届きました。まさかと思いつつ、すぐに台北のご自宅に電話をすると、息子さんが出られ「そうな
んです、今朝、眠るように亡くなりました」とのこと。驚きました。
6月29日の外務大臣表彰の受賞を心から喜ばれ、電話でお話ししたばかりでした。日本と台湾の
大きな架け橋でした。「愛日家」と言ってはばかりませんでした。
これまでのご恩顧に心から感謝申し上げ、謹んで哀悼の意を表します。ご葬儀の日程などが分か
り次第お伝えします。
下記に蔡焜燦先生の訃報を伝える産経新聞記事をお伝えします。また、母校の清水公学校のこと
をとても誇りとされていた蔡焜燦先生は、かつて榕樹文化に「これが殖民地の学校だろうか−母校
『清水公学校』−」を寄稿されました。別途、ご紹介します。
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「老台北」蔡焜燦氏が死去 李登輝氏と親交、「日本語世代」の代表的存在
【産経新聞:2017年7月17日】
【台北=田中靖人】司馬遼太郎の「街道をゆく 台湾紀行」に「老台北」として登場し「愛日
家」で知られた蔡焜燦氏が17日早朝、台北市内の自宅で死去した。90歳だった。
蔡氏は日本統治時代の1927(昭和2)年、台湾中部・台中市で生まれた。地元の商業学校を卒業
後、志願して少年航空兵となり岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊に入隊、日本で終戦を迎えた。帰
台後は体育教師などを経て電子機器会社社長を務めるなどした。
李登輝元総統と親交が深く、「日本語世代」の代表的存在として日台交流に尽力。自ら親日家を
超えた「愛日家」を名乗った。2000(平成12)年に日本で著書「台湾人と日本精神」を出版。日本
の台湾統治を肯定的に評価し、「日本人よ胸を張りなさい」と訴えた。
08(同20)年から短歌同好会「台湾歌壇」の代表を務め、台湾での日本の理解促進に貢献したと
して14(同26)年春の叙勲で旭日双光章を受賞した。台湾歌壇は今年で創立50年を迎え、今年度の
外務大臣表彰を受けた。