【読者投稿】私の台湾の娘たち─小さな国際交流 [山元 與一]

刎頚の友、山元與一先生からの手紙

                            青森県三沢市 楢崎 政志

 皆さんお元気ですか。もう12月になります。いかがお過ごしですか。

 私の亜細亜大学時代の刎頚の友、山元與一先生(鹿児島女子高校勤務)が台湾につい
て書いたのを送ってくれました。

 彼は、台湾台中市の静宜大学の留学生(駐日経済文化代表所の大使許世楷先生の教え
子)を、家族ぐるみでサポートしていました。

 今でも本国に帰ったかつての留学生の結婚式に招待されるなど、交流が続いています。
また、その後輩たちの面倒も見ています。台湾との交流がこのような形で続くのは、こ
の上なくうれしく思います。国際的な場では何かと台湾が話題になりますが、このよう
な交流が続くことによって両国民の心が固い絆で結ばれていきます。そのうれしさを伝
えたく思って、彼の書いたのを配信いたします。御笑覧いただければ幸いです。

 私の元勤務していた三沢市立第五中学校は、台北市立天母国民中学と姉妹校締結して
の交流活動がもう9年目になります。来年は交流に大変功績のあった、天母国民中学の
洪寶蓮校長先生が定年退職となります。6月の最後の卒業式に皆で行こうという計画を
立てています。皆さんで希望者がございましたら、ご連絡下さい。また。7月下旬には
三沢五中の生徒やPTAが天母中を訪問します。

 日に日に寒くなり師走を迎えます。お体にはくれぐれも御気をつけて下さい。
                               (2007年11月28日)


私の台湾の娘たち(小さな国際交流)

              鹿児島市立鹿児島女子高等学校 非常勤講師 山元 與一

 私は今までに3回台湾を訪れている。1回目が平成13年12月23日〜平成14年1月2日にか
けて、2回目が平成17年3月11日〜平成17年3月14日にかけて、3回目が平成19年9月29日〜
平成19年10月7日である。

 訪台のきっかけは、大学時代の親友、楢崎政志君(前青森県三沢市立第五中学校校長)
から誘われたからだ。

 それまでの私は台湾についての知識は、全くといっていいぐらい持ち合わせていなか
った。3回の訪問で台北・台中・台南を訪れ、多くの方々と知り合った。このことを契機
に、台湾に関する著書を読んだり、ニュース等に関心を持つようになった。

 1回目の訪台の一番の目的は、青森県三沢市立第五中学校と台北市天母國民中学との
姉妹校盟約式を執り行うことだった。その式に参加したのである。楢崎校長の、生徒に
何とかして国際感覚を身につけさせようとした、努力の結果が、天母國民中学との交流
に結びついたのだった。毎年7月台湾から、生徒20数名に職員・保護者合わせて40名前
後の方々が、三沢第五中学校を訪れている。今年で8回目とのことである。

 今年は6月に、吹奏楽部を含む総勢90人余りが三沢を訪れたと聞いている。また、8月
には30名前後の三沢第五中学の生徒・職員・保護者が台湾を訪れている。中学校規模で、
毎年、これだけの人々が相互訪問をしている学校はないでしょう。これはすべて楢崎先
生が、生徒に何とかして国際感覚をつけさようとした努力のたまものだ。

 この交流の原点は、ちょっとしたきっかけが始まりだったと伺った。楢崎先生と台南
市に在住の鄭安義さんご夫婦と、日光での出会いが最初のきっかけだったとか。楢崎校
長先生の国際交流への思い入れと、鄭安義さんの日本への想いが一致したにほかならな
い。

 台湾での実質的な世話にあたったのは、淡江大学副教授の邱榮金博士(鄭さんの娘婿)
である。先生の努力なくしては、今の交流はないといっても過言ではない。

 訪台する前に台湾のことを知りたくて、インターネットを通じて、台中で活躍してい
る喜早天海さんを知った。彼は山形県の出身で、台湾の方と結婚し、生活の場を台中に
移し、日本語学校の講師をしたり、「台中会」の世話人として、日台間の草の根交流に
懸命に努力している方で、彼もまた、台湾をこよなく愛し、台湾情報を発信している一
人である。

 「台中会」とは台中で活躍している日本人の方々や、日本に関心のある台湾の方々の
親睦団体である。1回目に訪台した時、「台中会」の忘年会が開かれ、参加させていた
だいた。またその時、静宜大学日本語学科教授だった許世楷先生(先生は現在、台北駐
日経済文化代表処代表)ご夫婦も参加しておられて知りあった。

 その静宜大学から、先生の教え子5名(林美瑩、呉如玉、鄭心冶、張馨文、何暁綺)が、
鹿児島県薩摩川内市の鹿児島純心女子大学に、平成15年4月から1年間、留学のため来日
した。喜早さんからの連絡で来日を知ったのである。

 4月13日に、さっそく鹿児島純心女子大学を訪ね、彼女らの受け入れ窓口になっている、
学生課の財部係長さんにお会いして、協力を申し入れた。その時、彼女たちと夫婦で会
い、昼食をとりながら楽しい一時を過ごした。実に素直で、向学心に燃えた、やる気満
々の学生さんと感じられた。

 これが私と静宜大学留学生との出会いである。

 何か私で協力できることはないかと思っていた。寮生活だけでは味気ないのではと考
え、時々自宅に招いて食事をしたり、県内を一緒に旅行したりして親睦を深めた。自炊
用の炊飯器や電子レンジを差し入れたり、手作りの料理をもって彼女らの寮を訪ねたり
もした。家内とも親しくなり、料理の作り方を習ったり、相互の生活習慣の違いを話し
たりして、大いに盛り上がっていた。

 留学期間中の彼女たちは、日本文化に興味を示し、茶道部に入部し練習に励んだ。ま
た、ボート部にも入部し、川内川レガッタに参加したり、地元の夏祭りや大綱引き等の
行事にも参加し、留学生活を堪能した。

 今では彼女らは私ら夫婦を、鹿児島のお父さん、お母さんと呼んで慕ってくれている。
よく電話をしたり、メールの交換をしたりして気さくに付き合っている。

 平成16年3月の帰国前には自宅に招いて、盛大な送別会を開いたりもした。彼女らは帰
国後は、留学の経験を活かして、それぞれが日系企業に就職し活躍している。

 彼女らとのつながりをより深めようと、このときのメンバーで「静純会」という名前
を付け、今も交流を続けている。

 今年の4月には、帰国後初めて、彼女らが6日間の日程で、鹿児島の桜や観光地見学に
来日した。私の家に宿泊したので、5人の娘が嫁ぎ先から帰ってきたみたいな気分を味
わった。私には女の子がなく、それはそれは華やかな6日間だった。

 彼女らとの交流を機会に私は、鹿児島県で台湾に関係のある方々で作っている「台湾
の会」に入会した。この会は、戦前台湾に住んでいて、鹿児島に引き上げたて来た方々
や、台湾で仕事をし、台湾の方々と付き合いのある人々の会である。

 地理的に鹿児島は、台湾に近い関係から、戦前から多くの方々が渡台し、教育や警察
の仕事に従事した方々が多い。今年の「台湾の会」は、台湾から鹿児島にお嫁に来られ
た方々(70名ぐらい)との会「鹿児島台湾逢菜会」との合同で開いた。

 この会のレクリェーションで私が優勝して、福岡、台湾の往復航空券をもらったのが
今回(3回目)の旅行である。

 今年10月の3回目の旅行は、嫁ぎ先の娘達を訪ねるような、それはそれは楽しい旅であ
った。彼女らの案内で、台北、台中、台南、高雄を回り、見聞を広めた。すべて彼女ら
が計画し、都合をつけて、全日程を誰か一人ずつは付きっきりで案内してくれた。単な
る観光地巡りだけではない、台湾の実生活を体験できたのは、すごくいい経験となった。

 特に最後の3日間は、鄭さんのお宅にホームスティーさせていただき、大変お世話にな
った。帰国したくない私の気持ちを察してか、台風15 号は飛行機を欠航させ、一日帰国
が延期になったのもいい思い出である。

 今回の旅で特に印象に残った場所は、烏山頭ダムに生涯をかけた八田與一の銅像があ
るダムに行けたことである。以前から八田與一については興味があり、少し調べていた
ので現場に立てたのは感慨深いものがあった。

 全く台湾への関心がなかった私が、ちょっとしたきっかけで台湾にはまってしまっ
た。 これからも彼女らを通じて、台湾との関わりを保ちたいと思っている。


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