――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(21)
内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)
なぜ、そこまで父老による統治を重視するのか。内藤は「この父老収攬ということは、その法制の美徳を問わず、人格の正邪を論ぜず、支那における成功の秘訣である。悪人でも悪法でも、この秘訣を得れば、必ず成功する」と説く。「父老収攬」を簡単にいうなら、地域の統治は父老に任せておけ、ということ。これを父老による地域自治と言い換えてもいいだろう。
では、なぜ、さほどまでに父老が権力を持つのか。「支那において生命あり、体統〔全体的なすじ道、定められた決まりや制度〕ある団体は、郷党宗族以外」にはなく、「この最高団体の代表者は、すなわち父老である」からだ。どうやら内藤は、全国津々浦々の父老の頂点に袁世凱を位置づけることで都統政治による政治的安定を構想しているらしい。これが「支那人に代って支那のために考え」だされた“智慧”というものか。
――冒頭に置かれた以上の「自叙」に続くのが、以下の「緒言」である。
「支那の時局は、走馬灯のごとく急転変化しておる」から、軽々な判断は口にできそうにない。近代文明によって時の流れが急になったうえに、「本来支那人が無節操で、日和見で、勢力に附和して、一定の主張に乏しいところからして、始終ぐらぐらして、傍観者から全く見当が付かないためである」。袁世凱を頂点にして、政治家・軍人・役人・知識人を問わず上から下までが「一定の主張に乏しい」。“機を見るに敏”と言えば聞こえはいいが、じつは“風見鶏”でしかないということだ。徹底した権力順応ともいえる。
内藤は「支那のごとく数千年前からして、すでに国土人民の広大な自然発動力が、爾来の有名な治者の能力を超越してしまっておった国が、今日において、その自然に傾いて行く惰力に順って、政策を立てること以上のこと」は出来ないと説く。これを敷衍すれば、広大な領域、膨大な人口を抱えるゆえに、じつは「広大な自然発動力」に任せ、「その自然に傾いて行く惰力に順」わない限り統治は不可能ということになる。だから「有名な治者」の事績を讃える儒教経典も、眉に唾つけて読まなければならない。堯舜禹・・・フーン。
「今日支那を統治すべき最善の政策は、その国力の惰力、その国土人民の発動力が、いかに傾いておるか、どちらへ向かって進んでおるかということを見定め」るしかない。目下のところ「この惰力、自然発動力の潜運黙移」は急転直下しているが、それは表面的のことであり、「表面の激しい順逆混雑の流水の底には、必ず一定の方向に向かって、緩く、重く、鈍く、強く、推し流れ」る流れがある。
そこで「目下の支那問題を解決すべき鍵」は「この潜流を透見する」ところにあるとする内藤は、「歴史を専攻する者」として「数千年来の記録が示しておるところの変遷」に基づいて、「目下最も重大視せられると思う幾つかの問題を提げて看て、それを一々かの大惰力、自然発動力の標準によって解釈してみる」。これが「この小冊子」、つまり『支那論』出版の由来らしい。
なんだか回りくどい表現だが、とどのつまりは激変する社会の動向を捉えるには、表面の動きを侃々諤々と論じても仕方がないから、「その国力の惰力、その国土人民の発動力」の動向を見極めることが肝心だ。そのためには「数千年来の記録が示しておるところの変遷」を学ぶ歴史家である自分が、自らの学識を以て「表面の激しい順逆混雑の流水の底」を解き明かそうとしたのが、『支那論』ということだろう。
『支那論』は「破壊された清朝の跡へ、新しい時代を建設する方から看た立論」ゆえに、「支那の古来、殊に近世の大勢を統論」する必要があるという。だから「冗漫に渉るようになった」ことを許されよ、というわけだ。なにはともあれ、イザ・・・本論へ。《QED》