(張文芳:1929年生れ、台湾屏東東港人、翻訳通訳に従事、友愛会員)
*漢数字を算用数字に改めています(メルマガ編集部)
友愛グループが設立される少し前のこと、川端康成遺品展の打ち合わせで台北を訪問中の川端未亡人と北条誠氏の通訳をした「日本語専門家」の秘書が「あなた様」と訳すべきところを北条氏に向かって「貴様は」と言ったとのこと、怒髪天を衝いた北条氏が、このときの無念さを陳絢暉兄弟に語ったのです。
陳氏兄弟は、この程度の日本語使いが公式通訳員であったり、日本語の教授として台湾で通用するとすれば、これは大変な事ではないかと思い、間もなく有志が集まって市内の喫茶店で月に1、2度勉強会を持つようになったのが当会の始まりでした。
これが「美しく正しい日本語を台湾に残そう」という文化運動に発展したのです。「友愛日本語クラブ」という名称で、林松茂、陳燦暉、劉慕沙、陳宗顯、王得和、陳絢暉、洪祖恩等7人の発起により1992年10月20日に設立、それが紆余曲折を経て99年から機関誌『友愛』を発行、組織名も今の「友愛グループ」となりました。
2014年で設立22年になりました。創立以来、陳絢暉氏が会長を務めていましたが、残念ながら陳会長は2012年12月お亡くなりになりました。享年86歳。
現在は運営委員会が友愛グループを運営しており、現在会員数は100名を越え、毎月第3土曜目に月例会(勉強会)を開催しており、当グループの存在を聞き知り、日本人留学生や、在台日本人、或いは訪台の日本人がオブザーバーとして月例会に参加されます。日本語によるスピーチ発表会も常時行なっており、「懐かしい昔の歌」をみんなで楽しんでいます。
幾度か日本の新聞社が友愛グループの活動を報道、NHKにもドキュメントとして報道されました。
当グループでは機関誌として『友愛』を年間に1冊、1999年から今年に第14号までを発行しました。いずれも会員の投稿作品です。
第5号からは毎月の勉強会の教材と解答を掲載、現在に至ります。素人編集なので、見栄えは今一ですが、日本語族が書いた戦前、戦後の貴重な体験談が、多くの日本人の興味を引いております。一昨年から日本李登輝友の会でも日本国内で販売を始めました。
創立当時の会員記録が残されていませんが、7年後、当グループが1999年12月に発行の機関誌『友愛』復刊第1号の巻末に掲載されている基本会員は66名、内日本人会員が5名でしたが、2013年12月末現在、会員数は当時の約2倍の137名、その内日本人が37名、最年少者25歳、最高年齢96歳、平均年齢が76歳の構成となっています。『友愛』復刊第1号に掲載の会員で、現存の会員は僅か12名です。
海外の外国人が主体になって「日本語を生涯学習」している当会の活動を目の当たりにした日本人は喜ばしい気分になるのは人情の常でしょう。それが在台日本人、乃至日本在住の湾生が入会する切っ掛けになったのでしょう。
当初は戦前生れの所謂日本語族が主体に、台湾社会に出廻っている日本語の看板表記、ホテルの日本ご案内、観光案内や商品に記載された日本語の誤りを正したり、若者たちが話す日本語の誤りを是正したりして、毎月の日本語勉強会を生涯学習として励むことを主体に活動を行ない、台日交流を推し広めるといった考えなどはありませんでした。
会員数が増えるに伴い、友愛グループの知名度が高まり、当会に興味を抱く在台の日本人又は日本から訪台した機会に当会の月例会にオブザーバーとして参加された人数は、2006年から2013年の8年間で約800名、毎年100名近く、その9割方は日本人です。
日本の学校関係との交流も盛んです。
中央大学経済学部・中川洋一郎教授が台湾を研究される過程において熟考された結果「台湾を知るためには、先ず台湾へ行こう。しかし、行くなら若い日本人を一緒に連れて行こう。彼らこそがこれからの日台関係を担っていくのだから」と考えて、ゼミによる台湾合宿を思い立たれました。
『芝山巌事件の真相─日台を結ぶ子弟の絆』の著者篠原正巳氏のご紹介で2001年11月に中川教授のゼミ学生たちと友愛グループとの懇談会が実現、祖父母年配の会員から、戦前の日本統治と戦後の国民党統治について親しく説明を受けてその上で「日本は良い国だ。日本に生まれた幸せを感じなさい」などと叱咤激励されると、日本人は、日本と日本の歴史について、目から鱗が落ちる経験をしました、と中川教授は当会との懇談会を述懐しておられます。あれから台湾ゼミ合宿は昨年までには8回を重ねました。
日本工業新聞社、産経新聞社主催の「日台文化交流青少年スカラシップ」訪台研修旅行団(大学生・高校生・中学生の合同チーム)との交流が2004年3月下旬から6日間行なわれた際、4日目には友愛グループの会員と1対1での懇談会が行なわれ、2013年までに10回も続き、今後も続くでしょう。
2012年には東京麻布高校、中央大学付属中央大学横浜山手高校はいずれも90名近く、広島県立加計高校は約30名の修学旅行団の生徒・先生方と交流懇談を行ないました。
2013年2月末、日本の東海大学・羽生浩一助教授引率の文学部広報メディア学科の学生7名と交流懇親を行ないました。
日本の一般社会団体との交流もかなり行ないました。
2013年6月28日には京都青年会議所の108名の若き社会人メンバーの方々。8月22日には日本李登輝友の会青年部15名の方々。そして10月20日には沖縄訪台団16名方々ともそれぞれ交流懇談を行ない、日本の若人たちに、台湾に対する認識を新たにして頂けたものと思います。
友愛グループ発足当時の趣旨からは想定外の台日民間草の根交流への発展となり、やがて消えゆく私たち日本語族もこのような形で台日交流に役立っていることを喜ばしく感じている今日この頃でございます。
本文は台湾日本人会の会報『さんご』2014年3月号(第570号)に掲載されたものを再編集しました。
【『友愛』第14号(2014年12月20日刊)掲載】
──────────────────────────────────────※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。