――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習105)

【知道中国 2440回】                       二二・十・念六

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習105)

いまやアジア各地の都市といわず農山漁村といわず、あるいは新聞やテレビに日本商品の広告が溢れているが、「生産過剰の危機に対応するためのもの」でしかない。そこで「日本軍国主義復活を阻止せよ!」となるわけだ。

いま『論日本軍国主義』を読み返してみると、文中の「日本」を「中国」に書き換え、書名を『論中国軍国主義』と改めたうえで、習近平の中国に、そっくりそのまま、それこそ“熨し”を付けて投げ返し、いや叩きつけてやりたいところである。

次に読むのは書名も勇ましい『撃砕美日反動派的迷夢』(人民出版社)である。

副題に「評日本反動影片《山本五十六》《日本海大海戦》和《?、海軍》」とあるように、戦争を扱った日本映画に“難クセ”をつけながら「美日反動派」、というが実際は当時の日本を批判しようというのが、この本の狙であった。

それしても、「反動派的迷夢」を「撃砕」するとは穏やかではないが、物騒な書名を掲げるだけあって、勇猛果敢な主張が続く。

冒頭に「帝国主義の豺狼ドモはしっかりと覚えておくべきだ。オマエらが人類の命運を自分の都合で差配し、アジア・アフリカの国家を勝手気ままにに分割した時代は、もう2度と還っては来ない」(『毛主席語録』)を掲げ、非難攻撃の号砲を高らかに鳴り響かせる。

「60年代末、70年代初頭、日本の映画館には注目すべき現象が現れた。往時の日本の帝国主義侵略戦争を称賛し、戦争犯罪人を美化する映画が次々と上映されるようになった。『連合艦隊司令長官山本五十六』、『日本海海戦』、『ああ、海軍』が代表的な3作品である。/これらの反動性が透けて見える映画を撮影するため、日本の独占資本集団と佐藤反動政権は巨額の支援を惜しまず、駐日米軍と日本の“自衛隊”もまた全面的に支援した。これらの映画は米日反動派の推奨を受け、あるものは日本文部省の“推薦作品”にまで選ばれているほどだ」。

なにを血迷ったか、ここで文章の調子が一変し、極めて伝法なもの言いとなる。そこで可能な限り原文の雰囲気に合わせて訳してみると、

「どうやら日本反動派は我を忘れ、得意満面に自らが妄想するカラー映画の幻影の中に陶酔しているようだな。まあ、いいだろう。これから我われが、それがどんなシロモノなのかを満天下に曝してやるからな。吠え面かくなよ。いいか、見ておけ!」と突っかかってきたかと思うと、続けて「たったこれだけの指摘でもハッキリと見て取れるだろうに。これらの映画は日本軍国主義復活の確かな罪証ってもの。日本とアジアの人民の目の前に並べられたドンピシャの反面教材ってことだよ」と。

反動派は、これらの映画で「大日本帝国の幽霊」を蘇らせようとするが、じつはアジア人民に対する歴史的歪曲に満ちた挑発であり挑戦だ。「現在の世界では、一切の文化あるいは文芸は特定の階級、特定の政治路線に属するものである」(毛沢東)。だから、これらの映画は、日本を盟主とする「太平洋新時代」の構築を目指し、かつて潰えた「大東亜共栄圏」の迷夢を再現しようと狙っている日本の反動階級・反動的政治路線に従属している。

これらの映画は対外侵略を「開拓精神」と吹聴し、日本軍国主義のために命を捨てる「武士道」なるものを大いに讃美し、あの時代が「日本の盛時」だったと日本人民を騙し煽て上げ、「江田島精神」を持ち出し軍国主義の中核部隊構築を目指す一方、反動派は「日韓安全一体論」「マラッカ海峡防衛論」を掲げ、日本軍国主義による復仇を声高に絶叫する。

だが「日本と世界の人民のなかに滔々と湧き起こり尽きることない革命の潮流は、反動派といえども押し止められない。暗黒の時代は終わり、眼前には曙光が射す。『日本人民が希求する独立、民主、平和、中立の願いは、必ずや実現する』(毛沢東)」らしい。《QED》


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