ドイツで”脱中国”の外務大臣が国民人気を集めるワケ  川口マーン惠美

【PRESIDENT Online:2022年1月18日】

■得票率14.8%だった緑の党から“素人外相”が誕生

 ドイツに新政府が発足してからすでに1カ月が過ぎた。16年の長きに亘ったCDU(キリスト教民主同盟)のメルケル政権を引き継いだのは、社民党(SPD)のオラフ・ショルツ政権。緑の党、自民党(FDP)との3党連立政権である。

 社民党は言うまでもなく、社会民主主義を信奉する人たちの政党だ。緑の党は、今では環境党のような顔をしているが、元はと言えば新左翼の流れを汲むかなりの左翼。今も外は緑だけれど中身は赤く、スイカとも言われる。つまり、この2党を見る限り、EUの真ん中に左寄りの政権が誕生したことは間違いない。ただ、3つ目の自民党は、自由な市場経済を重視するリベラル党で、信条としては保守。元々緑の党とは反りが合わない。つまり、3党がどのように折り合いをつけていくかが新政権の課題でもある。

 さて、この政権内で無視できない力を振るっているのが、実は緑の党だ。先の総選挙で、緑の党を率いて戦ったのは、ダブル党首の一人であるアナレーナ・ベアボック氏(41歳・女性)。選挙戦中にスキャンダルが出たこともあり、得票率は14.8%にとどまったが、それでも政権には滑り込んだ。そして、蓋を開けてみたら、政治経験の浅いベアボック氏が、いきなり女性で初のドイツ外相に就任。そんな素人が欧州の重要国ドイツの外交を担えるのかと不安を覚える国民は多い。

◆怖いもの知らずの言動に中国側が反発するほど

 しかし、目下のところベアボック外相は健闘している。まだ正式に政府が発足していなかった昨年11月、早くも彼女は中国には妥協のない態度で臨むと公言し、北京五輪の外交的ボイコットにまで言及した。さらに12月の日刊紙「ディ・ターゲスツァイトゥンク」のインタビューでは、「雄弁な沈黙は長期的には外交ではない。たとえ、これまで多くの人がそう思っていたにせよ」と述べて、皆を驚かせた。

 雄弁な沈黙というのは、多弁でありながら言うべきことは何も言っていないという意味だから、これまでのメルケル政権の親中路線に対する痛烈な批判である。メディアと国民が偉大な政治家と持ち上げるメルケル前首相にここまで盾突くとは、怖いもの知らずというか、自らの理念に忠実というか。ちなみに新政権の施政方針には、南シナ海、台湾、香港、さらに新疆ウイグルなど各種中国問題がてんこ盛りだ。

 いずれにせよ、ある程度予想していたとはいえ、ベアボック氏の発言に一番びっくりしたのは中国共産党だろう。ベルリンの中国大使館はすぐさま、「われわれが必要としているのは壁を作ることではなく、橋を架けることだ」と反発、けたたましく警鐘を鳴らした。中国側にすれば、せっかく長年かけて培ってきた独中の枢軸が、こんな小娘の生意気な言葉で覆されるなど絶対にあってはならない。

◆“メルケル派”のメディアも手のひらを返し始めた

 そのベアボック氏、正式就任と同時にG7の外相会議に出席し、その翌日からはパリ、ブリュッセル、ワルシャワ、そして、新年明けたらワシントンと、精力的に飛び回っている。そして、それら一部始終を、独メディアが非常に好意的に追う。

 風見鶏のマスメディアがベアボック氏にエールを送り始めた理由は、最近、世界で高まりつつある中国批判と無関係ではないだろう。これまで彼らはメルケル前首相に忠実で、中国批判は極力控えていたが、さすがにそろそろ修正が必要だと思い始めている。そこで、ちゃっかりベアボック氏の反中旋風に便乗するつもりだ。そう思って見ると、最近の報道に使われているベアボック氏の写真は、スキャンダルで叩かれていた頃のそれとは打って変わって、どれもこれも気分がスカッとするほど凛々(りり)しい。

 実はドイツの政界ではここのところ、これまでの親中政策を修正しようという動きが次第に高まっている。しかもそれは緑の党だけでなく、今までメルケル首相の権力の下、中国批判が封じ込められていたCDU内でも同様だ。

 ただ、肝心の社民党は、これまでの16年のうちの12年もメルケル政権と連立を組んでいた上、「メルケル政治の継続」を謳い文句に選挙に臨んだため、思い切った政策転換が打ちにくいという問題を抱えている。つまり、今やショルツ首相にしてみれば、ベアボック氏の人気はまさに渡りに船。そういう意味では、ベアボック氏は今、適正な波の上に乗っかっている。

◆中国資本によるドイツ企業の買収が相次いだが…

 さて、ドイツと中国の密接な関係は、すでによく知られている。中国の資本によるドイツ企業の買収も、ここ10年ほどで急速に進行している。

 例えば、フランクフルトにあるもう一つの空港、ハーン空港。以前、米軍が空軍基地として使っていたもので、一時はドイツ国の航空母艦とまで言われた。90年の終わりよりアイルランドの格安航空会社ライアン・エアが使用、空港の持ち主は、95年からはラインランド=プファルツ州(82.5%)とヘッセン州(17.5%)だったが、2016年、それを買収しようとしたのが上海のSYT社(Shanghai Yiqian Trading)。交渉はSYT社の全権代表であったチョウ氏が取り仕切った。取引値段は1300万ユーロと言われる。

 チョウ氏によれば、SYT社は中国でも有数のホールディングカンパニーで、資金を提供するGuo Qing社も20万人の従業員を抱えるゼネコンという話だった。ハーン空港を、中国人旅行者のメッカにするとか、独中貿易に特化した空港として大開発をするとか、勇ましい話が飛び交った。これが実現すれば雇用も増え、地域の活性化に役立つと、地元の政治家は浮足立った。

 ところが、第1回目の支払いがなされず、調べてみると、SYT社の存在を、中国の商工会議所は知らなかった。南西ドイツ放送(SWR)の上海特派員が同社の本社を訪ねてみると、小さな部屋で、積み上げられた段ボール箱の間に5人の従業員が座っていたそうだ。

 典型的なペーパーカンパニーだが、部屋に積み上げられた段ボール箱にちなんで、ドイツの新聞は同社を「段ボールカンパニー」と呼んだ。

◆ドイツの技術が中国に流出している

 当然、商談は潰れ、その後の仕切り直しで、結局、ハーン空港は、その翌年に中国の海運大手の海航集団が買い取った。しかし、昨年、同社も倒産。空港は閉鎖されてはいないが、すでに展望はない。それにしても不思議なのは、普段は用心深いドイツ人が、なぜ中国に対してだけはこれほど無防備なのかということだ。

 産業ロボットの先進技術を持つKUKA社が中国に買収されて大問題になったのも、やはり2016年だった。以来、さすがのドイツ政府も慎重になり、その後、中国の福建芯片投資基金(FGC)が試みたアイクストロン(Aixtron)社の買収は認めなかった。アイクストロンは半導体の生産設備(有機金属化合物半導体用MO-CVD装置)を手がけるハイテク企業で、正確に言えば、この買収をドイツ政府に止めさせたのは米国だった。米国は、同社の技術が中国へ流出し、核技術、ミサイル、人工衛星など軍事産業に流用されることを懸念した。

 ただ、米国のアクションも、はっきり言って、時すでに遅しの感は否めない。今や北京のメルセデスの最新工場では、KUKAのロボットが活躍し、現地スタッフは「ドイツの技術と中国のスピード」と豪語している(現地で見てきた人の話)。また、アイクストロン社の持つ技術も、おそらく中国はすでに他の方法で手に入れているに違いない。

◆救いの神だった中国企業が災いのもとに転じる恐れ

 さらに今年の新年早々、衝撃的なニュースが流れた。ドイツの伝統的な造船企業であるMVウェルフテンの経営が破綻した。同社は豪華クルーズ船の建造では世界一の規模を誇り、中でも現在建造中の「グローバル・ドリーム」号は破格。最高9500人の乗客と2500人の乗務員を収容し、甲板には遊園地やジェットコースターまである。こういう巨大なアイデアを出すのはもちろん中国人で、2016年よりMVウェルフテンはゲンティン香港の所有だ。豪華クルーズブームの最中、中国の富裕層の需要を見込んで20億ユーロが投資された。

 ところがコロナでクルーズもカジノも立ち行かなくなり、お金の尽きたゲンティン香港は、MVウェルフテン救済のための出資6000万ユーロも拒否した。1月10日時点では12月の給与も支払われていない。そこで仕方なく経済省が6億ユーロを注ぎ込み、今、手がけている豪華船だけは完成させるというが、すでに1900人の雇用が揺らいでいる。

 MVウェルフテンの経営破綻が何を示しているかというと、従来の懸念材料であった技術の流出とは別に、これからは、救いの神だった中国企業が災いのもとに変わるかもしれないという事実だ。ドイツ人は破格なことに憧れがちで、それだけに中国人の広げる大風呂敷に魅了される。そして、中国人とウィン・ウィンの関係を構築した自分たちの才覚に満足し、中国人と歴史問題などで躓(つまづ)いている日本人を少しバカにしていた。しかも、独中の共栄はこれからもずっと続くと思い込んでいた。しかし、今、その幻想がガラガラと音を立てて崩れ始めた。

◆ウィン・ウィンどころか中国優勢になっている

 ただ、実際問題として、ドイツはすでに中国から離れられない。ドイツの自動車産業は巨大な中国市場に完全に依存している。しかも2025年には中国での車の販売数は、現在の2400万台から3550万台に伸びると言われ、投資も衰えていない。ディ・ヴェルト紙によれば、昨年BMWは中国に新たに10億ユーロを投資する予定だったというし、70年代から中国に進出しているフォルクスワーゲン社は、今では生産した車の4割が中国市場向けだ。同社の中国事業の歴史を見ている限り、天安門事件など存在しなかったかのようだ。

 5Gの整備に関しては、他の多くの国々がセキュリティ問題を懸念してファーウェイの技術を排除しているにもかかわらず、ドイツは採用の方向に進むと思われる。ファーウェイを排除など、すでにドイツにはできない。独中ウィン・ウィンの時代は終わって、中国が優勢になっている。すでにフォルクスワーゲン社は、自動運転技術の開発でファーウェイとの提携を検討しており(日本経済新聞1月11日付)、同社のEVが走る盗聴器となることを懸念する声も上がっている。

 なお、ドイツと中国の密着は、すでにあらゆるところで起こっている。国際オリンピック委員会のトーマス・バッハ会長が中国の言いなりなのは日本でも知られているが、ドイツのオリンピックスポーツ連盟のトーマス・ヴァイカート会長も、今回のベアボック氏の冬季五輪のボイコット案に関して、「いい加減にすべきだ!」と憤った。

◆ベアボック外交を産業界は支持するのか

 思えば2007年、首相に就任してそれほど間もなかったメルケル氏は、首相官邸にダライ・ラマ14世を招き、激しい中国の攻撃に晒(さら)された。以来、氏は中国の嫌がることは一切言わなくなり(常にアリバイ程度)、商売一筋に切り替えた。一方、メルケル氏はプーチン大統領とは仲の悪そうなシーンを演出しつつ、実は深いところで共感していたとも言われる。ただ、そんな変幻自在のメルケル氏も、トランプ前大統領相手の外交には完全に失敗し、4年間、独米関係を停滞させた。

 今後、ベアボック氏がどんな外交を紡ぎ、何を成功に導き、どこから反発を受けるのか、すべてはまだ霧の中だ。しかも、肝心なのは、氏の中国に対する挑戦を、ドイツの産業界がどこまで大目に見てくれるかという点だろう。また、ショルツ首相がこの元気な外相をどのように利用し、どの程度コントロールできるのかも興味深いところだ。

 ショルツ新政権は何が飛び出すか分からないガチャ政権だ。16年のメルケル政治に退屈しきっていたドイツ国民にとっては、それはそれで楽しみな政権でもあるようだが、激しい脱線はヨーロッパ全体に混乱をもたらす。そういう意味で緑の党はかなりの危険ファクターでもある。特に、これから世界の列強に揉まれるであろうベアボック氏の動向が注目されている。

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川口 マーン 惠美(かわぐち・マーン・えみ)作家日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)がある。

──────────────────────────────────────※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。


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