「岩下の新生姜」誕生にみる台湾食材の魅力  大岡 響子(明治学院大学兼任講師)

 岩下の新生姜(しんしょうが)はシャキッとした歯応えのある食感がいいのでよく食べますが、まさかこの生姜が台湾産だとは思いもよりませんでした。

 台湾の食材といえば、本会が12月に催す「日台共栄の夕べ」のお楽しみ抽選会で劉の店から景品としてご提供いただいている「台湾鉄道弁当」は台湾だけの食材で作っていますが、メンマやビーフンくらいしか思い浮かびません。きゅうりの漬物も台湾産を使っているところもあると仄聞する程度。

 「岩下の新生姜」の原料は台湾で栽培される本島姜(ペンタオジャン)というのですから、まさに「日本の食卓に隠れた台湾」です。明治学院大学兼任講師の大岡響子さんのレポートをご紹介します。

—————————————————————————————–日本の食卓に隠れた台湾:「岩下の新生姜」誕生にみる台湾食材の魅力大岡響子 明治学院大学兼任講師、国際基督教大学アジア文化研究所研究員【nippon.com:2020年1月10日】https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00969/

 「岩下の新生姜」と聞けば、多くの日本人はあの印象的なコマーシャルを思い浮かべるのではないだろうか。

 1世帯あたりの漬物消費量が減少傾向にある中、栃木市に本社を置く岩下食品は、ツイッターを介して直接消費者とつながったことをきっかけに、主力商品である“岩下の新生姜しばり”のレシピブック『We Love 岩下の新生姜 ツイッターから生まれたFANBOOK』を刊行したり、2015年には本社近くに「岩下の新生姜ミュージアム」をオープンしたりと食卓の外でも話題をふりまいている。ミュージアムには年間14、5万人も訪れるほど。そのミュージアムでひときわ目を引くのが、原材料の生姜についての展示だ。実は、原材料の生姜は、全て台湾からやってきている。

◆「本島姜」の漬物

 1978年、当時社長だった岩下邦夫氏は台湾出張の道中、機内食で台湾の生姜漬けに出会った。この運命的な出会いをきっかけに、87年の発売以来のロングセラー商品「岩下の新生姜」は生まれた。台湾で栽培されてきた本島姜(ペンタオジャン)の爽やかな香りとシャキッとした歯応えに惚れ込んだのだ。

 原料となる本島姜は、現在も南投県南投・埔里、嘉義県梅山の契約農家約30軒が栽培、機械に頼らず、手作業で丁寧に収穫している。日本で栽培することも試みたが、「本島姜」の名前にもあるように「本島(台湾)」中部の、湿度が高く、粘土質な赤土があってこそ美味しく育つことが再確認された。毎年6月から7月にかけて収穫され、洗浄された後に日本へと送られる。薄ピンク色のパッケージを裏返すと、「しょうが(台湾)」が原材料名の先頭に表示されている。

◆原料原産地表示制度と「国産」志向

 食料自給率38%の食料輸入大国である日本では、原産地表示に対する関心が高い。2016年に消費者庁が行なった、食品を買う際に表示のどの部分を参考にするかについてのアンケートでは、価格、消費期限または賞味期限、内容量に続いて、8割弱の消費者が原産国と原料原産地表示を気にしていると答えた。原産国を気にする背景には、やはり食品偽装の問題がある。現在も、輸入原料を国産と偽って加工・販売したというようなニュースをしばしば目にする。

 「できれば国産のものを買いたい」という消費者の国産志向が、皮肉にも表示偽装をする側の動機になってしまっている場合もある。2021年、成長促進剤「ラクトパミン」を使用して育てられた米国産豚肉の輸入解禁が取り沙汰される台湾でも、国産志向の高まりが今後の消費者ニーズを形作っていくかもしれない。

 日本で加工食品原材料の原産地表示が初めて義務づけられたのは、梅干しとらっきょう漬けだった。原料原産地表示の始まりは、漬物だったのだ。原材料を輸入しているのにもかかわらず、「紀州産」や「鳥取産」と銘打っていたことが社会問題になったためだった。

 こうした流れに加え、環太平洋経済連携協定(TPP)の合意が後押しする形で、17年には国産作物の消費を促すことを目的に、国内で作られたすべての加工食品に対して原料原産地表示を行うことが義務づけられた。22年4月から完全施行される予定で、重量順で最も多い原料の原産地を表示しなければならない。

◆原材料は輸入品が普通だった日本の漬物

 日本の漬物はそもそも輸入原料に頼ってきた。高度経済成長期のただ中にあった日本では、漬物産業も成長期を迎え、国内原料の調達だけでは賄(まかな)えず、供給が不安定になるという悩みを抱えていた。それを解消したのが、輸入原料だった。中でも、生姜と梅干しはその典型で、台湾産の塩蔵ショウガと梅干しが漬物輸入原料の嚆矢(こうし)となった。

 輸入を開始した1960年代は、台湾からの輸入がダントツに多く、輸入量、金額共に全漬物原料輸入の過半数に及んだ。漬物原料の輸入は、60年代後半から70年代に急速に増加し、78年には10万トン超、金額にすると145億3469万円に達した。80年代には、日本で市販された生姜の漬物の90%、梅干しの70%は外国産だったいう話もあり(『総合食品』、80年3月号)、そう考えると日本の食卓には知らぬ間に、台湾生まれのご飯のお供たちが並んでいたことになる。

 大量の生姜が漬物原料として必要になった背景には、脇役ながらさまざまな料理に添えられる、そんな生姜の漬物の性質がある。寿司に添えられるガリはもとより、カレー、たこ焼き、お好み焼き、焼きそば、牛丼などの料理が日常的に食べられるようになればなるほど、名脇役の出番が増えたのだ。牛丼チェーン店の吉野家が「はやい・うまい・やすい」をキャッチフレーズに、多店舗化に踏み出したのも60年代のことである。

◆「輸入原料」ではなく、「台湾産」

 近年、日本にいながらにして台湾に触れる機会が格段に増えた。人気を博したタピオカミルクティーなどの台湾スイーツだけでなく、2019年秋には誠品生活(百貨店)が日本橋にオープンし、天然素材を使用して台湾で人気の阿原(ユアン)の石鹸も手に取って選べるようになった。コロナ禍の影響で2020年は中止になったが、ここ数年夏には台湾フェスティバルが開催されてきた。

 台湾の生姜が使われているから、と「岩下の新生姜」を選ぶ消費者は少ないかもしれない。しかし、「岩下の新生姜」が台湾の本島姜があってこそ生まれたように、台湾に触れる機会が増えた今だからこそ、単なる輸入原料と見なすのではなく、台湾産であることに意味や価値を見出す人々が増えていく可能性もあるのではないだろうか。2020年の2月には、日本と台湾の有機食品の同等性が認められ、それぞれで認証を受けた有機農産物に「有機」と表示して輸出入ができるようになった。台湾の農作物に対する認知と理解が進みつつあることを感じさせる。

 世界的な新型コロナウイルスの感染拡大は収まる気配はなく、以前のように気軽に、自由に日台を行き来できる日はまだ見えない。その日を心待ちにしながら空の玄関口からではなく、自宅の玄関から、まだ日本で出会ったことのない「台湾産」を探しに出てみることにしよう。

                 ◇     ◇     ◇

大岡響子(おおおか・きょうこ)2010年、国際基督教大学教養学部卒業。東京大学大学院博士課程(文化人類学専攻)を経て国際基督教大学アジア文化研究所準研究員。2013年、国立台湾大学文学院語文中心華語課程に留学。現在、明治学院大学兼任講師、国際基督教大学アジア文化研究所研究員。植民地期台湾における日本語の習得と実践のあり方とともに、現在も続く日本語を用いての創作活動について関心を持つ。共著に「植民地台湾の知識人が綴った日記」所収の『日記文化から近代日本を問う』(笠間書院、2018年)。

──────────────────────────────────────※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。