【黄天麟先生を悼む】 国民党は「軍中楽園の少女像」を建立せよ  黄 天麟(台日文化経済協会会長)

 昨日の本誌で、5月19日夕方、総統府国策顧問などをつとめられた台湾の黄天麟・台日文化経済協会名誉会長が入院先の台湾大学附属病院にて満92歳で亡くなられたことをお伝えしました。

 その記事でもお伝えしましたように、黄天麟先生は、第一銀行頭取や国家安全会議諮問委員、国策顧問もつとめたことで台湾では著名な方で、日本でも経済界を中心によく知られていました。

 また、小さな経済体は大きな経済体に吸収されるという「周辺化理論」を唱導したことでも知られます。李登輝学校研修団では、瀬戸大橋ができてから四国の香川県側がどうなったか、生まれ故郷の澎湖諸島に西嶼と馬公市をまたぐ橋ができて西嶼はどうなったか、「橋ができる前より豊かになっていますか」と問いかけ、馬英九政権が2010年に中国と締結した「経済協力枠組み協定」(ECFA)に当初から大反対でした。台湾が中国に呑み込まれてしまうことを憂慮されてのことでした。

 そこで、2017年に「自由時報」に寄稿された「両岸交流30年の第2の視点─失落した台湾経済」を訃報と併せてご紹介した次第です。

 温和や柔和という言葉がぴったりの黄天麟先生でしたが、ご専門の経済以外の問題でも、言うべきときは言う憂国の士でもあり、お話をお聴きしていると台湾を心から大事にしていることがよくよく伝わってきます。

 台南市内に慰安婦像が出現した2018年8月、1949年に毛沢東軍に敗れて台湾に逃げ込んで来た中華民国・中国国民党の実態をよく知る黄天麟先生は早速、「自由時報」に寄稿しました。その舌鋒の鋭さには舌を巻きます。このとき黄天麟先生は89歳。これぞ「憂国の士」の一文です。本誌でご紹介したことがありましたが、「憂国の士」を偲んで再掲します。

—————————————————————————————–国民党は「軍中楽園の少女像」を建立せよ黄天麟(総統府国策顧問・第一銀行元頭取、元会長)【自由時報:2018年8月21日】

 8月14日、台南市にある国民党台南支部隣接の広場に慰安婦像が置かれ、開会式には馬英九前総統が出席した。

 第二次世界大戦における台湾人慰安婦の苦しみに抗議するというのであれば、なぜ蒋介石総統あるいは蒋経国総統の時代に抗議を行わなかったのか。馬英九前総統も、現職時代には何もせず、戦後73年も経過してからなぜ台南でこの問題を持ち出したのか。筆者からすれば、国民党は反日感情を強く持つ急進的な勢力の人たちを扇動して、故意に日台の友好関係を破壊しようとしているのであろうとしか解釈できない。

 馬英九前総統をはじめ、彼らは戦時中の台湾に生を享けていたのだろうか。彼らは、戦後に中国大陸で生まれた人間で、戦時中の台湾で起きた歴史に対して評論する資格は何ら持ち合わせていない。

 戦時中の台湾を知り、この台湾で日常生活を送っている、筆者のような人間がたくさんいる。このような人間にこそ、本当の台湾の歴史を語る資格があるのであって、戦後生まれで中国のイデオロギーに染まった人間がクチバシを挟んで事実を捻じ曲げることは許されない。

 筆者は日本統治時代に台南二中で学んだ。ある日のこと、クラスで少年航空兵の募集があった。これに手を挙げたのはクラスの半分程度だったが、そのなかから担任の先生が優秀な数名を選んで応募した。しかし、1ヶ月あまり後の合格者発表では、わがクラスからは誰も合格することが出来なかった。気持ちが高揚していたのか、不合格を知らされたクラスメイトのひとりは、その場で「お国のために働きたかった」と泣き崩れた。

 「お国のために」という言い方に疑問を感じる台湾人もいるだろう。ただ、当時、台湾は日本だったのだから当然なのだ。台湾で禄を食む「高級中国人」と呼ばれる連中は、こうした筆者のような人間たちを「皇民」と呼んで罵るだろう。でも、これが台湾の歴史の真実なのだ。台湾の人々は当時、みな「日本国民」だったのだから。

 戦時中、米国で育った日系二世の若者は、米国という国家への忠誠を示すため、日系部隊として目覚ましい功績をあげた。こうした歴史的事実は、「高級中国人」の目にはどう映るであろう。「米帝の走狗」と罵るのだろうか。「米帝の走狗」であろうと「皇民」であろうと、彼らはみな「人格」を有した一個の人間である。慰安婦という存在もまた、その背後にある社会状況を加味して理解しなければならない。

 慰安婦とは、人類の歴史上の傷口である。日本は決して謝罪していないわけではない。宮沢喜一元首相、河野洋平元内閣官房長官、橋本龍太郎元首相、小泉純一郎元首相と、並みいる政府首脳が謝罪をしてきている。

 では、戦後台湾に存在した「軍中楽園(慰安所の通称)」については、誰も何も声を上げていないではないか。筆者も戦後、兵役を経験している。兵隊たちが喜び勇んで「軍中楽園」へ遊びに行くのについて行ったこともある。「軍中楽園」では、どこから連れてこられたのか分からないような少女たちが、こんなはずではなかったというような表情で臭い小部屋のなかに住まわされていた。

 ところが、現在にいたるまで、国民党あるいは関係者から、この少女たち(主には原住民の少女)に対して謝罪したということは寡聞にして知らない。もちろん、相応の補償がなされたという話もない。

 国民党台南支部に対して言いたい。もし本当に、こうした歴史上、被害を受けた女性たちを救済することに関心を持つのであれば、慰安婦像の隣に同じ大きさで「軍中楽園の少女像」を建てるべきだ。そうすることで、台湾に敗走してきた国民党が行った非人道的な政策に対する謝罪を表明することになり、台湾を植民地同様に蹂躙してきた負のシンボルにもなるだろう。それが出来ないのであれば、さっさと慰安婦像を撤去するべきである。

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