――「中国人の変わり身の速さに感嘆を禁じ得なかった」
廖亦武『銃弾とアヘン』(白水社 2019年)
書名にある「銃弾」は1989年6月の天安門事件に際して人民解放軍兵士の銃口から撃ち出された銃弾を、「アヘン」は事件後に�小平から発せられた「南巡講話」を転機に国を挙げて突入した金権万能社会を支配する金銭欲を象徴する。
「「六四天安門事件」生と死の記憶」のサブタイトルを持つ本書は、「六四大虐殺以前、私は伝統に反する詩人だった」と自らを語る廖亦武が「反革命宣伝煽動罪で懲役四年」の刑を終えて後、いわれなき罪によって強引に刑務所に放り込まれ、人生の大半を失ったような市井の人々を訪ね歩きインタビューし、事件に対するする彼らの心の裡を問い質し、彼らが語る思いの丈を綴った証言録である。
本書に登場する人々は天安門広場で民主化運動をリードし、内外のメディアから注目され「芸能界の有名人気取りだった」柴玲のような民主化スターでもなく、当局による「大虐殺」が始まったら「脱兎のごとく走り去った」「国内外の六四エリート」でもないし、「肝心な時にチェーンが外れて動けなくなる自転車みたいな」知識人でもない。何よりも義侠心と正義感から解放軍に立ち向かった無名の「街頭の勇士」たちだ。
当局と衝突し、尾行を躱し、社会の冷たい目に耐えながら市井に暮らす証言者は16人ほど。彼らが経た人生を知るほどにヒシヒシと伝わってくるのは、「共産党は本当にあっという間に人を殺す」との憤怒と恐怖だ。以下、興味深い証言を拾ってみた。
「(あの時)中国人は民主という大きな夢を見ていたんだ」
「(運動は)私たちにとってはカーニバルだったな、独裁政府が人民大衆の大海に沈んだんだから」
「六四の主体となったのは何千何万にのぼる暴徒たちだった」
「いつまでも毛沢東の亡霊がつきまとう限り、�小平の強力な支配を取り除かない限り、共産党の統治である限り、反抗の帰結はすなわち流血なのだ」
「学生や文人が、瞬き1つせずに人を殺せる熟練した政治屋と争ってどうして勝てる?」
「(刑務所に)入ってわずか半年で、牛のような屈強な体つきのおれが、飢えで一〇キロあまり肉が削げ、残るは骸骨だけになった」
「(庶民は)死んでも死にきれない。貧しい庶民ほど、死なないと政府はわかっているんだ。死んだところで、何だっていうんだ? (中略)雑居房は狭いし、王八(ばか野郎)は多いし、皮膚と皮膚がくっついて、臭いケツとケツがくっついているから、一人が病気になるとあっというま間にみんな病気になる」
「(刑期を終えた後の不遇を)おれも恨まないよ。こういうことになったのはほかでもなく、改革開放で利益と欲に目がくらみ、魂を売って道義を忘れ、みんなが腐敗に憧れる新時代に乗った中国人のおれたちなんだもの」
「絶対多数の中国人は、一生騙されて、声を呑み込んで我慢し、妻を寝取られた男みたいに暮らしている」
「捕まったことがなかったから、プロレタリア独裁がどれほどすごいかわからなかったんだ」
「老いぼれで醜悪なあのチビは」「毛沢東にもてあそばれたのに、毛沢東の例の調子でひとをもてあそぶんだ」
「売春するより貧しいほうが笑われるこの時世」に「絶対多数の中国人と同様、生活に洗脳された?」
中国人に就いて回る「銃弾」と「アヘン」・・・どっちにしてもマトモではない。《QED》