[投稿] 在日台湾同郷会のサマーキャンプに参加して 【廖 欽彬】

[投稿] 在日台湾同郷会のサマーキャンプに参加して 【廖 欽彬】
先輩たちの自己犠牲的愛の行為は私をして慙愧せしめた

 6月27日付の本誌第325号で、台湾人か日本人なのかのアイデンティティに悩む陳邦洋君
の「嘘をつく」と、その母劉文玲さんの「『嘘をつく』を読んで」を掲載しました。

 その折、「もう1本の文篇、台湾出身留学生の廖欽彬君の『在日台湾同郷会が主催した
サマーキャンプに参加した感想−在日台湾同郷会における自己犠牲的愛をめぐって』は近
々ご紹介します」と書きましたが、なかなか掲載のチャンスがなく、今日に至ってしまい
ました。

 ここにご紹介します。台湾の独立建国をめざした先人の偉業に触れた瑞々しい感想と青
年らしい自負心と希望にあふれ、台湾のために無私の愛、自己犠牲の精神を発揮すべきと
提案しています。

 なお、日本語表現としておかしいところなど、編集部でいささか手を入れています。ご
了承ください。                            (編集部)


在日台湾同郷会が主催したサマーキャンプに参加した感想
 ―在日台湾同郷会における自己犠牲的愛をめぐって―

                               筑波大学 廖 欽彬

 在日台湾同郷会という名称を初めて知ったのは、二〇〇二年、来日の翌年であった。台
湾独立建国連盟のホームページにある前会長・林建良先生が執筆したコラムが目に止まり
、一時期それに傾倒していたのがその契機である。

 というのは、日本に留学に来るまで、台湾の自由民主化に関する歴史にほとんど関心を
持っていなかったためであろうか、その反動として私は、台湾の歴史的現実を理解し始め
たからである。

 本キャンプに参加し、もっとも感銘を受けたのは、政治的迫害(白色テロ)を被ってき
た先人たちの無私なる愛、すなわち我々台湾人への自己犠牲的愛である。しかるに、それ
は漸次、会員である先輩たちの、先人たちの悲劇的英雄の姿を尊崇してその意志を継承し
、我々を敵の脅威や侵略から守ろうとする無私なる愛に取って代わられる。

 こうした移り変わりは、『台湾青年』の歴史的役割からも看取できると思われる。台湾
の、蒋政権の崩壊から、李登輝氏の自由民主化の運動を経て、さらにいわゆる台湾人の大
統領による台湾統治に至るまでの道程は、『台湾青年』の停刊を促したのである。それは
、元来台湾を外来政権から解放し、その独立自治権を台湾人の手に取り戻すのは、当機関
誌の目的であり、理念であったからである。

 第四九九号『台湾青年』(二〇〇二年五月)の公告に、「われわれは、台湾独立運動の
最終目的、すなわち自由で民主的な台湾共和国が成立し、台湾が世界の国ぐにと平等な独
立国として国際社会への参入を果たす日まで、全力を尽くして闘い続けます」とある。

 これはまさに先人たちの悲劇を超克する、先輩たちの無私なる愛、すなわち利他精神の
象徴である。

 利他の「他」とは、ほかの未だ安穏な生活を送られない台湾人のみならず、台湾人以外
の民族や国家社会をも指す。なぜなら、国際社会の一員としての台湾は、国際社会の平和
を将来するために、その必然として自己犠牲的愛に働きかけて全力を尽くし、平和を阻害
する敵と戦い続けるからである。これは台湾共和国の国際社会への参入に他ならない。先
輩たちは無私なる愛に駆使せられ、対外的には、国際社会の平和を推進する連帯責任を果
たし、対内的には、民進党と国民党(緑と藍)との対立や政治的理念の相違を問わず、台
湾人が幸福に導かれるのに腐心されている。

 にもかかわらず、我々台湾人は世界の国々から、政治における自由民主化の成果を賞賛
されつつも、依然として不自由なる「流浪の民」であることは、誰しも否定できないであ
ろう。我々は、国際社会への貢献どころか、自らの生存や自由意志でさえ確保できないで
いる。

 かかる運命を背負う同胞を憐れむべく、同胞が未だ不安や苦痛から脱出できない以上、
自らが安逸な生活を送られないという先輩たちの自己犠牲的愛の行為は、私をして慙愧せ
しめたのである。

 なぜなら、これまで何をするも順風満帆で、思うままに我が人生を歩んできて、何一つ
阻害を知らない私は、自らの学識で台湾人に何かを貢献しようとする自負をもって本活動
に臨んだからである。私は、自らの傲慢や不謙虚さを懺悔せずにはいられなかった。本キ
ャンプの研修を通じて、先輩たちが我々留学生に希求するのは、自己犠牲的愛の実践に他
ならなかった。

 かくして、我々は彼らとともに、台湾人のみならず、さらに範囲を拡大してほかの民族
にも幸福を得せしめるよう自己犠牲的愛を遂行することに至るのである。かかる先人や先
輩たちの自己犠牲的愛への恩返しとして、今後、自らの本分を果たすかたわら、同胞の危
機や苦難からの脱出を助けるために、自己を犠牲にするも惜しまない利他行を自らの責務
としたい。

 以上は、決して先人や先輩たちに対する阿諛追従でもなければ、台湾民族への私愛でも
ない。なぜなら、それらの成立根拠は何れも自己犠牲的愛に帰属するからである。同胞を
危機や苦難から助け出すというのは、同時に我々以外の民族を苦痛から救い出すことでな
ければならない。

 前述のように、台湾共和国の責務は国際社会への参与であり、世界の平和をもたらすこ
とにある。ほかの国々もまた同様である。したがって、世界の平和を実現するためには、
各民族の自己犠牲的愛が必須条件となるのである。

 このように考えると、我々の存在は、ただ自(台湾民族)と他(他民族)とが自己犠牲
的愛によって理想的境地、つまり共存共栄の境地に到達する時点においてのみ、成立する
のである。

 しかし、世界の平和が常に各民族や各国の利益と両立できないのは、また事実である。
だすれば、我々は世界の平和、換言すれば自他の共存共栄という理想的境地に達するため
には、平和を破壊する敵と不断に戦う愛を実践しなければならない。ゆえに、自己犠牲的
愛は、敵と戦う愛に他ならない。

 我々台湾人は、自他民族の生存のために、ただ相対立する敵と徹底的に戦うことによっ
てのみ敵を愛することができる。その敵とは、むろん我々台湾人と対立する他民族におけ
る根元悪のみならず、我々自身における根元悪、すなわち世界の平和を裏切る存在論的悪
の構造をも指す。敵と戦う愛の実践は、我々が自己の内外における敵と戦う愛の実践であ
る。

 このように見てくると、自己犠牲的愛は、先人のような自己や自民族の生存のために、
自己を犠牲にするという即自的愛(自己愛)に止まるものではない。それは、先輩たちの
ような自己、自民族、さらに他民族の生存のために、自己を犠牲にする対自的愛(他己愛)
に至ってはじめて完成せられる。

 他己愛こそ、真に自己の内外における敵を滅却させる自己犠牲的愛に他ならないのであ
る。

 二〇〇六年六月二十三日 つくば市にて


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