去る11月22日、長らく胃癌を患われていたにもかかわらず、李登輝元総統の京都大学時代の恩師で実父の柏祐賢(かいわ・すけかた)氏と李登輝氏の偉業を西田哲学から解明した『李登輝の偉業と西田哲学─台湾の父を思う』を世に問うた柏久(かしわ・ひさし)が亡くなられました。享年74。心からお悔やみ申し上げます。
「台湾の民主化の父」や「哲人政治家」と称される李登輝元総統は晩年、「我是不是我的我」(私は私でない私)という境地に到達しています。しかし、これまでその境地に至る過程を考察した本や論考などはほとんどないと言って過言ではない中、この李氏の境地を西田哲学から説き明かし、父の農業経済学もまた西田哲学をバックボーンとする学問だったことを著した労作が、その学問を継承する農業経済学者の柏久氏でした。
李登輝元総統が亡くなられた翌日の本年7月31日、京都新聞に李氏を追悼する柏久氏へのインタビュー記事が掲載されました。柏久氏が亡くなられたのは、李登輝元総統が亡くなられて115日後。最後まで快活だった柏氏の心映えがよく表われている記事です。下記にご紹介します。
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李登輝氏に京都学派の影響も 京都の関係者は「父のような存在」【京都新聞:2020年7月31日】https://www.47news.jp/5077826.html
30日に亡くなった元台湾総統の李登輝氏は戦時中、京都帝国大(現京都大)で短期間ながら学生時代を送った。同氏と親交のあった京都の人からも死を悲しむ声が聞かれた。
「自らの使命を果たすのに全人生をかけた人だったと思う。本当に残念」。15年以上の親交のある元京都大教授の柏久さん(73)=京都市左京区=は死去の一報に声を落とした。
李氏は京都帝大農学部在学中、柏さんの父で京都大教授だった故柏祐賢(すけかた)さんに学び、「恩師」と慕っていた。2004年に来日した際は李氏が大みそかに左京区の柏さんの自宅を訪問し、当時90代後半だった祐賢さんと約60年ぶりに再会して1時間にわたって京都帝大での思い出を語り合った。「オーラのようなものを感じたが、2人は体を寄せ合い、温かな雰囲気だった」と柏さん。2人は共に早くに長男を亡くし、哲学者西田幾多郎に始まる「京都学派」の影響も強く受けた。「相通じる何かを感じていたのかも知れない」とおもんぱかる。
交流は07年に祐賢さんが亡くなった後も続き、同年は柏さんが台湾に李氏を訪ね、14年には来日した李氏の滞在先の大阪市内で歓談した。李氏は台湾での医療や産業振興について考えを熱く語ったといい、柏さんは「台湾の人たちのことをいつも考えていた」と振り返る。病気で手術を受けた柏さんの脚をさすり、いたわってくれたという。「私にとっては父のような存在でもあった」と惜しんだ。
04年に李氏が祐賢さんの自宅を訪問するために尽力した大津市の医師王輝生さん(72)は「いつ亡くなってもおかしくない状態と聞いていたが、残念だ」と話した。文学や経済、音楽などあらゆる分野に造詣が深かったといい「台湾の民主化の父ですばらしい指導者だった。日本と台湾の友好のために本当に一生懸命だった」と惜しんだ。
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