交流協会高雄事務所の泉史生様から、下記のようなお問い合わせをいただきま
した。
高雄県大樹郷が高屏鉄橋90周年イベントに招待するため、高屏鉄橋の建設技師
で阿里山鉄道の設計者でもあった飯田豊二氏のご親族の方を探されているそうで
す。
お心当たりの方は、本誌編集部までご連絡いただきますようお願いします。
E-mail ritouki-japan@jeans.ocn.ne.jp (編集部)
この場をお借りして、お願いがあります。
屏東線の九曲堂駅の横に飯田豊二の碑があります。大樹郷では高屏鉄橋の建設
技師でもあった飯田豊二の親族を呼んで、今年秋に90周年のイベントを開催し
たいとのことですが、ご親族がわからず、探してほしいという依頼がありました
。勿論招待したいとのことです。
飯田豊二は沼津出身、城内373番地士族ということまで、わかりましたが、
個人情報保護法の施行があり、役所から探すことはできませんでした。歴史編纂
室にも問い合わせましたが、同じくダメでした。沼津の偉人になっていないため
、彼の評価がなく、そのため親族捜しにも熱心ではありません。
飯田豊二は阿里山鉄道の設計者としても名を連ねており、台湾近代化の隠れた
偉人です。どうか、ご親族を探して、イベントに迎えてほしいと思います。
一方、橋頭製糖工場の創始者の鈴木藤三郎は台湾第一号の製糖工場を造った人
ですが、八田与一ほど有名ではないため、その偉業は評価されていません。
日本では隠れたエジソンかもしれません。氷砂糖を発明し、醤油の醸造技術に
大きく貢献してきた人で、食品加工の父かもしれません。
その人が近代精糖技術を台湾の橋頭に製糖工場をたて、それが以後、台湾の製
糖業の礎になったことから、確かに台湾をモノカルチャーにした批判はあるかも
しれませんが、その偉業は評価されるべきものとおもいます。彼が災難続きをお
さめるために、奈良薬師寺の聖観音像と同じ物をつくりましたが、三体作った内
の一つは生地の静岡森町に、一体は橋頭製糖工場敷地内に、もう一体は薬師寺に
あり、それがひょっとして、一般に見られているともいないともいわれています。
橋頭製糖工場には聖観音像が立っており、製糖博物館の目玉にもなることを願
っているようです。
台湾の南部には八田与一に負けず劣らずの二人がいることを忘れないでくださ
い。
飯田豊二のご親族については、大樹郷に問い合わせていただければわかると思
います。
交流協会高雄事務所
文化室 泉史生
*なお、このメールは個人的であることをお許しください。