中国よ、「ローマ」に学べ [産経新聞論説委員・石井 英夫]

【4月19日 産経新聞「土・日曜日に書く」】

◆興隆のカギは「寛容」

 唐突な申し出でなんだが、いま中国の人びとに読んでもらいたい本がある。とりわけ
北京の指導者たちにすすめたい。

 塩野七生さんの巨編『ローマ人の物語』(新潮社)である。

 北京五輪聖火リレー混乱で吹きつける逆風を受け、中国人は分厚いナショナリズムの
マントを一層かたくなに身につけて“団結”しているそうだが、そういう時だから読ん
でほしい。15巻全部を読み通すのは大変だから、第1巻『ローマは一日にして成らず』
だけでもいい。決して損にはならないだろう。

 紀元前8世紀の昔、古代ローマ人のローマ帝国が興隆した要因は何だったのか。ギリ
シャは早く没落したのに、パクス・ロマーナ(ローマの平和)はなぜあんなにも長く続
いたのか。

 塩野さんは3人の古代ギリシャの史家の見方を総合して、「ローマ人は勝って譲った。
ローマの宗教には狂信的な傾向はなく、敗者の宗教を認めた。宗教を認めるということ
は、他民族の存立を認めるということである」と記している。つまりローマ帝国が興隆
したカギは「寛容」にあった。古代ローマ人が地中海の覇者になり、パクス・ロマーナ
を維持できたキーワードは「寛容」だったと結論していた。

 これは公認だけで55という少数民族を版図に抱える中国にとって、すこぶる含蓄に富
んだ示唆ではないだろうか。とりわけチベットの騒乱という流血の事態を迎えて、大い
なる歴史の教訓と考えるのだがどうだろう。だから『ローマ人の物語』の熟読をすすめ
るゆえんだ。

◆“辺境の目”で見る

 産経新聞の先輩・司馬遼太郎さんの中国史観の根底をなすものは“辺境の目”だった。

 「中国における少数民族は五十六種というが、それぞれの先祖たちは、ながい歴史の
なかで低地に降り、その血液と文化を中国文明というるつぼのなかに溶けこませた。逆
にいえば少数民族の固有文化こそ文明という普遍性に昇華する以前の細片群だと思うの
だが、漢民族はながくそのことを考えず、自分たちこそが華(文明)で、僻境(へきき
ょう)にのこって固有文化をもちつづける集団は夷だと思い、華・夷は対立概念である
とした」

 これは『街道をゆく/中国・蜀と雲南のみち』の一節で、司馬さんは“華夷(かい)
秩序”へ強い疑問と深い不信を抱いていた。中国はチベットの宗教や習俗を卑しい「夷」
として弾圧し、封殺してきたのだから。

 司馬さんの『台湾紀行』もまた同じ“辺境の目”の産物で、李登輝総統(当時)との
対談でこう語っていた。

 「中国のえらい人は、台湾とは何ぞやということを根源的に、世界史的に考えたこと
もないでしょう。中国がチベットをそのまま国土にしているのも、内蒙古を国土にして
いるのも、住民の側からみればじつにおかしい」

 いま聖火リレーが各地の対中非難と抗議のリレーになっているのは、その“おかしさ”
に対する世界の同感にほかならない。中華民族という名の単一民族国家のまやかしが露
呈している。チベットという他民族の宗教や言語や習俗をむりやり漢民族化へ統一した
ことのひずみが一斉に噴きだしているのだろう。

◆「高度の自治」の実現

 さて、26日に聖火リレーが行われる宗教県・長野だが、長野と善光寺は不可分の関係
にある。そして善光寺の宗教文化のキーワードもまた「寛容」なのだ。

 この寺はあらゆる宗派を超えすべての人に門戸を開いている。善光寺に参詣した松尾
芭蕉にも「月影や四門四宗もただ一つ」の句があった。善光寺の仏さん(前立本尊)は、
戦国武将の間を渡り歩いた。上杉、武田双方が仏さんや寺宝を迎えてまつったという話
もある。争うどころか仏さんを共有財産にしていたというのである。

 地球が宗教の抗争や民族の対立に明け暮れているいま、長野という都市がオリンピッ
クを開催したのは、その意味でもふさわしかった。したがって長野の地の聖火リレーは、
日本の宗教文化「寛容」を世界に発信する役割を負っているともいえるのである。

 温故知新。中国には大きな歴史の教訓を学びとってもらわなければならない。胡錦濤
国家主席の5月訪日を待つまでもなく、福田首相は中国にそのことを強く催促すべきな
のだ。それができないような指導者は、一刻も早くやめてもらわなくてはならない。

 中国が学ぶべき歴史の教訓「寛容」とは、ダライ・ラマ14世との実りある対話で、チ
ベットの「高度の自治」は実現すべき最低限の“木の実”である。

                              (いしい ひでお)



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