開催の台湾高座会留日70周年歓迎大会に合わせ、新著『二つの祖国を生きた台湾少年工』
(並木書房、5月7日発売予定)を出版した。神奈川新聞が報じているのでご紹介したい。
記事には書かれていないが、本書冒頭には李登輝元総統が「この事実を多くの日本人に
知ってもらいたい」と題する長めの推薦の辞を寄せられている。
台湾少年工については、未だに「強制的に連れられてきた」などという事実と異なる根
も葉もない噂があるようだが、野口毅、早川金次、石川公弘、佐野た香著『台湾少年工と
第二の故郷』(展転社、平成11年刊)や今回の石川氏の『二つの祖国を生きた台湾少年
工』を読んでいただければ、それがまったくのデタラメ、日本を貶めようとする噂である
ことがよく分かる。そもそも李雪峰会長をはじめとする台湾少年工出身者が、そのような
噂を笑い飛ばしている。
後日、本会でも取り扱い、廉価でご案内する予定だ。乞うご期待!
戦時中の友情 今も─高座海軍工廠入り70周年 元少年工との交流本に
【神奈川新聞:2013年4月27日】
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1304270009/
写真:台湾少年工についての自著を手に思い出を語る石川さん
太平洋戦争中、現在の座間市、大和市などにあった旧日本海軍の航空機工場「高座海軍
工廠(こうしょう)」で働いた台湾の元少年工。工廠で働き始めて70周年の節目で5月9日
に再来日するのを前に、元大和市議会議長の石川公弘さん(78)が元少年工との交流を1冊
の本にまとめた。戦時中の苦難やいまも続く日本との友情。石川さんは「忘れられつつあ
る事実を一人でも多くの人に知ってもらいたい」と話している。
(山元 信之)
◆元大和市議長 石川さん「事実を多くの人に」
少年工は1943年5月に第1陣が到着し、終戦まで空襲や食糧不足に耐えながら10代の約
8400人が働いた。
「温暖な台湾から来た少年たちには、特に冬の寒さがつらかったようだ」。父が工廠の
寮で舎監だった石川さんは、子どものころ、少年工にかわいがってもらったことを覚えて
いる。
工廠入り50周年を記念し、約1400人が訪日したのが20年前。当時、大和市議会議長だっ
たこともあり、受け入れ役として精力的に動いた。
本のタイトルは「二つの祖国を生きた台湾少年工」。亡くなった2人を含む元少年工6人
の人生をまとめた。
戦後の台湾では国民党政権の戒厳令下、強圧的な政治が行われ、親日的な言動は逮捕、
投獄など身の危険を招きかねなかった。87年に戒厳令が解除されるまで、「第二の故郷」
と懐かしんだ座間、大和の地を自由に再訪できなかった。
石川さんは「日本人は終戦後、自由に物を言える民主的な時代が訪れたが、日本人だっ
た元少年工は戦後、戒厳令下でさらに多くの苦難を味わった。今も日本との絆を忘れず、
今も日本を大切に考えてくれる元少年工の思いを伝えたかった」と話す。
5月9日に座間市緑ケ丘のハーモニーホール座間で開かれる70周年記念の訪日歓迎大会に
は、80歳代の元少年工と付き添いの家族ら300人が顔をそろえる。多くの元少年工も「台湾
民主化の父」と慕う李登輝元総統の記念講演も予定されている。石川さんは出席者全員に
本を寄贈する。
本は5月7日に並木書房から発売される。四六判230ページで1600円(税別)。問い合わせ
は、並木書房電話03(3561)7062。