昨日の朝、蔡焜燦先生から「阿川弘之先生が亡くなりました」という連絡をいただきました。日
本の有名な作家で、台湾人が困難にあっていたときの友人である阿川先生の逝去は、私に無限の悲
しみと感謝の念を覚えさせました。
1968年3月27日、日本に留学していた台湾人学生の柳文卿が突然国へ強制送還されました。柳は
台湾青年独立聯盟の中央委員でした。前日、入国管理局でビザの延長を申請したところ、延長を認
めないという結果でした。それと同時に拘留され、翌朝のチャイナエアラインで松山空港まで送還
されたのです。当時、中国国民党や戒厳時期の圧政に異議のある者に対する懲治叛乱条例第2条第1
項に定める唯一の死刑規定が、公然と独立運動に参加した叛乱者の柳に適用されました。
国民党政権と日本政府の役人が共謀し、卑劣な手法で留学生を危険の中に陥れることを見たら、
私たち独立運動の同志だけではなく、日本にいる留学生も、熱せられた鍋の中の蟻のように必死に
周りの日本の友人に助けを求めました。多くの教授と学生たちが私たちを応援し、日本政府のやり
方は人権違反であると訴えました。
阿川弘之先生は「台湾青年の人権を守る会」11名の委員の一人で、先生は「読売新聞」のコラム
で、「祖国と青年」と題して「柳文卿事件始末」を書き、「彼らが国へ送還されたら、死刑に処さ
れる恐れがある。彼らに迫害の恐れが及ぶ決定的瞬間に直面したとき、法の適用の前に寛大に処
し、彼らに日本で避難することを認めるべきではないか」と主張されました。
数年前、私は阿川先生に新著を送りご指導をお願いしました。この本の中で、父が2人の娘を亡
くした経験があり、私が生まれたら「千恵」という名を付け、神様に「この娘が無事に成長し、千
の恩恵と祝福を賜りますように」と願っていたことを記したところ、阿川先生は本を読んで私に手
紙を下さり、そこには「台湾に千の恩恵と祝福を賜りますように」と書かれていました。
阿川弘之先生、さようなら。台湾人が困難にあっていた時の友よ、安らかにお眠りください。
【翻訳:本誌編集部】
◇ ◇ ◇
本会初代会長の阿川弘之氏が逝去されたのは8月3日でした。改めて哀悼の意を表します。まだ偲
ぶ会の日程は決まっていないようです。分かり次第、お知らせします。
盧千恵さんの投稿が「自由時報」に掲載されたことをお伝えいただいたのは、許世楷氏からでし
た。夏期休暇をはさんだことで、紹介が遅くなり失礼しました。
なお、柳文卿事件につきましては、宗像隆幸著『台湾独立運動私記』(文藝春秋、1996年3月
刊)の第3章「受難の時代」の「柳文卿の強制送還」に詳述されています。
本書によれば、阿川弘之氏は「作家の平林たい子、阪田寛夫、評論家の大宅壮一、村上薫、大学
教授の宮崎繁樹、神川彦松、大平善梧、田中直吉、向山寛夫、代議士の水野清」などとともに
「張・林、両君を守る会」の世話人をつとめられていたそうです。
また、台湾独立建国聯盟日本本部のホームページでも柳文卿事件について「入国管理局は在留許
可の更新に訪れた台湾青年独立連盟幹部・柳文卿を突然逮捕し、台湾へ強制送還しようとした。柳
の強制送還を阻止しようとした、黄昭堂以下盟員10人が羽田空港で逮捕される」と記しています。
◆台湾独立建国聯盟日本本部ホームページ
http://www.wufi-japan.org/
盧千恵(ろ・ちえ)
児童文学者、許世楷・元台北駐日経済文化代表処代表夫人。1936年、台中生まれ。1960年に国際基
督教大学卒業後、国際基督教大助手を経て1961年に許世楷氏と結婚。夫とともに台湾の独立・民主
化運動にかかわったことからブラックリストに載り帰国できなかったが、台湾の民主化が進んだ李
登輝総統時代の92年に帰国。2004年〜08年、夫の駐日代表就任に伴って再び日本に滞在。著書に
『私のなかのよき日本』『台湾という新しい国』(夫との共著)『フォルモサ便り』など。