【View point:2020年7月31日】
李登輝氏は1988年1月、蒋経国総統の死去で台湾生まれの台湾人として初めて総統となり、国民党主席となったが、当時の国民党の支配者は、戦後、蒋介石とともに中国大陸から台湾へ移転してきた「外省人」長老たちであった。
それら国民党エリートは、台湾の人口の2割にも満たない少数派であったから、国民党支配体制は、外来の少数派が土着の多数派を支配する、いびつな構造だった。台湾の民主化は、国民党主席、総統となった李氏が、国民党支配エリートを歴史の後景へと押しやる、史上稀有な「静かな革命」であった。
政党政治家の常識からすれば、国家権力者でもある党首は、あらゆる政治資源を用いて政党の利益を図るはずだ。政権交代のない国民党一党支配体制を、複数政党が競合する民主主義へと転換することは、国民党への裏切りに違いない。しかし、李氏は、現代の「哲人政治家」として、私利を捨てて公義の実現に邁進した。
李総統は毎朝、蒋経国の霊に怠りなく礼を尽くし、「誠」をもって忠良な国民党主席の継承者となるとともに、長老たち一人ひとりに引退勧告を告げて回ったという。こうして権威と権力の掌握に成功した李氏は、中央政府の議会議員のすべてを民主的に改選させ、さらに総統選挙を、国民党長老政治家たちの手から、台湾の有権者すべての自由な投票による直接民選に切り替えた。台湾の政治を台湾人の手に帰せしめたのである。以来、今日までに3回の政権交代が実現している。
天安門事件で欧米の制裁を受けていた中国を横目に、台湾の民主改革を成功させた李総統は、95年には訪米して母校コーネル大学で講演し、アジアの民主化の旗手としてその存在感を全米に示した。
ところで、実兄が帝国海軍陸戦隊の兵士として戦死している李氏は、靖国神社への参拝を念願としていた。一つの中国原則を順守する日本は、台湾の現職総統の来日を認めないため、総統退任後にようやくその念願をかなえたことも忘れがたい。
元日本人の一人として、日本のあるべき姿について熱く語る李氏は、尊敬すべき「哲人政治家」という以上に、多くの日本人の敬愛を集めた。
米中の多面的対決構造が顕在化し、アジア太平洋の情勢が緊迫の度を加える中、新型コロナウイルス禍で、世界の行く末が混迷する今こそ、私利を超え、日本に温かいまなざしを注ぐ李元総統に指針となる言葉をいただきたいところである。その声を聴くことができないことは、寂しく、残念だ。現代の「哲人政治家」の逝去に、心からの哀悼の意をささげるとともに、ご冥福を祈るしだいである。(7月30日記)
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