社員旅行で神戸を訪れる機会を得た。南に海と港、北は六甲連山が立ちはだかり、残る平地・坂
に建物が林立する街並みは私達の土地では見られない。私達、観光客の列は下校時の小学生とその
親御さんとすれ違った。この方々は様々な国からきているようだ。まるで異国に迷い込んだような
錯覚を覚える。
に建物が林立する街並みは私達の土地では見られない。私達、観光客の列は下校時の小学生とその
親御さんとすれ違った。この方々は様々な国からきているようだ。まるで異国に迷い込んだような
錯覚を覚える。
神戸は去る平成27年1月に亡くなられた作家、陳舜臣さんが終生を過ごした街である。私はこの
方の本が好きだ。陳舜臣さんは将来は日本の学究の場で職を得るつもりだったと聞くが、21歳のと
き日本の敗戦で日本人から台湾人になることを強いられる。台湾の李登輝氏も同じ思いをされてい
る。
陳さんは文学を通し中国、台湾、日本の人と歴史を私達の目の前に分かりやすく示し、その雄大
さや闇の深さを教えてくれた。アヘン戦争、太平天国などを描き、軽妙な推理小説もたくさん披露
してくれた。全7巻にも及ぶ『中国の歴史』は特に圧巻だった。中国の帝位を争う血なまぐさい人
間の在り様を読ませてくれた。これは全力投球のストレートだったと思う。
泉下の客となってしまった知の巨人は、今の日中台、東アジア状勢をどう思っていたのだろう
か。日本人に多くの文学を与えてくれた90年の生涯だった。合掌。
◇ ◇ ◇
直木賞作家の陳舜臣氏が亡くなられてから4ヵ月後の5月26日、神戸市の「陳舜臣アジア文藝館」
でお別れの会が開かれた。「台湾歌壇」代表の蔡焜燦氏は、陳舜臣氏とは司馬遼太郎氏とともに親
しい間柄だった。蔡氏はふと「陳舜臣ならこれをどう表現するかな」ともらすことがある。お別れ
の会に出たいと望まれていたが身体がままならず、本会を通じて生花をお贈りした。