主体的に生きよと言う政治家の肉声
評・天児 慧(早稲田大学教授・現代アジア論)
かつて李登輝は司馬遼太郎との対談で「台湾人の悲哀」を語り、同時に「台湾人とし
て生まれた幸せ」を説いた。また「台湾独立」の頭目と見なされながら「私は独立論者
ではない」と叫ぶ。なぜか。これが評者の疑問であり関心であった。
著者との対話から浮かび上がってくる李登輝思想の神髄は、個人、指導者、民族、国
家いずれにおいても「如何(いか)に主体的に生きるか」ということに尽きる。青年時
代に新渡戸稲造、西田幾多郎、カーライル、魯迅らに共感したのはまさにこの点にある。
面子(メンツ)にこだわる中華世界を脱却しようとした劉備、諸葛孔明、黄宗羲らは評
価できるのではと問う著者に「思想がない」と一蹴(いっしゅう)する。本書を通して
「台湾人の悲哀」も主体的に生きるための試練・場としてみれば生きがいにつながる、
「独立」はそれ自体が目的ではなく、国や民族が主体的に生きるという大きな枠組みの
中で初めて意味を持つと読みとれる。日本に対しても「もっと主体的になれ」と叱咤(し
った)しながら、「情緒と形」を重視し自然との調和を実践する日本はアジアのリーダ
ーになる時期に来ていると強調する。
他方で、彼自身が政治家として注目されてきた実践の背景に、農業経済を専門にし農
業開発に取り組んできた現実感覚がある。90年代前半の静かな革命=民主化は主体性
と実践哲学の輝ける成果だった。今日の台湾に対しても表面的な統一・独立論に流され
ることなく主体性を堅持した中道路線を歩めと主張する。
著者にあえて二言。難解な用語、表現が未消化のまま多用されており理解しにくい。
もう一つは「ファン」の想(おも)いが出過ぎて「李登輝美化論」へ傾斜の感がなくも
ない。距離を保ち相対化を心がけた方がリアリティーが出る。
しかし、いずれ李登輝が近現代アジア史の歴史的人物として冷静に再考される時は来
るだろう。特に中国の政治・思想界でそのような状況が生まれるとしたら面白い。アジ
アも真に思想的大転換を遂げるかもしれない。本書は「生の声」をベースにしており貴
重な文献となるだろう。
【11月9日 朝日新聞】
●李登輝元総統の思想の核心を明らかにした『李登輝の実践哲学』
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・著者:井尻秀憲(東京外国語大学教授)
・書名:李登輝の実践哲学−五十時間の対話
・版元:ミネルヴァ書房
・体裁:四六判、上製、268頁
・定価:2,625円(税込)
・発行:平成20年9月10日
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