ロシアのウクライナ侵略に武器支援を表明したのは、米英をはじめEU(ヨーロッパ連合)やスウェーデン、フィンランド、そしてリトアニア、エストニア、ラトビアのバルト三国など十数か国にのぼっている。
中でも驚かされたのは、「紛争地には殺傷兵器を送らない」として、ウクライナへの軍事支援は自衛用ヘルメットの供与にとどめていたドイツだ。ショルツ首相は「プーチン露大統領の侵略を止めるには、ほかに対応策がない」と、ウクライナへの武器支援を決定した。ロシア産ガスに依存するドイツが、まさかの一大路線転換だった。国防費もGDPの2%超に引き上げるという。
このドイツの路線転換は何を意味するのだろうか。ショルツ首相は「プーチン露大統領の侵略を止めるには、ほかに対応策がない」と表明したことによく現れているように、武力という力の前に経済は二の次ということだ。
産経新聞の古森義久・ワシントン駐在客員特派員も「『政治が経済を打ち破るという現実の結果だ』とする異色の総括に特に強くうなずかされた」として、「経済の共通性はロシアの政治的な野心や軍事力の行使という非経済の要因により一瞬にして吹き飛んでしまった」という現実を指摘する。
いささか前に産経新聞に掲載された「古森義久のあめりかノート」よりご紹介したい。
—————————————————————————————–「経済至上主義」吹き飛んだ古森 義久(ワシントン駐在客員特派員)【産経新聞「古森義久のあめりかノート」:2022年4月3日】
ウクライナ戦争は国際情勢全体において何を意味するのか。
「ロシアの野望による蛮行」「グローバル化の破綻」「米国の軍事抑止力の衰退」「戦後の国際秩序の崩壊」…など、米国の識者たちの特徴づけはこのあたりが主流である。
だが「政治が経済を打ち破るという現実の結果だ」とする異色の総括に特に強くうなずかされた。ベテランの国際問題評論家でニューズウィーク誌国際版の編集長も務めたファリード・ザカリア氏が3月10日のワシントン・ポスト紙への寄稿などで述べた見解だった。その骨子は以下のようだった。
ソ連の崩壊以後の30年ほど世界の多くの諸国は経済の成長や自由化を最重視する政策を進めてきた。経済を成功させ、他国との経済の絆を強めれば、国際関係も円滑に動くという経済至上の思考が基盤だった。だがウクライナ戦争は経済以外の政治要因こそが国際関係を動かすという現実をみせつけ、経済最優先主義の非現実性を証してしまった─。
ザカリア氏はさらに経済での利益や合理性だけを追えば世界はうまくいくという考えは間違いだとして、ロシア国内に850もあったマクドナルドの店舗がウクライナ戦争で一気に閉鎖へ向かう現実を分かりやすい例証として挙げていた。
確かに、ロシアは米国とも西欧とも経済関係は互恵といえるほど円滑だった。ウクライナとさえ貿易は活発だった。だが、その種の経済の共通性はロシアの政治的な野心や軍事力の行使という非経済の要因により一瞬にして吹き飛んでしまったのだ。やはり人間集団や主権国家にとって安全保障や統治理念を含む政治が主であり、経済は従ということなのだろう。
ザカリア氏はこれまで経済を至上と位置づけ、その基盤の安全保障はあまり努力をしなくても、当然そこに存在するとみなしてきたような国としてカナダ、ドイツ、日本を挙げた。だがその3国とも今や防衛や軍事の重要性に目覚めたようだ、というのだった。
日本ではこの経済至上主義とよく一体となるのは無抵抗平和主義である。とにかく平和が大切だから侵略や暴力にも一切、抵抗するなという主張だといえる。事実上、降伏せよ、という思考である。現在も元大阪府知事の橋下徹氏がウクライナ国民に対して無抵抗を呼びかけ、物議をかもした。
この点で私自身が忘れられないのは4年ほどのベトナム戦争報道の最後に現地で目撃した「独立と自由より貴いものはない」という大標語である。サイゴン(現ホーチミン市)での勝利大祝賀会で掲げられた唯一の巨大な横断幕のスローガンだった。そこには「平和」という言葉はなかった。
ベトナム革命勢力、つまり今のベトナム社会主義共和国が長年の民族独立闘争で最大指針としたベトナム共産党のホー・チ・ミン主席の言葉だ。もちろん独立や自由のためには平和も犠牲にして戦う、という意味である。
現実の世界にはこうした決意をする国民、民族、国家が厳存するのだ。橋下氏のような日本の降伏論者にも知っていただきたい人間の生き方である。
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