我々友の会会員が台湾を論ずるに際し、忘れてはならない事がある。それは、その論が
「台湾の生き残り」のためのものであらねばならないという事だ。より具体的には、大陸
の併合圧力に対し「台湾が主権独立国家として存続してゆく方策を求めてのもの」であら
ねばならないという事だ。
こうした事は誰もが熟知していることであって、敢えて指摘するまでもないことのよう
である。しかし論が具体的になったとき、少なからぬ人々が例えば反蒋介石感情や反外省
人感情に捉われて忘れがちとなるのである。例えば「台湾は日本の生命線」と声高に叫び
ながら、 いざその台湾の防衛政策となると、反蒋介石感情に捉われているため、それがあ
たかも防衛政策であるが如く錯覚して「反中華民国」や「反外省人」を叫んで事足れりと
しているのは、そうした「忘れ」の一例である。
そこで、そうした状況を阻止するため、より積極的に前記防衛の方策として以下二点を
挙げることとする。
二、方策のその一は、「民主化が果たしている防波堤としての機能の再評価及び中華民国
在台湾論を強調する」ことである。
1、軍事力においても経済力においても彼の国に著しく劣る台湾が今日なおその吸収を免
れているのは、独りアメリカの保護があるからだけではなく、台湾が民主主義的政治形
態を採っているからなのだ。「アラブの春」に見られるように民主主義の尊重は今日の
揺るぎなき国際世論なのである。そうした中にあって独裁国家の大陸が民主国家の台湾
に侵攻したならば、国際世論から激しい批判を浴びせられるであろうことを大陸当局は
意識せざるを得ないのである。即ち台湾の民主主義的政治形態は強力な防波堤となって
いるのである。
2、その民主主義の実現に我らが李登輝先生が多大な寄与をしたことは誰もが認めるとこ
ろだ。しかしそれは李登輝個人として実現したのではなく中華民国総統としての地位に
基づいてのものである。しかもその総統としての地位は当然のことながら中華民国の存
在を前提とするものである。従って中華民国在台湾論は強調されてしかるべきなのであ
る。
ところが、現実には、蒋介石の悪行に目を奪われるあまり、中華民国在台湾の否定を声
高に叫ぶ者も少なくない。しかしそれは「防波堤としての民主化」を否定し、引いては大
命題である「台湾の生き残り」を否定することになることを指摘したい。
三、「台湾生き残り」の政策としての その二は、「主権独立国家としての法的地位」を確
保することである。
(1)その方法として先ず台湾の法的地位の未定を前提として、台湾が建国宣言をした上
で次いで国際社会の承認を得ることが考えられる。
地位未定を訴える論者はその承認の手始めとして、アメリカの承認を求めているようで
ある。しかし、アメリカが承認をする可能性が限りなく少ないことは誰でも認識するとこ
ろである。更に仮令アメリカが承認したところで、アメリカの力が相対的に減少した今日
にあっては、直ちに他の国々が追随することも想像し難いのである。
このことについては、陳水扁政権時代、彼に独立建国宣言を求める論があった。しか
し、筆者の想像するところであるが、仮令彼が威勢よく建国独立宣言をしたとしも、後ろ
を振り返って見たら追随する国家は名も知れない数カ国に過ぎず、しかもその状況が数年
経っても変わらないことにより、かえって台湾が<主権独立国家ではない>ことが国際的
に確立されたことに成りかねなかったのである。陳水扁氏が暴走しなかったことを評価し
たい。
地位未定論のもう一つの問題点は、将来はともかく現在は台湾に主権が存在しないこと
を自ら主張することになり、たとえ大陸からの侵攻がなされたとしても国際社会に主権の
侵害を訴えられないことである。領土は主権の主要な内容をなすものであり、それにも拘
らず自ら主権を否定することは領土に関する権利を否定することに他ならないからだ。
要するに、地位未定論は前述の中華民国否定論と同様「台湾の生き残り」を忘れた論な
のである。
(2)では、他の如何なる方策によれば主権独立国家としての法的地位の確保をすること
ができるか。
この点で重視されるのが、<中華民国は台湾にある・1949年に中華人民共和国が、その
存在を宣言した時点で中国は分裂した・中華民国は内戦で負けたけれど台湾に残ってい
る・その中華民国は主権を持つ国家である・台湾は独立を言う必要はない・中華民国を台
湾化すればよいのだ・台湾中華民国・台湾はすでに独立している>とする、李登輝元総統
の一連の発言である(台湾の主張・李登輝学校の教え・サピオ‐2000,11,1・李登輝の原
点)。
「台湾はすでに独立している」として、台湾の法的地位につき認識を新たにするその主
張は、前述した地位未定論に生じる多くの問題点を回避できる点で高く評価されるもので
ある。が、その詳細は明かされていない。そこで「台湾の法的地位」と称して以下 私なり
の解釈をする。
「台湾の法的地位」
1、1945年、国民党軍が台湾に進駐し、その統治が開始されることによって、台湾・澎湖
諸島・金門島・馬祖島は「中華民国」の一部となった。
「中華民国在台湾」の開始時期については、本論のように国民党軍が台湾に進駐した19
45年とする見解の外に蒋介石が台湾に逃れてきた1949年の時点とする見解がある。この見
解は、蒋介石の独裁性を重視して彼をして中華民国を体現するものとし、彼の台湾上陸を
もって中華民国による統治の開始としたのであろう。
しかし、もし、蒋介石の上陸(1949年)までは中華民国の領土ではなかったこととする
と、イギリスに亡命したフランスのド・ゴールと同様、蒋介石政権は故国から逃亡した亡
命政権ということになろう。しかしそれはまた、ド・ゴール亡命政権の例が示すように、
蒋介石に大陸に対する潜在的統治権が有ることを示すものであっても、亡命先の台湾に対
する統治権が有ること即ち中華民国在台湾を示すことにはならないのである。
そこで次に広く人口に膾炙される考えが、蒋介石の独裁性を重視して彼をして中華民国
を体現するものとし、彼の<1949年の台湾上陸をもって中華民国が移転した>とすること
であった。
しかし、いかに独裁とはいえ、国家と国家の構成員ないしその機関にすぎない蒋介石と
は峻別されてしかるべきであるから蒋介石の移転をもって直ちに国家の移転ありとするの
は説得力を欠くし、そもそも領土と国家は一体をなすものであるから、日本国(という法
人)だけがその領土を離れてアメリカに移るなどということが有り得ないように、中華民
国(という法人)だけがその領土を離れて領土ではない台湾に移転するなどということは
有り得ないのである。
以上要するに、1949年の蒋介石の台湾上陸をもって「中華民国在台湾」を論証すること
不可能であり、これに対し本文の如く<1945年の国民党軍の台湾上陸によって台湾は中華
民国に編入された>と捉えれば無理なく中華民国在台湾を論証できるのである。
2、1949年、中華人民共和国が大陸部分のみを領土として(それまで大陸及び台湾を領土
としていた)中華民国から分離独立した。
しかし、残りの台湾部分は、依然 中華民国がその領土として支配し続け、それ故、それ
まで有していた主権独立国家としての地位も保持し続けた。
然るに、その中華民国は1996年の総統選によって台湾共和国に成り代り(*)、それに伴っ
て 主権独立国家たる地位もその共和国に継承された。
因って、現在の台湾は共和国であり、かつ事実上のみならず法的にも主権独立国家たる
地位を有す。
* 共和制とは・・主権が国民にあり、国民が選んだ代表者たち合議で政治を行い,国民が選
挙で国の元首を選ぶ政治形態(広辞苑)
3、1971年、国連決議で「中華民国」の代表権が「中華人民共和国」に替えられた。
同決議は、大陸部分に於ける主権が「中華民国」から「中華人民共和国」に替ったこと
を反映したものである。それ故変更された代表権の範囲は大陸部分に関するもののみで、
未だ中華民国が統治する台湾部分の代表権に言及したものではない。
従って、「中華民国」の台湾部分に関する<代表権>を訴えていたならば認められる可
能性が十分にあったが、大陸反抗のスローガンを捨てきれぬ蒋介石総統がそれを敢えて拒
絶したために台湾部分に関する代表権までも失うこととなった。
しかし国連での議席(代表権)を失ったことをもって法的主権独立国家たる地位をも失
った、などと考えてはならない。この点について多くの人に混乱が見られるが、日本が か
つて国際連盟を脱退しその議席を失った後も依然として、世界の誰もが認める主権独立国
家であった様に、国連に議席(代表権)を有すか否かの問題と法的主権独立国家であるか
否かの問題とは分けて考えるべき事なのである。
4、本論(継承国家論)によったときのサンフランシスコ条約をめぐる疑問点。
(1)日本が台湾を放棄したサンフランシスコ条約締結は1951年であるにも拘わらず何故
に蒋介石が台湾に進駐した1945年をもって「中華民国」の一部となった、と出来るの
か。
1951年に締結された同条約の効果は1945年の実効支配時に遡及して(あたかも1945年に
締結された如く)その効力が生じると解されるからである。無数の法律関係を処理しなけ
ればならない平和条約の締結は多くの時間を要するのが通常であるが、他方でその期間の
統治行為の正当性を無視することは出来ない。そこで、そのような正当性を確保するため
に多くの平和条約は実効支配時に遡ってその効力が生ずると解釈されるのである。
(2)サンフランシスコ条約は日本が放棄したことを定めるだけで、放棄の相手方を言及
していないにも拘わらず何故に台湾が中華民国に帰属することになるのか。
日本の台湾領有は下関条約に基づくものであるから、その台湾領有の放棄は下関条約の
台湾に関する部分の破棄を意味すると解釈されるのである。とすれば下関条約のない状
態、即ち清国による台湾領有に復帰することとになる。しかるにその清国の統治権は中華
民国に継承されたのであるから、台湾は、たとえサンフランシスコ条約に帰属先が明示さ
れていなくても、中華民国に帰属すると解されるのである。
四、以上に対し、反論や批判がなされることは容易に推察できるところである。しかし、
それらが単に蒋介石の否定にとどまって前述した「台湾の生き残り」ないし「台湾の主権
独立国家として存続」のためのものでない限り、認めるわけにはゆかない。そうした反論
や批判は、反論のための反論、批判ための批判にすぎず、時間の浪費を招くだけのことだ
からだ。
(8月1日)
●本誌で紹介したように、台湾の国際法的な地位について、元台北駐日経済文化代表処代
表で政治学者の許世楷氏は「現在、台湾は『事実上の独立国家(de facto independent
state)』であります。そこから抜けて『法理上の独立国家(de jure independent
state)』になるためには、『中華民国』という虚構から脱皮して『新生国家(newborn
state)』台湾にならなければならない」と指摘されている。