――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘28)橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

【知道中国 2067回】                       二〇・四・念六

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘28)

橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

ものはついでと言うから、もう少し面子を考えてみたい。そこで思い立ったのが周恩来(1898年~1976年)であり、その死を悼んで出版された『周恩来総理の思い出』(外文出版社 1978年)を引っ張り出して表紙を開けてみることにした。

すると先ずに目に飛び込んでくるのが、超高級生地を使って最高に仕立てられたであろう人民服をピシッと着こなした端正な顔立ちの周恩来の上半身写真である。写真の下には「中国人民の偉大なプロレタリア革命家、傑出した共産主義戦士周恩来」とある。ウン、面子は十分に保たれている。

確かに湖南の田舎オヤジそのもので歯を磨くことも顔を洗うことも嫌ったといわれる毛沢東、ドン臭い好々爺然とした朱徳、匪賊そのものの賀龍、チビの鄧小平などの田舎臭紛々の他の指導者に較べれば、周恩来は醸し出す都会的雰囲気は際立ってステキだ。さすがに地主の若旦那だけあって、別格だ。

冒頭には「周恩来総理は永遠にわたしたちのもとを去った。だが、周総理は片時もわたしたちから離れてはいないのだ。/広々とした中国の大地で、周総理はいまなお大衆とともに呼吸し、心を通わせている。周総理の輝かしい形象は、永遠に八億人民の心のなかに生きつづける。〔中略〕ここに収録した文章は、周総理の逝去一周年を記念して中国の新聞・雑誌に発表されたもののごく一部にすぎない」と、「出版者のことば」が掲げられている。

周恩来の活動拠点であった国務院弁公室グループの「敬愛する周恩来総理の逝去一周年を記念して」を筆頭に全部で22編の思い出や追悼が収められているが、やはり注目は「周総理をしのぶ西蔵(チベット)人民」(中国共産党西蔵自治区委員会)の一節だ。

「われわれは、西蔵人民にたいする周恩来総理の配慮を永遠に忘れることができない」。それというのも周恩来は「毛主席の革命路線と民族主義政策を忠実につらぬき」、「自らチベット問題の解決に関する毛主席の教えを身をもって実行し、一連の重大な問題を解決した」。「周総理は自ら電話の側を離れず、万里の高原の勝利のニュースをまち受け、毛主席の戦略的配置を伝えた」からである。ここでいう「一連の重要な問題」とはチベットに対する武力制圧を指すが、中共西蔵自治区委員会は「平和的解放から反乱平定、民主改革へ、民主主義革命から社会主義革命へ」と詭弁を弄し現実を糊塗しようとする。

じつは周恩来は漢族を大量にチベットに移住させチベットの漢族化を強行し、漢族が溢れ返りチベット族が逼塞して暮らさざるをえないような悲惨なチベットを画策した張本人であるにもかかわらず、「わたしたちは、チベットの平和的解放、祖国大陸の統一および漢族、チベット族間の団結促進のうえで、周総理がなしとげた歴史的功績を永遠に忘れることはできない」と、白々しくも記されている。

この追悼文は、「敬愛する総理よ! あなたは中国革命と世界革命のために赤誠をこめて、力のあらん限り尽くしたすえ、疲労がかさなり病気になって入院し、頑強に病魔とたたかってきました。深夜の十二時に、病床に横たわりながら、なおわたしたちのことを思い、わたしたちに心をくばってくれました。あなたはほんとうに、全国各族人民のよき総理です」と結ばれている。

先ずは「全国各族人民のよき総理」の面子は保たれているようだが、チベットの惨状に立つなら、周恩来が「病床に横たわりながら」「思い」、「心をくばって」いたのは、漢族に拠るチベット完全制圧だったに違いない。

じつは周恩来は「全国各族人民のよき総理」なんぞではなく、その働きからいうならば“筆頭執事”として毛沢東に一生を捧げたに過ぎないのである。面子・・・フ~ン。《QED》


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