勲記と勲章の伝達式が日本交流協会台北事務所で行われ、樽井澄夫代表が李雪峰会長に手
渡した。中央通信社が伝えているので下記にご紹介したい。
伝達式には、日本から高座日台交流の会の石川公弘会長や橋本理吉事務局長、岩本武夫
氏らも駆けつけ、また何春樹副会長や謝清松秘書長など台湾高座会の仲間も馳せ参じ、李
雪峰会長の受章をお祝いした。本会からも早川友久・台北事務所長がお祝いに参じている。
また本日は、台湾高座会の主催により国賓大飯店にて叙勲祝賀会が開かれ、本会からも
お祝いのお花をお贈りしている。
李雪峰会長は本会主催の講演会の折、受章について「この叙勲は私一人に与えられたも
のではなく、会員全員に与えられたもの」と控え目に述べられた。しかし、李雪峰氏は台
湾少年工として来日したときから寄宿舎の寮長として皆をまとめてきた。また、台湾高座
会が1988年に発足してから今年で25年を迎えるが設立以来、会長は替っていない。李雪峰
氏が会長だったから会としての統率がとれ、日本との交流も進んだ。受章は誰しもが望ん
だことだった。心から祝意を表したい。
ちなみに、勲記には「日本国天皇は李雪峰に 旭日小綬章を授与する 皇居において璽
をおさせる」と記され、勲記は天皇陛下が授与されることを明示し、安倍晋三・内閣総理
大臣と賞勲局長が署名している。
春の叙勲で台湾からは李雪峰会長のほか、許敏恵・元台日文化経済協会長(旭日中綬章)
と鄭世松・元台日商務協議会長(旭日中綬章)が受章している。
「日本は私たちを忘れなかった」台湾の元少年工に勲章伝達
【中央通信社:2013年6月17日】
http://japan.cna.com.tw/news/aall/201306170007.aspx
写真:中央が李雪峰会長、向かって左が何春樹副会長
(台北 17日 中央社)日本政府の今年春の叙勲で旭日小綬章を受章した台湾高座台日交
流協会の李雪峰理事長(86、左5)への伝達式が17日、日本の出先機関である交流協会台北
事務所であり、樽井澄夫代表(大使に相当)から勲記と勲章が伝達された。戦中に台湾少
年工として日本の海軍工場で働いた李さんは「日本は私たちを忘れなかった、とれも嬉し
い」と挨拶し、当時製造した戦闘機「雷電」をモチーフにしたネクタイで笑顔を見せた。
台湾高座会は、台湾の元少年工らの同窓組織。第二次世界大戦末期の1943年、台湾から
8000人以上の少年が工場要員として“内地”入りし、神奈川県の高座海軍工場で訓練を受
け、各地で戦闘機の生産に従事した。リーダーだった李雪峰さんは帰台後も日本との交流
を願い、結社が禁じられていた戦後の台湾で仲間たちと連絡を取り合い、戒厳令解除翌年
の1988年に高座会を立ち上げた。定期的に日本で大会を開き、また日本各地の民間団体と
交流し台日の友情を育んできた。
「日本統治下の台湾で厳しくも愛にあふれた教育を受けた、日本人であることを誇りに
思っていた」という李さんの自慢は、有能な少年工として雷電の製造に奮闘した日々。メ
ンバーは高齢化し、設立当初は3000人を超えた会員数も今では1000人以下になってしまっ
たが、この日、会場には20人以上の仲間がそろいのネクタイで駆けつけた。
空をイメージする上品な濃紺に、銀色の雷電が光るネクタイに話を向けると、緊張気味
だった李さんはようやく顔をほころばせ、日本語でこう語った。「2000年に記念品として
作りました。雷電は私たちの誇りであり、最高の想い出。何の約束もしていませんが、今
日はこのネクタイの日だとみな分かっているんです」。 (高野華恵)