◆自由に対する中国の焦り
去る2月、台北で蔡英文総統にお会いし、能登地震への心温まる25億円の支援についてお礼を申し上げた。
蔡総統は、米中大国間競争時代という台湾にとって極めて困難な時代に現実主義の立場に徹し現状維持を唱え、2期8年にわたり台湾海峡の静けさを守ってきた。
「閣下のような優れた指導者をもったことは、台湾にとってのみならず、世界にとっても素晴らしい僥倖(ぎょうこう)でした」と申し上げた。
台湾は、李登輝総統という天才を得て見事に民主化し、自由の島へと変貌した。
若人の間に自由台湾というアイデンティティーが育っている。
チベット、新疆ウイグル、内モンゴルという少数民族問題を抱える中国はいらだちを抑えきれない。
昨今、中国が、中華人民共和国が国連代表権を回復した第26回国連総会2758号決議に言及して、中国は一つであり、台湾は中国のものであるとのキャンペーンを張っているという。
この決議は国連で中国と名札のついた椅子に誰が座るかを決めた決議で、台湾という島の領有権に関する決議ではない。
中国の焦りが見える。
台湾有事の暗雲も垂れ込め始めた。
日本にとって台湾とは何か。
もう一度、確認するときである。
まず台湾が歴史的に中国の島であるという主張は、単純に事実に反する。
台湾は長い間、陸のアジアと海のアジアの狭間(はざま)にある地政学的要衝であった。
陸のアジアとは、明朝及び清朝である。
海のアジアとは、かつて地球を制覇した欧米列強のことである。
◆日本との歴史的関係
16世紀まで台湾にはマレー系住民がバラバラに住み着いていた。
沖縄の南側に台湾、ルソン、ミンダナオ、カリマンタン、スラウェシと続く列島線は、海洋民族だったマレー系の人々の島だった。
16世紀くらいから福建省の漢人や客家が台湾西部の平野に少しずつ住み着いていった。
この頃、明の支配が台湾に及んだことはない。
大航海時代には日本、中国への交易に至便な台湾島に欧州勢が目を付けた。
海のアジアが陸のアジアを圧する形で台湾の歴史が始まる。
最初に台湾に根を張ったのはインドネシアのバタビアに拠点を置いていたオランダである。
そこに満州族に追われた明の皇子が逃げ込んでオランダ勢を駆逐する。
この明の残党を平らげ、初めて清朝の影響力が台湾に及ぶ。
だが北方馬賊の満州族が建てた清朝は台湾に強い関心を持たなかった。
19世紀に入ると、産業革命を成し遂げ一気に国力を上げた欧州勢が大清帝国を解体していく。
ロシアはアムール川以北及び沿海州を奪い、英国はアヘン戦争で香港を奪い、フランスは清仏戦争でベトナムを得た。
フィリピンはスペイン領から米国領に移った。
明治日本は琉球支配を確立していた。
「大清帝国が解体されていく過程で、台湾は誰かのものになる」。
そう強く危惧したのは井上毅(こわし)である。
欧米視察に随行してその軍事力、産業力に圧倒された井上は、牡丹社事件で大久保利通と北京に赴いた後、大清帝国の凋落(ちょうらく)を確信したはずである。
井上は、東シナ海と南シナ海を結ぶ台湾島は、海軍戦略上、あるいは、通商戦略上、最重要な拠点となることを見抜いていたのである。
日清戦争は、朝鮮半島を巡る戦いであった。
辛勝した日本は、朝鮮の独立を勝ち得るが、遼東半島は三国干渉で放棄させられ、直ちにロシアに奪われた。
人々の目が朝鮮半島、遼東半島に釘(くぎ)付けになっているとき、井上毅が、南方の台湾領有を強く進言し、台湾は日本領となった。
結局、中国が台湾を支配したのは、17世紀末から19世紀末までの200年間に過ぎなかった。
当初、果敢に抵抗した台湾住民を鎮圧した日本は、その後の統治で、インフラ整備、国民教育で実績を上げていった。
◆21世紀の自由主義哲学
日本敗戦後、中国には中華人民共和国が建国され、台湾に入城した蒋介石の命運は風前の灯火(ともしび)であったが、朝鮮戦争勃発で米国が台湾を西側の防衛圏に組み入れた。
大陸反攻を目論(もくろ)む蒋介石は国共内戦の混乱を台湾に持ち込み、苛烈な独裁支配を敷いた。
数万人を犠牲にする暴動が起き、残虐に鎮圧されている。
しかし、息子の蒋経国が台湾の経済発展に道筋をつけ、続く李登輝が台湾を見事に民主化した。
日清戦争以来、大陸中国と全く異なった歴史を歩んできた台湾は、見事に繁栄する自由の島となった。
今やその人口は2300万人を数え、GDPはG20サイズの堂々とした大国である。
今日、日本にとっての台湾の重要性は明白だ。
台湾は自由の島であり、かつ、地政学的な要衝であるということである。
1970年代に作られた「一つの中国」という命題は今も厳然としてある。
しかしそれは事実上、北京と台北に分断された中国の現状を維持することが前提だ。
台湾海峡の平和が前提なのである。
21世紀の私たちの自由主義哲学は、住民の自由意思に統治の正統性を置く。
台湾問題の解決は平和的なものでしかありえない。
それを可能とするのは、おそらく中国の民主化だけであろう。
(かねはら のぶかつ)。
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