中国の主張は間違っている  篠田 英朗(東京外国語大学教授)

中国の主張は間違っている…「台湾問題」に安全保障上の懸念を持つことは「内政干渉」にはあたらない篠田 英朗 東京外国語大学教授(国際関係論、平和構築)【現代ビジネス:2021年12月11日】https://gendai.ismedia.jp/list/author/hideakishinoda

 台湾と中国の関係をめぐる問題が、最近になって一層の注目を高めている。過去半世紀以上にわたって台湾問題は、東アジアの大きな国際問題の一つであり続けてきた。だが中国の超大国化と、台湾の国力の充実によって、台湾問題はさらにいっそう深刻になり続けている。

 日本にとっては、自国の国力が停滞し、関係国をふまえた安全保障環境が相対的に悪化している中、台湾問題に対処しなければならない状況だ。困難な課題である。だが、直視はしなければならない。

 19世紀末から第二次世界大戦前までの時期の台湾は、日本によって統治されていた。それは明治期の日本の政治家たちが、台湾が持つ地政学的意味を重大視していたからだ。日本にとっての台湾の安全保障上の重要性は、今日においても全く低下していない。中国の超大国化によって、その重要性がより強く感じられるようになっただけだ。

 だが台湾問題は、そもそも問題の性質を把握するだけでも難しい。まずは、中国のイデオロギー宣伝戦に安易に屈服することがないように、台湾の現状維持が日本の国益であることを正当に理解するための考え方の整理を行いたい。そして台湾の法的地位の確定は難しく、そもそも日本は台湾を国家承認していないが、それでも国際法の諸原則を適用するのは当然であり、日本が安全保障政策上の関心を持つことは妥当である、ということを述べる。

◆国家承認は本当に安全保障上の関心の前提なのか

 12月2日、自民党の安倍元総理大臣が講演で、「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」などと発言したことに、中国が激しく反発した。垂秀夫駐中国日本大使を呼び出して、華春瑩外務次官補(部長助理)兼報道官が、「安倍元首相が台湾問題と関連して極端に誤った発言をし、中国の内政に乱暴に干渉して公然と中国の主権に対して挑発し、台湾独立勢力を支持した」と述べ、「これは国際関係の基本原則に厳重に反するものであり、中国はこれに決然と反対する」と抗議したという。

 ここで華外務次官補は、安倍元首相の発言の中心的な論点からずれたところを問題にしている。安倍元首相は、近隣の台湾の安全保障は、日本の安全保障にとって、そして日本に軍事基地を置く米国の安全保障にとって、大きな意味を持つ、ということを言ったのだろう。これに対して中国は、日本が中国の主権を脅かし、内政干渉を企んでいる、と糾弾している。つまり、中国は、日本は台湾のことを考えてはいけない、なぜなら台湾は中国の一部であり、台湾問題は中国の内政問題だからだ、という立場をとっているわけである。「一つの中国」の原則を強調することによって、日本が持つ安全保障上の懸念も一蹴する、という主張である。

 確かに日本は台湾を国家として承認しておらず、「一つの中国」を主張する中国の立場を認めている。ひょっとしたら日本国内にも、台湾を国家承認するのでなければ、台湾問題をめぐる安全保障上の懸念も持つことはできない、と考えている人もいるのかもしれない。「一つの中国」であるならば、北京の中国政府が、全てを国内問題として自由に処理することができるのではないか、というわけである。

 だが国家承認をしていないことは、本当に日本が台湾問題をめぐる安全保障上の懸念を持ってはいけないことを意味するのだろうか。

 もし中国政府の主張がまかり通ってしまったら、むしろ北東アジア情勢は大混乱に陥るだろう。台湾が中国の支配下に置かれることは、日本の死活的な利益にも関わる。日本としては、「一つの中国」の原則を見直すリスクをとりたくない一方で、中国が台湾に軍事攻勢を仕掛ける事態も防ぎたい。これは矛盾した立場だろうか。

◆一つの国家か、二つの国家か

 朝鮮半島は、「一つの民族」が「二つの国家」に分断されている、と理解されている。これに対して、中国と台湾の関係は、簡単には定式化できない微妙なものだ。

 中国は、台湾は中国の一部である、つまり「一つの国家」であるとの立場を強く主張し続けている。日本やアメリカを含めて、世界のほとんどの国々が台湾を国家承認していないのは、中国の「一つの国家」の立場を尊重しているからだ。

 これに対して台湾の現総統である蔡英文を含める多くの人々は、「二つの中国」の立場に立っており、中華民国としての台湾は事実上の独立国家であるとの考え方をとる。実際に、台湾が、実態として一つの国家と呼ぶべき政治的実体であることは自明であると言える。15カ国とはいえ、中華民国(台湾)を国家として承認している諸国が実際に存在していることも、重大な事実ではある。台湾以外に国家承認をしている国がないソマリランドなどと比べれば、台湾が持つ国家としての存在感は小さくない。

 ただし、台湾を国家承認しているのは、太平洋島嶼国か、中米の小国だけである。周辺国を含めて、アジアからアフリカにかけての地域で台湾を国家承認している国はなく、ヨーロッパでも、わずかにバチカンだけである。

 この複雑な状況を見ながら、諸国は、「現状維持が望ましい」という見解を表明している。状況が複雑であるがゆえに、極端な見方は弊害が大きい、現状維持を図って弊害を避けたい、という立場をとっているということだ。

 11月18日、バルト3国の1つのリトアニアの首都ビリニュスに「駐リトアニア台湾代表処」という「台湾」の名称を入れた出先機関が開設された。中国は、リトアニア駐在の大使を召還し、リトアニアとの貿易を停止させて、反発を示した。それにもかかわらず、台湾と欧州諸国と欧州連合(EU)との間の外交的な交流は進展してきている。ただし、欧州諸国が台湾の国家承認に踏み切る、というところまでは想定できない。

 11月30日には、オランダ下院が、リトアニアが台湾との関係を強化することを欧州連合(EU)が支持するようにオランダ政府に促し、さらには中国による一方的な台湾海峡の現状変更を受け入れない立場を表明するようオランダ政府に求める動議を可決した。ここで注意しておきたいのは、中国の圧力に屈せず台湾との友好関係を望む立場のほうが、「現状変更に反対して現状維持を望む」側である点である。

 ここで「現状維持」とは、台湾の国家としての法的地位が非常に曖昧であり続けることを意味する。ただし、同時に、それでも武力行使禁止原則を含む国際法の諸原則は台湾海峡に適用される、ということでもある。

◆国家の定義の多義性

 国際的に確立している国家の定義は、1933年モンテビデオ条約に依拠している。この条約の第1条は、「国家の四要件」を定めている。(1)永久的住民、(2)明確な領域、(3)政府、(4)他国との関係を持つ能力、 の四つである。この「国家の四要件」は、国際社会で広く認められており、国際慣習法としての地位を確立していると言ってよい。

 ただし、実際の運用には、微妙さが残る。ある政治的実体が、四つの要件を満たしていることが明らかな場合、その事実をもって国家が成立していると考えるべきだろうか。あるいは諸国がその国家を承認するのを待って、国家としての存在が確証されたと考えるべきだろうか。

 前者の考え方にそって、国家は事実によって成立しているもので、国家承認は国家の存在を宣言して確認しているにすぎないとみなす立場を、国際法学では「宣言的効果説」と呼ぶ。これに対して後者の考え方にそって、諸国に承認されなければ、国家は創設されたことにならないとみなす立場を、国際法学では「創設的効果説」と呼ぶ。

 国家としての存在が自明であるのに、他国が政治的な理由から国家承認を渋っているからといって、国家が成立していないことになってしまったら、それは非常に不公平な話だろう。国家承認の「宣言的効果説」は、国家の国家としての独立を尊重する考え方だ。

 だが、国家の体裁を整えている政治的実体であっても、全ての諸国から認められていないのであれば、異次元世界の国家のようなものである。部分的にのみ他国と関係を結べるだけなら、部分的にのみ国家として国際社会に参入しているに過ぎない。「創設的効果説」にも一理ある。

 「宣言的効果説」と「創設的効果説」は、両者が調和しているのが望ましく、必ずしもいつも相反する関係にあるわけではない。法的利益にそって整理をしていく必要がある。

◆武力行使禁止という国際法の一般原則

 台湾は、一部の諸国からは承認されているが、その他の諸国からは承認されていない存在である。このような「事実上の国家」は、実際に国家としての要件を相当に持っているが、承認が足りないという点で国家として十分な状態にはない。これは決して標準的ではないが、しかし国際社会では頻繁に起こる状態だ。たとえばコソボなどは、世界の半分の諸国から国家承認されているが、残りの半分からは承認されていないような状態にある。

 そこでモンテビデオ条約は、第3条において、次のようにも定めている。「国家の政治的存在は、他の諸国による承認とは無関係である。承認前においても、国家は、保全及び独立を擁護し、その維持及び繁栄のために備え、したがってその適当と認めるところによって自国を組織し、その利益に関し法律を設け、その公務を執行し、その裁判所の管轄及び権限を明定する権利を有する。」

 つまり、他国によって承認される前であっても、国家としての要件を満たしている実体は、「国家の政治的存在」となることができ、国家としての活動を行う権利を持っているとされるのである。これは極めて重大な含意を持つ条項である。なぜなら、このモンテビデオ条約第3条の考え方にしたがえば、台湾を国家承認していない日本であっても、台湾という「政治的存在」が「保全及び独立を擁護し、その維持及び繁栄のために備え」ていく権利を認めることはできるからである。

 国際法が、こうした曖昧な余地を残す運用を認めていることを、国際法という法体系の不備だと考える者もいるかもしれない。だがそれは必ずしも正しくない。国際法では、一定の曖昧さを許容しながら、守るべき中核的な法的利益だけは守っていく態度こそが重要になる場面がある。

 国際社会には世界国家が存在せず、世界警察も世界裁判所も存在しないので、国内社会と同じ一元的な管理体制を求めることは、そもそも無理であり、不適切である。しかしそれでも武力行使の禁止といった一般原則については普遍的に適用していくのでなければ、最低限の国際秩序も守られなくなってしまう。

 いかなる国家も、他国に対して、ある政治的実体を国家として承認せよと命令することはできない。しかしだからといって、まだ国家承認をしていないことを理由にして、事実上の国家である政治的実体が支配する地域に武力侵攻する侵略国の行為が許されてしまったら、国際法の一般原則は、崩壊してしまう。

 「現状維持」を望むことは、「一つの中国」を認めても、武力行使禁止という国際法の一般原則を台湾海峡に適用することである。日本の安全保障政策も、その理解を大前提にしたもので、おかしくない。

◆日本の学校教育における国家の定義の誤り

 日本の学校教育では、「国家の三要件」なるのが、あたかも普遍的な世界の真理であるかのように教えられている。教科書の作成者らが、「憲法学通説」の伝統に盲目的に従い続けているからだ。しかし、実は「国家の三要件」説には、何も法的根拠はない。ずっとそういう風に教えている、だって自分が子どものときにもそう習った、というだけの話である。

 これは、戦前の大日本帝国憲法時代の日本で、プロイセン流の「ドイツ国法学」が国策で導入された際に定着した伝統である。ただ、偉い帝大の美濃部達吉先生が、偉い独逸のイエリネック先生らにならって言っている学説だ、という理由で、従わなければならない社会規範となっているだけにすぎない。

 以前に私は、高校の教科書の作成に携わったとき、国家の定義の説明に、モンテビデオ条約への参照を入れようとして、「センター試験の準備には不要だ」という理由で高校教員の委員の方々の反対に遭ったことがある。

 日本人にとって国際法はなじみのない分野だ。法律家であっても、ほとんど国際法を勉強していない。たとえば令和二年度司法試験受験者で国際関係法(公法系)を選択したのは、わずかに全体の1.39%だった。今や選択科目としての存続も危うくなってしまっている。公務員試験においても国際法の比重は小さかった。ここ数年の目に見えた努力で国際関係部門の枠は広がってきているのは朗報である。だが、私が6年ほど試験委員を務めている国家公務員一般職「国際関係」の選択者もまだまだ少ない。さほど難しい問題にしているつもりはないのだが、「面倒そうな内容だから捨てよう」と助言している予備校などがあったりして、腹が立つことも多い。

 しかも国内法の中核的な科目である憲法の受験にあたっては、芦部信喜・元東大教授などの限られた数の「通説」の立場をとる学者の書いた「基本書」だけがバイブルのように扱われてきた。日本の政治家の多くが、法律家と公務員の出身者であることを考えると、日本社会の思考の停滞の根源的理由はここにあるのではないか、とすら思える。

 私は従来から日本の大学の憲法学担当教員が多すぎ、国際法学担当教員の数が少なすぎる、と憂いている。中国は、国策として、大量の国際法の専門家を育成している。やがて数的格差に直面して、国際法をめぐる議論で、日本は中国に立ち向かえなくなるだろう。そうなる前に手を打ってほしいが、悲観的にならざるを得ない現状であるのは、残念である。

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