も知らなかった。昨日の産経新聞で初めて知った。
黄金蓮夫人とお会いしたことはなく、電話で何度か話した程度だった。記事には書かれ
ていないが、鍾振宏氏は台湾駐日副代表を退任されてから2005年(平成17年)の暮まで李
登輝元総統の秘書を務められていた。事務所にご不在のときは自宅に連絡してくださいと
のお言葉に甘え、何度かご連絡した。そのときに黄金蓮夫人と話す機会があった。挨拶を
交わした程度だったが、行き届いた感じの、きれいな日本語を話されたことが未だに忘れ
られない。
この場をお借りして、哀悼の誠を捧げるとともに御霊安かれとご冥福をお祈り申し上げ
ます。
(日本李登輝友の会事務局長 柚原正敬)
鍾振宏・元台湾駐日副代表の妻、黄金蓮さん
【12月30日 産経新聞「葬送」】
http://sankei.jp.msn.com/world/china/081229/chn0812291712000-n1.htm
中華民国(台湾)が国連脱退を宣言した1971年、鍾振宏氏は「中華民国駐日大使館」の
参事官として、2度目の日本駐在を命ぜられた。「日中国交正常化」への機運が高まる中、
「日本では新聞もテレビも台湾は捨てろ、といわんばかり。日増しに台湾の孤立化を肌で
感じた」と鍾氏は当時を振り返る。
迫る断交に備え、日台の新たな枠組みをどう構築するか−。後に駐日代表となる林金茎
氏と奔走した鍾氏は、中国の外交圧力に耐える約8年の滞在で、年間250万人が往来する
現在の日台交流の基礎を築いた。一例が実質的な大使館として機能する日本の交流協会、
台湾の亜東関係協会(現台北駐日経済文化代表処)の設置である。
その熾烈(しれつ)な外交闘争の舞台裏で、黄金蓮夫人は鍾氏を支え続けた。72年の日
台断交前後、深夜におよぶ新聞記者の取材攻勢にも夫妻は嫌な顔一つせず、温かく自宅に
迎え入れた。度量の広さと台湾を守り抜こうとする「滅私奉公」の精神は、30年あまりの
歳月を経た今も関係者の間で語り継がれる。
女学校時代の同級生、林淵雲さんは、夫人の人柄について「笑顔を絶やさない、おっと
りした誰もに親しまれる人」と語る。断交直後に帰台して再会を果たしたとき、夫人は林
さんにこういって明るくふるまった。「政治の話はやめましょうよ。ね、楽しい話がした
いわ」
多くの日本人と血の通いあう友情を築けたのも、いわゆる「最後の日本語世代」として、
永久の日台友好を願っていたからに違いない。断交には胸がつぶれる思いをしたはずだが、
それでも笑顔をもって堪え忍ぶ強い精神があったからこそ愛され、頼られたのだろう。
3年前にがんの手術を受け、回復は順調に見えたが、今年8月に急変。先月21日、75年
の生涯に幕を閉じた。あまりに急な最期に、今月27日の告別式では多くの涙を誘ったが、
夫人が皆の心に残したのはやはり、あの穏やかな暖かい笑顔だった。
(台北 長谷川周人、写真も)
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