毎日新聞の台北支局長だった近藤伸二(こんどう・しんじ)氏が5月下旬、白水社から『彭明敏 蒋介石と闘った台湾人』を出版した。
王育徳氏や黄昭堂氏が1960年に台湾青年社として日本ではじめた台湾独立運動について、近年、これほどのボリュームで登場する本はない。というのも、1970年に台北市内で軟禁されていた彭明敏氏をスウェーデンに脱出させたのは、台湾青年社で発行する機関誌「台湾青年」編集長の宗像隆幸氏だったからだ。
台湾独立建国聯盟日本本部のホームページの年表でも、1970年1月3日に「台北市で軟禁されていた彭明敏教授は、日本本部宗像隆幸の働きにより、秘密裏に台湾を脱出し、スウェーデンに亡命」と出ている。
宗像氏ばかりか、瑞江夫人や彭明敏氏の台湾大学時代の教え子だった許世楷氏、彭明敏氏にパスポートを渡した宗像氏の友人の阿部賢一氏も登場する。亡命のきっかけを作った共同通信の横堀洋一氏も登場する。
また本書では巻末に、彭明敏氏らが逮捕された「台湾人民自救宣言」の全文を掲載しているが、台湾青年社の機関誌「台湾青年」62号がこの「自救宣言」を掲載していることも出てくる。それも、「台湾青年」では、なぜタイトルが「台湾独立宣言」となったのかについても触れている。
近藤氏はそのプロローグにおいて、宗像氏ら日本人について次のように記している。
<自由と人権を守る、ただそれだけのために、罪に問われたり、仕事を失ったりするかもしれない危険も覚悟して、人の台湾人と運命をともにした日本人たちがいた。
彼らは澎明敏とともに国民党一党独裁体制打倒のために戦い、側面から台湾の民主化を支援したのである。これこそ真の「日台の絆」であり、日本と台湾の交流史に書き込まれるべき一ページに違いない。>
本書は、彭明敏氏の日本人著者による初めての伝記という点もさることながら、彭明敏氏の軌跡を通じて台湾の戦後史、それも白色テロ時代を知り得る貴重な内容だ。新聞記者出身のこなれた筆致が読みやすい上に、著者の彭明敏氏や台湾独立運動に寄せる思いがひたひたと迫る、近来まれに見る力作だ。
7月4日に宗像隆幸氏の一周忌を迎える。いいご供養になるだろう。
産経新聞の台北支局長をつとめたジャーナリストの吉村剛史(よしむら・たけし)氏は本書書評のタイトルを「もうひとりの李登輝”か?」としている。蒋介石による独裁政治のどてっぱらに風穴を開けた彭明敏氏を「もうひとりの李登輝」とも呼んでいいのではないかと書いている。
吉村氏はまた、彭明敏氏が徹夜で読破したことを明かし、彭明敏氏が著者の近藤氏へ送った「今後台湾の近代史を勉強する人にとっては不可欠の、必読の古典的な存在となると信じます」と述べている手紙を紹介している。下記に吉村氏の書評を紹介するとともに、ご一読をお勧めしたい。
◆台湾独立建国聯盟日本本部ホームページ https://www.wufi-japan.org/
*「機関誌「台湾青年」62号掲載の「台湾人民自救宣言」を読むこともできます。 https://tbc.chhongbi.org/?p=1730
—————————————————————————————–吉村 剛史(ジャーナリスト)【書評】“もうひとりの李登輝”か?「台湾のドン・キホーテ」に出会える一冊 : 近藤伸二著『彭明敏 蒋介石と闘った台湾人』【nippon.com:2021年6月18日】https://www.nippon.com/ja/japan-topics/bg900299/
台湾の民主化、本土化に尽力した人物といえば、多くの日本人は即座に李登輝(りとうき)元総統(1923-2020)の名をあげるだろう。だが台湾には“もうひとりの李登輝”ともいえる人物がいる。戦後台湾で国民党・蒋介石政権と折り合いをつけつつ、地歩を固めていった台湾人が李登輝だとすれば、徹頭徹尾、「蒋介石と闘った台湾人」であったのが台湾の独立運動家、彭明敏(ほうめいびん)である。本書は日本人著者による初の本格的な彭の伝記だ。
◆日本統治下の突出したエリート
本書は毎日新聞社の香港、台北支局長、論説副委員長などを歴任した現・追手門学院大経済学部教授、近藤伸二が取材に4年の歳月をかけ、透徹した視点で浮き彫りにした彭明敏の足跡を描いている。
そもそも彭明敏とはいかなる人物なのか。
評者は2011年秋、当時所属していた別の新聞社の台北特派員として彭と会った。
第一印象は良くなかった。ある会合の場に現れた高齢の紳士が、左腕を背広ポケットに突っ込んで立っている姿に違和感を持ったからだ。
が、すぐに彭が隻腕であることを思い出し、冷や汗を流しつつ、その紳士が彭であると確信して初対面のあいさつをした。
以後、台北駐在時代は頻繁に、日本に帰国した後も1〜2年に1度くらいのペースで彭との交流を続けてきた。その激烈な経歴とは正反対の温厚さに魅了された。
その彭の人物像は、台湾の国際法学者、元台湾大学教授、元総統府資政(上級顧問)といった表面上の経歴だけでは語りつくせない。
本書の惹句にあるように、近藤は取材を通じて本人の口からこのように語らせている。「僕はドン・キホーテだった」と。
彭は李登輝と同じ1923年生まれ。
日本統治時代の台湾で裕福な医師、かつ敬虔なクリスチャンの家庭に育った。
台湾南部の高雄中学や日本の関西学院中学部、旧制第三高等学校に学び、東京帝大法学部に進学した彭は、同時期に京都帝大農学部に学んだ李登輝同様、日本統治時代の台湾出身者としては突出したエリートだったといえる。
だが、この当時の戦局は彼らにゆったりした学びの場を与えてはくれなかった。文系学生への兵役免除が廃止され、台湾人にも兵役志願制度を施行。李登輝が制度に応じて陸軍高射砲部隊に見習士官として配属されたのとは対照的に、日本の台湾統治に反発していた彭は兵役を志願しなかった。1945年4月末、長崎の親類宅に身を寄せようとした際、渡船上で米軍機の機銃弾に左腕を貫かれ、以後隻腕となった。この際、長崎郊外の親類宅での療養中に原爆の閃光も浴びている。
◆反乱容疑で逮捕、海外への脱出
日本の敗戦で「劇的な人生の転換点に立った」という彭は、戦後の台湾大学編入で李登輝と知り合い、同窓となった。
戦後の台湾で国民党政権による本格的な台湾本省人弾圧の発火点となった1947年の2・28事件で父親が捕らえられ、処刑寸前で解放される経験も。彭は国民党への憎悪と不信感を増幅させつつ、国際航空法専攻の法学研究者の道に進んだ。
以後カナダ、フランス留学を経て国際的に名の通った法学者となり、ヘンリー・キッシンジャーや蒋介石の知遇を得る立場にのぼり詰めた。
しかしながら、彭の国民党政権への反抗心は消えることなく、蒋介石の「大陸反攻」(大陸奪還)の虚構を暴こうと、一党独裁体制や権力内部の腐敗を厳しく指弾。「一つの中国、一つの台湾」を掲げた「台湾人民自救運動宣言」(自救宣言)を作成した。ただし、これによって反乱の容疑で逮捕され、特赦で自宅に戻った後も長く軟禁状態におかれた。
「抹殺」の危険を感じた彭は1970年、在日台湾人や日本人記者・活動家、米国人牧師らの支援を得て、協力者の日本人のパスポートの写真を張り替える手法で、厳重な監視の目をかいくぐり、民間機でスウェーデンへ渡航、亡命に成功する。
その息詰まる脱出劇の過程を、近藤は関係者への綿密なインタビューをもとに詳細に紙上で再現。証言者の中には陳水扁政権時に台湾の駐日代表(大使に相当)を務めた許世楷(きょせいかい)や、近藤のインタビュー後に他界した台湾独立運動の日本人活動家、宗像隆幸などもおり、本書のクライマックスのひとつを形成している。
◆1996年に総統選に出馬
彭の海外脱出劇は台湾独立運動グループを勢いづけ、ホワイトハウスの招きで訪米した蒋介石の子で、当時行政院副院長だった蒋経国に対する狙撃事件(暗殺未遂事件)につながった。
日本では李登輝に比べ、印象の薄い彭だが、初の直接選挙となった1996年の総統選挙で、野党・民主進歩党の候補者となり、現職の国民党候補、李登輝に挑んだ。台湾に関心のある方なら、わずかに思い出してくれるだろうか。
彭の20年余という長い亡命生活の間、李登輝の手で民主化、本土化の緒についた台湾は、1992年に彭の指名手配を解除。彭は台湾に帰郷し、95年に民進党に入党したのだ。
選挙の結果は李陣営の勝利に終わり、次点で敗れた彭は、その後台湾独立の啓蒙運動を進める建国会を設立。事実上総統選挙のために入党し、一部の派閥とは肌の合わなかった民進党からは選挙の翌年離党。現実の政治からは距離を置く立場となった。
◆若い頃は李登輝と毎週食事
彭はこの選挙で戦った李登輝と深いつきあいがあった。
2人が知り合った台湾大学の学生、研究者時代は、毎週食事をともにしていたほどだった。
蒋経国に重用され、同政権における副総統時代、蒋経国の死去を受けて総統に就任した李登輝だが、当初は単に残り任期を務めるだけの“ロボット総統”とみられた。しかし、1990年の総統選挙では党内の抵抗勢力を切り崩し、ライバル林洋港にも出馬を断念させた。
この際、彭も米ニューヨークの記者会見で「彼に代わる総統はいない」と、李登輝支援を表明。このことが李の力量に懐疑的だった台湾の反国民党勢力をはじめとする世論を結集させ、90年の李当選の後押しとなった。単なる表面的なライバル同士ではなかった2人の、深い友情についても近藤は紙数を割いている。
日本統治時代の教育を受けた日本語世代を象徴する李登輝と彭明敏。
李登輝は昨年、97歳で死去したが、同い年の彭は今も台北郊外の自宅で静かな日々を過ごしており、今年8月には98歳になる。
◆著者に届いた彭の手紙
本書の上梓を受けて、彭から近藤に礼状が届いたことを、直接近藤から聞いている。
そこには、得意の日本語を用い、かくしゃくたる筆致で「手持ちの拡大鏡を使って徹夜で全部読みました」「(本書は)今後台湾の近代史を勉強する人にとっては不可欠の、必読の古典的な存在となると信じます」と絶賛。「身内の者が書いた様で心理的な主柱を感じます。私はやはり日本に根があるのではないかと存じます」と記されていた。外野の書評などより、はるかに端的に本書の価値を表しているかもしれない。
米中対立が激化する中、「台湾海峡の平和と安定」が国際社会の注視の的となっている。民主主義という、日本や米国と価値観を同じくする今の台湾の成り立ちを再考察する意味でも、本書を通して、“もうひとりの李登輝”の足跡を旅してほしい。
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