8月19日の産経新聞の記事によると、台湾の総統府で刃物を持った男が警備の憲兵に切りつけて捕まったが、その刃物は近くの国軍歴史文物館で盗んだ日本刀で、百人斬りの証拠品として展示されていたというので驚いた。
百人斬りとは1937(昭和12)年、南京に向けて進軍中の日本軍の向井敏明少尉と野田毅少尉が、どちらが先に中国人を百人斬れるか競走したという話で、東京日日新聞(現在の毎日新聞)が戦意高揚のために書いた作り話だ。ふたりは戦後の1948年に、この新聞記事だけを根拠に南京で戦犯として銃殺された。無実で処刑されたふたりは無念であったろうが、この問題はふたりの命と引き換えに終わったのだ。ところが終戦から26年後の1971年、朝日新聞の本多勝一記者が『中国の旅』で百人斬り競争の話を再び登場させ、南京大虐殺の大嘘と共に広めていった。中国は朝日新聞が広めた嘘を最大限に利用して反日運動を展開している。
向井少尉の次女の向井千恵子さんとはご近所ということもあり親しくさせていただき、私が台湾を案内したこともあるが、まさか台湾でこんな刀が展示されているとは知らなかった。共産党との戦争に負けて台湾に逃げた国民党の中国人の一派が、最近になってから台湾でも嘘を広めようと、もっともらしい刀をどこかから持ってきて、でたらめな説明をつけて展示したのだろう。
終戦後、子供だった向井千恵子さんは毎日新聞の記事によって一家の大黒柱の父親を殺されて大変苦労されたが、百人斬りの話はそれで終わったはずだった。しかし朝日新聞が再び取り上げて広めたため、結婚して子供もいた向井さんはこれが原因でご主人との関係がおかしくなって離婚した。今度は朝日新聞によって家庭が崩壊されたのだ。
向井千恵子さんら遺族は嘘を書いて訂正しない毎日新聞、朝日新聞と本多勝一元記者などを相手に謝罪と訂正を求めて裁判を起こしたが敗訴となった。銃弾が飛び交う戦場で、日本刀による百人斬り競争など状況的にも物理的にも不可能だ。向井千恵子さんは「初めから結論ありきのおかしな裁判だった」と嘆き、「朝日新聞と本多勝一は謝罪してほしい」と悔しい思いを繰り返していたが、2014年に亡くなった。親しくしていた向井千恵子さんの無念を晴らすためにも、百人斬り競争の嘘を何としてでもなくしたい。