、その同音である『八三一』をとったと言う。
中華民国79年(1990)、当時の立法委員陳水扁氏が、婦女が台湾本島以外の島の軍中樂園に「補導」され、就業したのは、婦女子の人権を無視していると認定し、国防部に緊急質問を出し、軍中樂園を廃止するよう要求した。軍はその流れを受け入れ、80年金門馬祖地区の軍中樂園の閉鎖がはじめられた。かつて金門馬祖島に40年近く存在し、島の兵士たちの生活を調整し、軍民間の男女関係の紛糾および性犯罪を防止し、一定の貢献をしていた軍中樂園はここに歴史の世界のものとなった。>
中国語で電話番号やルームナンバー等の数字を棒読みする場合、「一」と「七」を聞き間違えないように、「一」は「yiイー」の代わりに「幺(?)」(yaoヤオ)を用います。したがって「軍中樂園」すなわち「八三一」は「八三?」と称したので、前出の「自由広場」での意見の中に「八三一」や「八三?」の文字がつかわれるのです。
◆おわりに
良好に進展している日台関係に水を差すような慰安婦の像設置と言うようなことを何故するのだろうか。国民党候補者は11月に予定されている統一地方選挙のために、自分(達)は女性の人権擁護者であることを宣伝したいのであろうか。
しかし、慰安婦像を設置することにより、自分たちがかつて設けた「八三一」設置の事実をさらけ出すことになったのではないだろうか。まさに「ブーメラン現象」そのものと言えます。