――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港202)
『中國京劇』の2021年11月号は、荒寥とした葦原の外れに立つ小さな茶店――共産党の地下連絡拠点――を舞台にした現代劇「蘆蕩火種」を特集する。
文革を煽った革命現代京劇の1つである「沙家濱」を改編したものだが、演目名を元の「蘆蕩火種」に戻している。つまり文革前は「蘆蕩火種」だったものが革命現代京劇へ“昇格”したことから「沙家濱」に改められ、今回、「蘆蕩火種」に戻され、内容を一新して公演されたということだ。
「沙家濱」も今回の「蘆蕩火種」も共に主役は茶店を経営する老板娘(オカミさん)の阿慶嫂だが、舞台全体での比重に大きな違いが見られる。この点を同誌は、「現代京劇『蘆蕩火種』では阿慶嫂の出番が増やされ、地下工作者、優秀な共産党員としての彼女の身分が一層強調されている」と伝える。葦原に身を隠し戦傷の治癒と兵力立て直しを進める共産党傷病兵の一群を庇いつつ、彼女は茶店を執拗に疑う日本軍や共産党狩りに血眼になっているヤクザを向こうに回し、知力を尽くして戦う。
かくして彼女の振る舞いは「より深く、より活き活きとした愛国主義教育」の生きた教材となり、「新時代の社会主義文化建設に新たな、より大きな貢献をなした」となるそうだ。「より深く、より活き活きとした愛国主義教育」とか、「新時代の社会主義文化建設」などと言う手垢の付いたような共産党プロパガンダ常套句が習近平政権に対するヨイショであることは、敢えて指摘するまでもないだろう。
以上を総括してみると、『中國京劇』が特集として扱った「党的女児」「花漫一碗泉」「文明太后」「夫人城」「母親」「蘆蕩火種」、加えるに「岳母刺字」「楊家女将」――これらの演目は「強いオッカサン」に収斂し、彼女らが指し示す愛国と党への忠誠といった主張に貫かれていると言っておきたい。
「党的女児」の田玉梅、「花漫一碗泉」の白玉蘭、「文明太后」の文明太后馮氏、「夫人城」の韓太夫人、「母親」の葛健豪、「蘆蕩火種」の阿慶嫂、それに「岳母刺字」の岳母、「楊家女将」の?夫人などの「強いオッカサン」の系譜に習近平夫人の彭麗媛を並べてみると、面妖とまでは言わないまでも、やはり不思議な構図が浮かんでくるようにも思う。
延安以来の共産党の権力闘争、わけても建国以来のそれを追ってみると、江青(毛沢東夫人)、王光美(劉少奇夫人)、葉群(林彪夫人)の微妙な立ち位置を考えないわけにはいかない。彼女らは権力者の配偶者であることをテコに政治の世界で「最高権力者の代弁者」として権力闘争に積極的に関与し、結果として毛も劉も林も、“配偶者の政治嗜好”を阻止できなかったことになる。まさに彼女らは「強いオッカサン」然と政治の世界に闖入していったのである。
こう振り返って見ると、中国の政治文化において権力者夫人(私)と正式の政治ポスト(公)を峻別するシステムが機能していないようにも思えるが、こういった曖昧模糊としたシステムがあるかぎり、やがて彭麗媛は党中央常務委員ならぬ常務委員、副主席ならぬ副主席として振る舞う可能性は否定できそうにない。このような政治文化からして、『中國京劇』が見せる一連の特集は、あるいは現在中国の「強いオッカサン」に対するどうしようもないヨイショであり、それは同時に習近平一強体制への忖度とも言えるだろう。
今秋に確実視される3期目の習近平政権において、あるいは彭麗媛夫人が愛国と党への忠誠のアイコン役を演ずるのか。興味は尽きないところではある。
こう見てくるとアメリカと覇権を争い、世界秩序の大転換を希求する共産党政権中枢の思考回路には、どうやら文革的思考の残滓がビッシリとこびりついているようにも思える。
なにやら大いに遠回りしてしまった。大いに反省して第六劇場に戻ることにする。《QED》