前橋、金沢、袋井の3市共同で許文龍氏に感謝と敬意のトロフィーを寄贈

 奇美実業創業者の許文龍氏は、李登輝元総統や鄭南榕など台湾の民主化に貢献した胸像を制作していますが、一方、これまで台湾の発展に貢献した日本人として11人の胸像も制作し、それぞれの地元などに寄贈しています。後藤新平、新渡戸稲造、八田與一、羽鳥又男、羽鳥重郎、鳥居信平、松木幹一郎、新井耕吉郎、浜野弥四郎、磯永吉、末永仁の11人です。

 このほど、前橋市の山本龍市長は、八田與一の出身地である金沢市の村山卓市長、鳥居信平の出身地である袋井市の大場規之市長とともに許文龍氏に「最大限の感謝と敬意」を込めたトロフィーを寄贈することになったそうです。

 許文龍氏は昭和3年(1928年)2月25日の生まれですから、間もなく95歳となります。近年はかなり弱られているという話も仄聞しますが、日本からの「感謝と敬意」のトロフィー寄贈を心から喜ばれるのではないでしょうか。

 下記に東京新聞の記事をご紹介します。

—————————————————————————————–台湾実業家に記念品 前橋市、日本人胸像寄付に謝意【東京新聞:2023年2月2日】https://www.tokyo-np.co.jp/article/228866

 前橋市は台湾の実業家で、台湾近代化に貢献した日本人の胸像を数多く寄付した許文龍氏(94)に謝意を示すため、ガラス製トロフィーを贈呈すると発表した。中旬にも発送する。

 許氏は合成樹脂や電子部品など多数のメーカーを擁する台湾有数の企業集団、奇美(チーメイ)グループの創業者。東日本大震災時に義援金として1億円を寄付するなど親日家として知られ、これまで台湾にゆかりが深い日本人10人以上の胸像を、台湾や日本でゆかりが深い土地に設置した。

 前橋市関係ではいずれも旧富士見村出身で、風土病「台湾つつが虫病」を発見するなど、台湾の医療水準を向上させた医師、羽鳥重郎(1871〜1957年)と、日本統治下で最後の台南市長を務め、軍から妨害を受けながらも地元の文化財保護に尽力した羽鳥又男(1892〜1975年)が胸像になった。

 胸像は、前橋市内では重郎が富士見公民館(富士見町田島)に、又男が珊瑚寺(富士見町石井)に設置されている。又男像は、修復に尽力した台南市の旧跡赤●楼(せきかんろう)にも置かれており、市民らから親しまれている。(●=山冠に坎)

 トロフィー製作は、前橋市の提案に賛同した金沢市、静岡県袋井市と共同で行い、羽鳥重郎ら各市出身者3人の肖像も刻まれた。

(小松田健一)

※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。