メディアも大学も餌食に、香港でエスカレートする民主派への弾圧  福島 香織(ジャーナリスト)

【JBpress:2021年7月22日】https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66172

 「香港国家安全維持法」(国安法)によって、香港がいよいよ「白色テロ」(反政府運動や革命運動に対する厳しい弾圧)の時代に入った。

 「リンゴ日報(蘋果日報)」が発行停止に追い込まれたのち、次に起こったのが全区議会議員に対する忠誠宣誓への署名要求だった。先週末で少なくとも214人の区議がこの署名に反対して辞職した。

 2021年5月に香港立法会で可決された公職条例に基づき、区議を含む全公職者は香港基本法の遵守と香港政府への忠誠の宣誓に署名することが求められ、それを拒否した場合は議員資格を剥奪され、議員報酬の返納を求められることになった。議員たちには7月下旬から署名を求められる予定だが、「その前に辞職すれば2020年1月以降の議員報酬(100万香港ドル相当)の返納義務は避けられる」と一部メディアが7月6日に報じたため、辞職ラッシュが起きていた。

 2019年11月の区議選挙では、全18区479議席中、直接選挙枠452議席の8割超の389議席を民主派が獲得して圧勝した。だが、2020年7月の民主派による「予備選挙」に参与したり、事務所に「光復香港、時代革命」といった反送中デモのスローガンを掲示したりしている区議は、それだけで香港政府に忠誠をもっていないとして議員資格を剥奪されるとみられており、その数は少なくとも230人に上るという。すでにそのほとんどが辞職したことになる。

 香港市民が選んだ区議に対し、「議員報酬」を人質にとって辞職を迫る「恫喝」のようなやり方は、一種の政治迫害だ。香港政府の要求する忠誠とは、公務員の義務としての当然の忠誠ではなく、香港政府や中国の圧政や不条理、錯誤にも目をつぶって隷属することを意味するもので、有権者、市民の利益のために働くという英国統治下から続く公僕の定義を大きく逸脱するものだろう。

◆「台湾を主権国家扱いする報道」を禁じる

 こうした政治迫害ともいえる忠誠要求は、公職者に対してだけでなくメディア従事者、大学職員にまで拡大している。

 リンゴ日報に続く香港メディアに対する迫害事件としては、香港政府出資の公共放送ながらその果敢な報道姿勢で「香港のBBC」と評価されてきた「RTHK(香港電台)」に対する報道規制通達がある。

 RTHKはこのほど全従業員に対して、台湾を主権国家扱いする報道をしてはならないと通達した。中華民国、国立、行政院、台湾総統、台湾政府などの単語は使えなくなり、行政院は行政機構、台湾総統は台湾地域指導者、台湾政府は台湾当局と言い換えなければならないという。「香港のBBC」はすでに「香港のCCTV」、つまり中国共産党の宣伝機関に落ちぶれてしまった。

 ちなみに最近、香港のある一般メディアが「蔡英文総統」と表記したことについて、読者が香港通信事務管理局にクレームを入れたことがあった。だが、その時は、「蔡英文総統」という表現に違法性はなく、使用を禁じる根拠は不足しているとの判断を出していた。だが、今回の通達からみるに、今後は「蔡英文総統」という表現は「台湾地区指導者、蔡英文氏」と改めねばならないようになっていくだろう。

 RTHK内部からの情報によれば、香港政府の新聞管理部門が、国民党旗を基にした中華民国旗の青天白日満地紅旗や総統府の写真、映像などの使用禁止令をすでに各メディアに出しているという。

 かつてRTHKの番組キャスターを務めたこともあるジャーナリストの劉鋭紹が米国の放送局「ラジオ・フリー・アジア」にこう語った。「今回のRTHKの内部通達は、北京当局がすでに、?小平が提示した一国二制度に背いているということだ」「これはおそらくメディアだけでなく、普通の市民の身の上にも及んでくるだろう。そうなれば、一国二制度はますます曖昧になり、最後は、香港はイデオロギー的にも中国化してしまう」。

 また、香港記者協会の陳朗昇主席は「台湾報道に関するこうした要求が行われたのなら、今後、その制限の範囲はどんどん広がっていくだろう。おそらくほかのニュース、たとえば香港に対する制裁のニュース、今年(2021年)7月1日に起きた会社員の警官襲撃ようなのニュースなどについても、その表現について規制がかかってくる」との懸念を示した。

◆活動を停止させられる大学の学生会

 さらに大学に対する弾圧も激化している。7月16日、香港大学に警察のガサ入れ(家宅捜査)が入り、パソコンなどが押収された。香港大学がテロ行為の宣伝をしているというのがその理由だ。

 7月1日、繁華街の銅鑼湾でデモを防止するために警戒にあたっていた香港警察官を香港の豆乳飲料メーカー「ビタソイ(維他?)」の社員が後ろからナイフで刺し、その後自殺した。この事件について、警察側は「本土派(香港が中国と違う固有の文化、政治体制をもつ地域であるという政治主張者)による単独テロ事件」と断定している。

 問題となったのは、香港大学学生会が7月7日に「心が痛むほど悲しい。彼は香港のための犠牲者だ」とする哀悼の声明を出したことだった。学生会の声明は「テロ行為の宣伝」であり、国家安全維持法違反に当たるとみなされたのだ。

 この「本土派単独テロ事件」では、重体を負った警官より、自殺した容疑者男性の方に市民の同情が集まった。事件現場には多くの献花がよせられ、ビタソイの社員も容疑者遺族に哀悼のメッセージを送った。だが香港当局は、こうした市民やビタソイ社員の言動が「凶悪なテロ犯罪を擁護、煽動している」として、献花したり哀悼をしたりする者も国安法違反になりうるという。中国では、こうした動きに反発し、ビタソイの不買運動が起きている。

 学生会は当局からの批判を受けて哀悼の声明を撤回し、謝罪を発表した。だが、林鄭月娥(りんてい・げつが、キャリー・ラム)長官はこれを許さず、学生会を摘発する意向だ。香港大学はすでに学生会との関係を絶ち、拠点の撤収を命じている。学生会は国安法違反で刑事罰に処される恐れがある。

 香港工党主席で、香港大学学生会の元会長の郭永健は米メディア「ボイス・オブ・アメリカ」のインタビューで、これを「白色テロ」と形容して批判した。「学校側も学生会を排除し、根絶したがっている」「国安法は学生の思想も裁こうとしている。学生たちが逮捕、拘留の危機に直面しており非常に深刻な状況だ」という。

 すでにほかの大学でも学生会が解散させられたり、活動が停止させられたりしている。香港中文大学、香港城市大学、香港理工大学、嶺南大学などで、学生会の活動停止が宣言されている。

 香港大学学生会は1912年に誕生した香港で最も早期に設立した学生会で、香港の社会運動に何度も積極的に参加してきた。2014年の雨傘運動、天安門事件の追悼活動、そして2019年の反送中運動。こうした社会運動の中から優れた社会運動家を排出してきた。

 郭永健によれば、英国統治時代の香港当局は、学生運動に対してもっと寛容であったという。1970年代当時の香港大学学生会は国粋主義者、左派学生の集まりで、英国統治政府とは対立する立場にあったが、少なくとも英国統治政府は大学の中の言論と思想の自由を認めていた。だが、香港が英国から中国にハンドオーバー(返還)されて20年余り、ついには大学の自治、思想・言論の自由まで失われてしまった。そして100年以上続く学生会の歴史が終わろうとしているのだ。

 大学側は新しい学生組織を作るかもしれないが、新しい学生会はおそらく、中国の大学の共青団支部のような、共産党の指導による学生組織になってしまうのではないだろうか。

◆政府とビジネス界の姿勢に乖離

 こうして、香港の政治迫害、思想、言論弾圧は公職者やメディアだけでなく、学問の園にまで波及し、体制と異なる意見をもつ若者たちを「テロリスト」扱いするような白色テロ時代に入った。これに対して、西側自由主義陣営の国家は手をこまねいているだけなのだろうか。

 バイデン政権はこのほど米国企業に対して初めて、香港国家安全維持法などがもたらす事業リスクに関する勧告を出した。勧告は、国務省、財務省、商務省、国土安全保障省の4省連名で出されており、香港で活動する、または米国が香港関連で指定している制裁対象と関わりのある米国の企業、個人、その他学術機関や研究者、投資家らを含む主体を対象に、主に次の4つのリスクにつき注意を促している。

(1)「香港国家安全維持法の施行に伴うリスク」──米国民を含む外国人も逮捕されている。

(2)「データ・プライバシーに関するリスク」──行政当局から電子的な監視を受ける可能性がある。

(3)「透明性と重要なビジネス情報へのアクセスに関するリスク」──自由で開かれた情報へのアクセスが制限される可  能性がある。データ保護法の見直し要求をするアジアインターネット連盟のフェイスブック、ツイッター、グーグル  は、もし改善が約束されないようであれば香港から撤退すると示唆している。

(4)「米国の制裁対象となっている香港または中国の事業体・個人とのかかわりに伴うリスク」──米国の制裁措置を順  守しない場合、米国の法令に基づき民事・刑事罰の対象になり得る。他方で、米国の制裁措置を順守した場合、中国  の反外国制裁法によって制裁を受ける可能性もある。

 これらに加えて、香港自治法に基づき香港政府、中国政府官僚に対する個人制裁リストも、11人からさらに7人増やして18人とした。

 こうしたバイデン政権の対応からは、米国の香港問題に絡む対中姿勢は十分に強硬に見える。だが、一方で在香港の米国企業は依然として香港に恋々としている。

 香港米国商会のタラ・ジョセフ会長は「香港は依然ビジネスをするには良い場所であり、目下、国安法が香港のビジネス関連の法律に波及する様子はない」として、在香港米国企業がすぐに撤退する可能性は低いとの見方を示している。

 これに対して、香港のコラムニストで評論家の劉進図は、政府とビジネス界の香港の今後の展望に関する見方が一致しておらず、「政冷経熱」現象が起きている、と分析している。

 香港米国商会のメンバーは1400人。長く香港でビジネスをしており、なんどとなく政治リスクを乗り越えてきたという自信を持つ者も多い。香港総商会の梁兆基は「香港のビジネス界はいかなるリスクに対しても掌握できるほど成熟しており、異なる政府の発する勧告に留意しつつ、自分でビジネスリスクの内部評価を行うこともできる」との見解を公表している。

 英紙「フィナンシャル・タイムズ」(7月14日付)によれば、世界の投資家が今年争うように中国資産を買いあさっており、今年これまでのところ、香港市場(滬港通、深港通)で前年同期比49%増の353億ドルの中国企業証券が購入された。また同時期、海外投資家が前年同期比50%増の750億ドルの中国国債を購入しており、この増え方は過去最高のスピードだという。

 この状況をみると、米国が本気で香港の自由を取り戻すために、金融制裁などの手段をとるとは考えにくい。むしろ米中対立が先鋭化するほど、香港は中国国内唯一の「人民元資産」を外貨で買える人民元オフショアセンターとして存在感を強める可能性がある、ということになる。

 白色テロ時代に突入した香港で、思想や言論の自由を求めるだけでテロリスト扱いされ、あるいはテロ煽動家扱いされる現実を、誰も気に留めずに投資やビジネスにいそしむ世界が本当に実現してしまうのだろうか。そんなディストピア小説のような社会の出現を米国を含む国際社会が許すならば、ポストコロナの世界の半分は本当に中国が支配することになるかもしれない。

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