葬が3月17日に国際教養大学で執り行われた。
大学のホームページには、当日の関係写真とともに「葬儀には、佐竹敬久・秋田県知事
ほか、文部科学省、県、大学関係者、企業の皆様、在学生、同窓生、教職員など、故 中嶋
学長にご縁の方々約1,200名の参列をいただき、故人を偲びました」と報告が掲載されている。
同ホームページには「このたび、生前の御功績により、内閣総理大臣より、従三位に叙
され瑞宝重光章を受賞いたしましたことを慎んで御報告します」ともある。
本会の小田村四郎会長も懇篤な弔電を送っているが、台湾の李登輝元総統からも長文の
弔電ならびに「知音益友」と書かれた弔意の扁額が送られた。「知音益友」(ちいんえき
ゆう)とは互いに気心が知れた親しい友人で、交わってためになる友人」という意味だと
いう。李登輝元総統と曾文恵夫人の連名で書かれている。
李登輝元総統からの弔電は、冒頭「李登輝個人のみならず、台湾は偉大なる友人を失っ
た」とあり、悲報を聞き及んだときの喪失感の深さが胸に迫る。台湾では黄昭堂・台湾独
立建国聯盟主席、日本では中嶋嶺雄氏と、肝胆相照らす心友を喪った李元総統の心情はい
かばかりだろう。下記に弔電の全文をご紹介したい。
改めて中嶋嶺雄氏から本会に賜った数々のご厚情に御礼申し上げ、哀悼の意を表すると
ともに心からご冥福をお祈り申し上げます。
なお、中嶋氏は松本深志高校の同窓会会長を務めていたことから生まれ故郷の長野県で
も偲ぶ会が執り行われるようだが、東京でも6月2日に港区虎の門のホテルオークラ東京で
執り行われるという。詳細が分かり次第、本誌でもお伝えしたい。
また、本会副会長でもある田久保忠衛・杏林大学名誉教授が追悼の一文を産経新聞に発
表していたので、平山一城(産経新聞編集委員)の一文と併せ、別途ご紹介したい。
◆故 中嶋嶺雄理事長・学長の大学葬を執り行いました。 [国際教養大学HP] http://www.aiu.ac.jp/japanese/news_bak/aiu/2013/news_bak130317.html
2013年3月17日
台湾元総統 李 登輝
中嶋先生! 台湾では旧正月が明けたばかりの2月19日、中嶋先生の訃報を耳にしたとき
の衝撃は忘れられません。かけがえのない友人を失ったのは私、李登輝個人のみならず、
台湾は偉大なる友人を失ったのです。その悲しみはとても言葉では言い表せないほどでした。
日台断交に前後して、日本の政治、マスコミがこぞって中華人民共和国との国交樹立に
なびき、文化大革命を礼賛していた時代に、ひとり台湾に想いを寄せて下さったのは中嶋
先生でした。論壇において時代の潮流に抗い、台湾の重要性を解いた先生の勇気と見識
に、私は畏敬の念を覚えたのです。
私が副総統の時代、中南米訪問の帰途、東京でトランジットした際に初めてお目に掛か
ったのが中嶋先生との長いお付き合いの始まりでした。ちょうど名著『北京烈々』を上梓
し、稀代の中国専門家としてその名声を大いに高めつつある時期のことでした。
その当時から20数年、中嶋先生は日本と台湾、中国を交えた東アジアの率直な意見交換
の場を設けようと「アジア・オープン・フォーラム」を主宰し、その活動は多くの台湾専
門家を生み出すとともに、日本の対中国理解のみならず、台湾をも交えた東アジア理解に
大きな影響を与えました。
中嶋先生との思い出で何より思い出されるのは、2007年5月、中嶋先生ご夫妻と私と家内
がご一緒して奥の細道を共に歩いたことです。11日間にわたるこの訪日は、改めて日本の
文化の偉大さと奥深さを私に教えてくれただけでなく、伝統的な文化を守りつつも、常に
進歩を失わない日本の姿を見せてくれました。
なかでも私が目を奪われたのが、中嶋先生がその人生の最後に心血を注いで育て上げた
と言ってもよい、国際教養大学でした。すべての授業を英語で行い、在学中は留学を必須
化するなど、大胆な国際化を進める一方、その価値観の軸足を日本が培ってきた道徳に置
き、しっかりと腰の据えた国際人を育てることに重点を置かれました。その成果は10年を
待たずに発揮され、今や国際教養大学は東大や京大を凌ぎ、就職率では日本でナンバーワ
ンの優秀な大学に育っていると聞いております。
中嶋先生! 先生がとりわけ心を砕いて下さった台湾と日本の関係は、少しずつ改善さ
れ、現在では、より友好的な関係を築きつつあります。この日台友好の種をまいてくださ
ったのは中嶋先生だと言っても過言ではありません。
中嶋先生、李登輝は、台湾は、先生が寄せて下さったご厚情を決して忘れることはない
でしょう。成長半ばの日台友好の苗は、中嶋先生が育てた愛弟子たちがきっと引き継いで
育てていってくれることでしょう。
台湾の永遠の友人である中嶋先生、どうか安からにお休み下さい。