「台湾有事」への備えに苦悩する在留邦人ら 吉村剛史(ジャーナリスト)

「台湾有事」への備えに苦悩する在留邦人ら 吉村剛史(ジャーナリスト)

【nippon.com:2022年12月3日】https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02218/

◆日本政府の「本気度」を危惧する現地邦人

 「韓国の方が自国民保護や有事への備えに熱心ではないか…」

 台北で長く暮らす日本人の男性は、11月に入って韓国・聯合ニュース電子版が報じた観測記事(日本語)を目にし、長嘆息を漏らした。

 記事は韓国が台湾との交流窓口として台北に置いている代表部(大使館に相当)のトップに、韓国軍元参謀総長の予備役将官の赴任が有力視されている、と報じていた。

 駐台北韓国代表部のトップは通常、外交、学術方面から任命されるポストであり、予備役とはいえ、軍中枢にいた元将官という異例の人事が検討されているというだけでも、「有事への備えに対する高い意識を感じる」というのだ。

 事実、韓国政府は2021年8月の米軍のアフガニスタン撤退時にも、早期から情報収集に努め、アフガン・ガニ政権崩壊後は輸送機を現地に派遣。いったんカタールに避難していた大使館員も再度現地入りして米軍と連携し、自国民と関係者約400人の出国を成功させている。

 対照的だったのは日本政府で、陣頭指揮を執るべき日本大使は出国して不在に。大使館員も早々に外国の軍用機で出国したが、大使館の現地人スタッフや家族ら約500人が取り残された。現地スタッフの出国にも責任を取ろうとした他国大使館の対応との違いを非難される事態となった。

 日本政府は、ガニ政権崩壊から8日後になって、ようやく自衛隊輸送機3機を出発させたものの、結局は旧アフガン政府関係者14人、邦人女性1人を隣国のパキスタンに出国させるにとどまった。

 大使館の情報収集力の低さをはじめ、自衛隊機の派遣には派遣先で戦闘行為がないこと、相手国政府の同意があることなどの条件があり、政府の決断を鈍らせたとされる。大使や大使館員の対応も、英国大使がカブール空港で1万5000人以上の退避を支援したのち、アフガンを離れる最終便で帰国したことなどと対比された。

 「台湾有事」は、台湾本島の東方約110キロメートルに沖縄・先島が控える「日本有事」でもあるとされるが、実は極東米軍の混乱に乗じ、背後を北朝鮮から襲われかねない韓国にとっても「有事」である。それだけに、軍中枢任務経験者の台湾派遣が取り沙汰されたとしても不思議はない。

 実は日本政府においても、対台湾窓口機関である日本台湾交流協会台北事務所(大使館に相当)に、現行赴任している防衛省OBに加え、現役の背広組職員1人を新たに派遣し、情報集力向上などをめざす方針を固めた、今年6月には大手メディアが報じた。しかし現地邦人らは「いまだにその着任がない」と落胆する。中国側が強く反発し、「日本政府の対中配慮によって保留になった」と台湾の外交官はみている。

◆「有事」ノウハウ持たぬ中小企業や個人に大きな不安

 日本経済新聞11月2日付朝刊の報道によると、台湾進出企業のうち大手50社を対象に同社が独自調査した結果、約半数の23社が「台湾有事」を想定し、駐在員や家族の退避計画、事業継続計画をすでに策定したか、策定に向けて着手していることが分かったという。

 未着手の企業も、多くが「検討中」であると回答しており、官に先んじて民間による自主的な有事対応準備が始まっていることを浮き彫りにした。

 現地邦人らによると、こうした大企業の準備は、今春ごろから動きが見えてきていたが、今年8月初めにペロシ米下院議長が訪台した直後、反発する中国が台湾周辺で大規模な軍事演習を実施して以降、一気に加速したようだ。

 台北の各日系企業関係者と太いパイプを持つ邦人男性の1人は、「ある商社では、湾岸戦争などの先例をもとに、可能な限り先に家族を日本に帰すことや、新たに駐在する社員には単身赴任を勧奨したり、事業を他の海外支店などで継続できるようデータを移管したりする等の細い対応をすでに策定しており、後は時期的判断基準だけが焦点になっている」と証言。

「ただし、それほどしっかりした中身をまとめているのは一握りの大手企業に限られており、中小企業などでは何の手掛かりもないのが実態だ」

 10月上旬、辛亥革命に由来する記念行事出席のため台湾入りした超党派議員連盟「日華議員懇談会」の古屋圭司会長(自民党衆院議員)ら一行19人は同9日、与那国島と向き合う台湾北東部の宜蘭県・蘇澳を訪れた。「有事」を念頭に台湾と日本の近さを実感するための日程だったが、こうした行動もよほど悠長に思えたのか、現地邦人社会の不安を払拭するにはほど遠く、先述の在留邦人男性は「現在の台湾の在留邦人は約2万4000人程度とされており、もし現実的な退避行動を考えるなら5000人程度にまで絞っておく必要があると思うのだが…」と、心配の種は尽きない。

◆「安全対策委員会」開催も「有事」関連情報不足

 事実上大使館の役割を果たす日本台湾交流協会台北事務所も、手をこまねいているわけではなさそうだ。同事務所では毎年、在留届の確認や集計を行ってきたが今年は例年以上にピッチを上げ、綿密に実施している印象だという。

 在留邦人でつくる台湾日本人会の「安全対策委員会」も、同交流協会、日本人学校、台北市日本工商会と連携して10月28日午後、台北市内で2年ぶりの会合を開き、「安全対策講演会」として台湾の内政部警政署(警察庁に相当)国際組から鄭明忠科長を招き、緊急事態への備えや対応について説明があった。

 「ところが、生活安全に関わる話が中心で、『有事』に絡む内容は薄く、災害時対応などの延長のように『台湾には在留日本人を保護するマニュアルがある』との説明がなされたのみだった」と、出席者の1人は語る。

 通常100人程度が参加する行事だが、新型コロナ対策で今回の出席者数は40人に絞られており、「安全」に関心のある在留邦人団体の代表がすべて参加できたわけではなく、同時配信などもなかった。一部出席者からは「有事を危惧する在留邦人全体に対し、たとえ気休めであっても情報共有するなど工夫は必要だったのではないか」との指摘も。

 「結局、中小や個人はコンサルタント会社が企画する関連セミナーなどで独自に情報を集め、大手企業の対応を横目で見ながら、家族を先に帰すなどのタイミングを推し量るなど、漠然と動くしかない」という憤りも聞かれた。日本人の学生を台湾留学に送り出す団体でも「有事の際の具体的情報が少ないために、台湾へ留学を希望する学生が、親の反対で断念する事態も起きている」と証言している。

◆在留邦人全体の不安払拭へ、工夫が必要

 台湾と隣接する日本の南西諸島での防衛体制強化という面では、すでに日本政府はいくつもの方針を示しており、懸念される「台湾有事」への備えを軽視しているわけでないことは濃厚に伝わってくる。

 例えば防衛省では南西諸島でのミサイル、電子戦などの部隊拡充計画を防衛白書で説明しており、浜田靖一防衛相もこの地域に火薬庫や燃料タンクを増設し、従来北海道に7割が集中していた弾薬の備蓄の一部を南西にシフトさせることを表明。加えて島嶼(しょ)部住民のための避難シェルター整備についても急務、との見解を示してきた。

 また大規模な港湾のないこの付近においては、この先移動式の桟橋を配備するなどで、緊急時に輸送艦など大型艦が接岸できるようにするという。政府が年末に出す「戦略3文書」(外交・安全保障政策の根幹をなす「国家安全保障戦略」、「防衛計画の大綱」、「中期防衛力整備計画」の3文書)でも邦人保護は焦点のひとつだ。

 ただ、現時点で、日本政府が、正式な外交関係のない台湾と大っぴらに有事の際の在留邦人保護などを協議し、具体的対応について連携を深め、あるいは在留邦人に退避行動基準を示すことが容易でないのは、たとえば「日本が台湾を見捨てる準備に入った」などという誤ったメッセージを中国側に送る結果になりかねないことを考えれば、当然だといえる。

 しかし、有事を危惧し、煩悶する台湾在留邦人らの心中を思えば、日本政府は在留邦人保護・退避についても何らかの有効な対応策を練っていることを巧妙に匂わせることで、邦人社会全体の安心感に寄与する工夫も必要なのではないだろうか。

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吉村剛史(よしむら・たけし)昭和40年(1965年)、兵庫県明石市生まれ。日大法学部卒。1990年、産経新聞社入社。事件、行政、皇室報道などを担当。台湾大学へ社費留学。外信部を経て台北支局長、岡山支局長、広島総局長、編集委員などを歴任。2019年末退職。日大大学院修士(国際情報)。The News Lens JAPAN編集長、東海大学海洋学部非常勤講師。主なテーマは在日外国人や中国、台湾問題。主な著書に『アジア血風録』(MdN新書)。

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