――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習10)
かくして「歴史爺さん」は「だからワシは共産主義を実現させるために、誰と戦い、どういうふうに勝利を納めるのかを、これから教えてやろうじゃないか。どうじゃ、ワシはみんなのいい友達じゃろうて。みんなのようなステキな友達から、ワシは一日だって離れやしないぞ」と、まるでハーメルンの笛吹き男のように、巧みな話術で子どもを籠絡する。
毛沢東は「真っ白な紙には、どんな絵でも描ける」と言い放ったが、まさに疑うことを知らない子どもたちの脳ミソを真っ白な紙に見立て、「歴史爺さん」は共産主義と民族主義を巧みにブレンドさせた共産党歴史観を描き続けるのであった。
どうやら子どもには本来的に攻撃性・暴力性・残虐性が備わっていることを熟知するゆえに、「歴史爺さん」は「共産主義を実現させるために、誰と戦い、どういうふうに勝利を納めるのか」を子どもにミッチリと教え、より攻撃的で暴力的で残虐な「小さな大人」を鍛造することを狙ったのでないか。このように過激に偏向した教育に浸った世代が10年ほど後に文革に遭遇したわけだから、文革が残酷で理不尽で激烈な闘争に突き進んでいったのも当然だったかもしれない。
同じ55年に少年児童出版社から出版された『五個杏子』(寇徳璋・呂肖君)は、内容からして、『怎樣學習歴史』の読者より数歳幼い小学校低学年を対象にしていたと思われる。
ある夏の夕暮時、半袖の開襟シャツに半ズボンの王徳生クンが、淡い水色のワンピースに真っ白な前掛けをした妹の手を引っ張って学校に向かって息を切らせて走っている。王クンの頭は坊ちゃん刈りで妹の頭には長く延びた2本のおさげ。2人共、こざっぱりしたソックスにスニーカー。つつましやかな家庭で、規則正しく伸び伸びと育てられている風だ。
学校から帰り近所の友達と遊んでいた時、王クンは宿題を思い出した。そこで慌てて家に引き返し宿題をはじめようとしたが、筆箱がないことに気づいた。「しまった、学校に忘れたんだ」。兄が家を飛び出すと、そこに妹が。
学校に行くのは口実で、おやつでも買いに行くんだろうと信用しない妹は、兄についてきた。校門が閉まる前に学校に着かねばと焦る兄は妹の手を強く引く。懸命に走ったから、妹は喉が渇いた。そこに「酸っぱくて甘い杏だよ」と物売りの声が聞こえてくる。妹は「兄ちゃん、杏の菓子を買ってよ」とねだる。
妹思いの王クンはポケットに手を突っ込むが、「しまった、おカネは鞄の中だ」。しゃがみ込んで駄々をこねる妹を、「家に帰ったら買ってやるから」となだめて一目散に学校へ。
教室に飛び込み真っ直ぐに自分の机へ。あった、筆箱があった。筆箱を手に校庭に飛び出すと妹がいない。妹は校庭の隅の杏の木の下に佇み、「兄ちゃん、あれ取って。わたし喉が渇いちゃったの。食べたい、食べたい」と、物欲しげにせがむ。
それは生徒全員で育てている杏の木だった。みんなのもの、つまり公共財産となる。「妹のためとはいえ、それを取ることは公財私用の罪を犯すことになる。ボクは地主や資本家のように利己主義者にはなれない」と王クンは悩むが、幸いなことに誰も見ていない。そこで5個の杏を取って妹に渡した。やや大袈裟だが、喜ぶ妹を前に王クンの悩みは深い。
翌日の休み時間。校庭でみんなでサッカーだ。王クンはゴールキーパー。杏の木の下に置かれたゴールを守りながら、杏の実が気になって仕方がない。友達が「おい、王クン。何かあったの。杏の木ばっかり眺めているけど」「別に・・・」
教室の戻ると先生が、「みんなが水をやったり、害虫を駆除したりして一生懸命に育てたから、今年は豊作で240個も杏を収穫することができました。このクラスの生徒は40人ですから、1人何個になりますか」。すかさず「240÷40=6だから、1人6個」の声が上がる。
先生が生徒1人に6個ずつを渡そうとすると、王クンが急に席を立った。《QED》