「文化的虐殺」の重さ[富岡 幸一郎]

【4月12日 産経新聞「断」】

 チベットのラサで拘束されている仲間の釈放を求める僧侶たちの平和的なデモに対し、
武装警察が弾圧したことから今回の事件は始まった。北京オリンピックの成立すら危う
くする程の広がりを見せている。聖火リレーへの抗議行動や、開会式への各国首脳の欠
席など欧米を中心に、中国政府への批判は強まるばかりだ。

 今回のチベット騒乱は、中国側が喧伝(けんでん)するような「暴動」ではない。19
51年に人民解放軍がラサに入ったことと、「自治」という名の「制圧」に対する、半世
紀以上にも及ぶチベット人の民族自決の思いの噴出である。今回の騒乱について、ダラ
イ・ラマが「文化的虐殺」という言葉を用いて、中国を非難したように、中国の一方的
な同化政策は、チベット人から言語と宗教を奪ってきた。

 明治30年代前半、日本人として初めてチベットに入った河口慧海は、その記録『チベ
ット旅行記』で、当時秘境といわれたこの地を、「自ら仏陀の国土、観音の浄土と誇称
せるごとき、見るべき異彩あり」と言い、同じ仏教国の僧侶としてその深い宗教性を称
(たた)えている。今、チベットで起きているのは、天に向かい、地に伏して祈ること
で生きてきた民族の、その信仰の自由を求める叫びである。それは政治問題である以上
に、文化の死活問題である。

 日本が外交・経済等の“利益”で中国に毅(き)然たる態度を示せないのは、戦後の
平和国家日本の文化意識が、表面的で、如何に他国の宗教及び文化への認識が軽いもの
であったかの証明ではないのか。                 (文芸評論家)



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