【ダイヤモンドオンライン:2020年12月19日】https://diamond.jp/articles/-/257743
東京都の1日の新型コロナ感染者がついに800人を超えた。かたや台湾ではコロナ対策が奏功し、4月12日以降、国内感染者ゼロが約250日続いている。日本と台湾の政府によるコロナ対策は当初から大きな差があった。その最たるものは水際対策の初動の遅れとミスジャッジだが、マスク供給をめぐる対応でも大きな違いがあった。台湾では2月にはマスクを国民全員に配布するシステムとマスクの在庫を知らせるマスクマップを作りパニックを防いだ。これらを実現できた背景にあるマスク国産化への政治決断と医療デジタルネットワークについて紹介する。
(アジア市場開発・富吉国際企業顧問有限公司代表 藤 重太)
◆マスク不足を即座に解消した台湾 半年かけて布マスク配布の日本
新型コロナウイルス感染症が拡大を見せてきた1月下旬頃から、日本ではマスクが一部の人たちに買い占められ、市中からマスクが無くなった。しかも、高値転売やマスク不足で国民が困窮している時に、日本政府や東京都などはマスクなどの医療物資を中国に贈与している。
それと同じ頃、台湾政府は1月24日からマスクの輸出禁止、感染予防グッズの「買い占めと高値転売」の取り締まり、そしてマスクの国内生産化を大胆に行った。
2月6日からは全国民が保有している「ICチップ入り健康保険カード」を利用したマスクの実名販売制度が始まり、1枚5元(約17円)で国民全員に公平公正にマスクが行き渡るようになった。
さらに全国約6500店舗の「健保特約薬局」と呼ばれる当局から承認を受けた薬局のマスクの残存数(在庫)がわかる「マスクマップアプリ」が国民に無料で提供され、確実にマスクが買える環境を整えていった。
一方、日本では、まったくマスク不足が解消されないまま、5月中旬に1世帯あたり2枚の「アベノマスク」が260億円余をかけて郵送配布された。2カ月かけておおむね配布完了と政府が発表したが、多額の予算投入と布マスクへの疑問や異物混入の不良品、そして未達報告が相次いで、逆に政府への不信と混乱を深めてしまった。
◆わずか10億円でマスクの生産を増強
台湾は、いち早く政権幹部がマスクの海外依存による危険性を認知して、1月末には国内生産化の推進に舵を切った。当時、台湾のマスクの生産量は日産188万枚、マスク不足による市民の恐慌、混乱が起こることは目に見えていた。
そこで、台湾政府はマスク生産ラインを政府主導で増強することを決定。経済部(経産省に相当)が先頭に立ち、経済部技術系シンクタンク、全国の工作機械組合、精密機械メーカー、マスク生産工場、原料紡績所など30以上の企業団体組合らが協力して、半年以上かかると言われていた生産ラインを一カ月あまりで完成させた。
一台約1000万円のマスク製造装置は、最終的に92台製造され、業界は国家の庇護(ひご)でマスク特需を享受した。この国産化で、マスクの生産能力は現在、従来の10倍近い日産1800万枚以上に到達し、台湾のマスク問題は解決するどころか、世界第2位のマスク生産国に成長。海外にマスクを贈与し、「マスク外交」まで展開したのである。日本にも多くの台湾製マスクが届けられたことを覚えている読者も多いはずだ。今では開発したマスク製造装置まで海外に販売している。
台湾がこの製造ライン政策に使った予算は単純計算で約10億円。かたや、日本が布マスクの購入、検品、梱包、配送に使った予算は260億円以上。どちらが有効に国民の税金を使ったかは明らかではないだろうか。
先述の通り、台湾では、マイナンバーカードのようなICチップ入り保険証「全民健保ICカード」を使用したマスクの実名販売制を2月から実行した。これは、保険証での購入履歴がオンラインネットワークで衛生福利部(厚生省に相当)中央健康保険署に集約され、二重購入や販売ミスが防げる仕組みだ。この「全民健康保険ネットワークシステム」は、国民と全国の病院そして健保特約薬局をつなぎ、国民の健康を守っている。
台湾は1995年に複数あった保険制度を統合して「全民健康保険制度」を導入した。2001年から「全民健康保険ネットワークシステム」を構築し、今回活躍した医療デジタルネットワークを完成させた。また、2004年には、「全民健康保険証カード(保険証)」をICチップ入りに変更し、現在では国民全員(99%以上)がこの「ICカード」を保有している。
こうした取り組みが基盤にあったからこそ、オードリー��ぢタン政務委員が必要な行政機関との調整を図り、ネットワークデータの一部をオープンソースとして、民間企業に活用させ「マスクマップ」を開発させることができたのである。
◆迅速なコロナ対応を可能にした医療インフラ
「全民健保ICカード」には、患者の診察、検査、治療、投薬などの医療情報が記録され、ネットワークで中央健康保険署のサーバーで収集・管理されている。同時に、診察検診、血液検査、検査画像、入退院情報などの電子カルテも統一され、医療機関での共通化が図られている。
また、患者の同意があれば、診断する医師は半年間の診察記録や投薬記録を確認することが出来るので、無駄な検査が不要で、短時間で適切な診察が受けられる。これにより全国で均一な医療サービスを受けられるようになるため、国民の9割程度が医療情報の公開に賛同している。なお、患者の医療情報は、診察する医師が保有する医師専用のICカードがないと閲覧できないようにプロテクトされている。
この「全民健康保険ネットワークシステム」は、ほかにも多くの良い副産物を生んでいる。医療情報の共有は、医療機関による過度な検査や薬剤処方の重複を避けることが出来るので、医療費の大幅な削減効果も生んでいる。さらには、日本で問題になっているような、患者が自分の疾患を利用して処方薬を大量に仕入れて転売する悪用も防いでいる。
そして、「全民健康保険ネットワークシステム」は、12時間以内に全国の診療データの集計や分析が出来るようになっており、特定疾患の増加にすぐに対応できる仕組みが出来上がっている。
たとえば今回の新型コロナウイルスが特定地域で増加すれば、その傾向が報告され行政側が適切な対応を行い、パンデミックを防ぐことが出来るようになっている。新型コロナウイルスが発生する前から、このような情報を的確に掌握する医療インフラが構築されていたのだ。どこかの国が、各保健所の情報をFAXで手集計しているのとは次元が違うのである。
◆台湾医療ネットワークはバイオビジネス発展の鍵
このように台湾の全民健康保険ネットワークシステムは、便利なだけでなく国民の健康状態および医療傾向をも把握している。そして、これらの医療情報は、台湾衛生福利部中央健康保険署のビッグデータに集約されている。このデータは学術方面に開放されており、医療バイオ関係企業、研究所のR&D(研究開発)に有効に利用されている。
今後、IT技術、AI技術がさらに進歩すれば、病歴や投薬歴などと疾患発症の因果関係の解明や多くの治療薬、治療方法、そしてワクチンなどの開発にも役に立つだろう。台湾が、次世代の国家産業戦略のひとつとして「バイオ医療産業」を掲げているのも納得できる。日本ではあまり報道されていないが、台湾では11月から国民2万人の参加者を募って新型コロナワクチンの臨床実験を行い、すでに開発の最終段階を迎えていると言われている。
このように今回の「台湾のコロナ戦」は、「見えないファクターX」などに「たまたま」守られたのではなく、過去の失敗経験からの学習、周到な準備と制度改革、法整備、組織改革とITデジタルの活用などによって、確信に近い根拠を築いて国民を守って来たのである。
日本政府はそろそろ自国の現状を冷静に見定め、何が台湾との差を生んでしまったのかを考えなければいけない時期ではないだろうか。ぜひ、「禍を転じて福となす」としてほしいものである。
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藤重太(ふじ・じゅうた)1967年(昭和42年)、東京生まれ。千葉県佐倉市に育ち、1986年、成田高校(学校法人成田山教育財団)卒業。国立台湾師範大学国語教学センターに留学し台湾大学国際貿易学部卒業。在学中、夜間は私立輔仁大学のオープンカレッジで日本語の講師を4年間務める。1992年、香港にて創業し株式会社アジア市場開発の代表に就任。2011年以降、小学館、講談社の台湾法人設立などをサポート、台湾講談社メディアでは総経理(GM)を5年間務める。台湾経済部系シンクタンク「資訊工業策進会」顧問として政府や企業の日台交流のサポートを行う傍ら2016年に台湾に富吉國際企業管理顧問有限公司を設立して代表に就任。主な著書に『中国ビジネスは台湾人と共に行け─気鋭のコンサルタントが指南するアジアビジネスの極意 』(SAPIO選書、2003年) 『藤式中国語会話練習帳(初級・中級)』(台湾旭聯、2007年)『亜州新時代的企業戦略』(台湾商周出版、2011年)『国会議員に読ませたい台湾のコロナ戦』(産経新聞出版、2020年)など。
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