――「『私有』と言ふ點に絶大の奸智を働かす國である」――竹内(4)竹内逸『支那印象記』(中央美術社 昭和2年)

【知道中国 1878回】                       一九・四・仲二

――「『私有』と言ふ點に絶大の奸智を働かす國である」――竹内(4)

竹内逸『支那印象記』(中央美術社 昭和2年)

 建国直後の1951年11月から52年8月にかけて、毛沢東は「三反・五反運動」と称する運動を全国展開して「公私混淆の惡弊打破」を訴えたが徒労に終わった。

1978年末の開放政策に踏み切った後の1980年8月、�小平は「幹部らは職権を乱用し、現実からも一般大衆からも目を背け、偉そうに体裁を装うことに時間と労力を費やし、無駄話にふけり、ガチガチとした考え方に縛られ、行政機関に無駄なスタッフを置き、鈍臭くて無能で無責任で約束も守らず、問題に対処せずに書類を延々とたらい回しし、他人に責任をなすりつけ、役人風を吹かせ、なにかにつけて他人を非難し、攻撃し、民主主義を抑圧し、上役と部下を欺き、気まぐれで横暴で、えこひいきで、袖の下を使えば、他の汚職にも関与している」(『現代中国の父 �小平』エズラ・F・ヴォ―ゲル 益尾知佐子・杉本孝訳 日本経済新聞社 二〇一三年)と獅子吼したが、とどのつまりは徒労に終わった。

1989年6月、共産党独裁反対を掲げて天安門広場に集まった若者たちは幹部による「公財私用」に反対の声を揚げたが、解放軍の力に由って圧殺されてしまった。

習近平は政権掌握から程なく「反四風運動」の旗を掲げ、幹部の綱紀粛正を打ち出した。「反四風運動」とは、幹部による形式主義・官僚主義・享楽主義・贅沢主義の四つの作風(四風)――具体的には公金を使っての派手な宴会、カラオケ・レストランのみならずナイトクラブまで併設したような贅沢極まりない庁舎の建設、個人的な贅沢なパーティー、はたまた企業接待による浪費など――に反対し、幹部の身勝手極まりない振る舞いを厳禁することで、農村と都市、都市における富む者と貧しい者の格差の拡大が引き起こす仇富感情を抑え、社会的安定を確立させ、政権への求心力を高めようとした。

これに加えて外出訪問の簡素化、分不相応な大人数での歓送迎禁止、客を迎える際には絨毯を敷かない、外出訪問時の随員の制限などを定めた「反浪費八項目規定」も用意されたとか。いわば、なべて平等を旨とする社会主義政権の最高指導者としては、「これでは人民に示しがつかないではないか」という“大苦言”といったところだが、現在までのところ政権の一強化は進むものの、「反四風運動」は雲散霧消化。暖簾に腕押し、糠にクギ。

そういえば今から7年ほど前に雲南省を旅した時、「中国で最もインド洋に近い都市」をキャッチコピーにしていた芒市の市政府役所の壁に「国家工作人員十条禁令」がデカデカと張り出されていたことを思い出した。

それには麗々しく「一、本来の職務を遂行せず、職務を疎かにすることは厳禁。二、ウソで固め、上司を騙し部下を誑かし、業務を執行せず、引き伸ばすことは厳禁。三、物資購入の際に横流し、公共工事入札の際に手心を加えることは厳禁。四、職務権限をタテに相手業者に金銭、食事を強要することは厳禁。五、賭博に加わることは厳禁。六、公共の場での麻雀は厳禁。七、飲酒でイザコザを起こし、業務に支障をきたすことは厳禁。八、勤務時間中に本来業務を怠ることは厳禁。九、公金を高額遊興費に流用することを厳禁。十、如何なる理由があれ薬物の使用を厳禁」と10項目が。ということは、この種の「公私混淆の惡弊打破」を特に厳禁とせざるをえないほどに「公私混淆の惡弊」が横行しているに違いない。

じつは江澤民もまた最高権力者であった当時、「永做人民公僕(永遠に人民の公僕たれ)」の6文字を掲げていたはず。つまり、この6文字を持ち出さねばならないほどに「公私混淆の惡弊」が横行していたということ。いや、そうに決まっている。

福沢諭吉の「門閥制度は親の仇」に倣って「公私混淆の惡弊」を「民族の仇」と言いたいが、やはり「公私混淆の惡弊」は“民族的業病”と諦めるしかない・・・デスね。《QED》


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