昨日の本誌で、速戦即決の強硬策を取る台湾を「うらやましい」と評価する韓国紙コラムを紹介したように、台湾の武漢肺炎(COVID-19)への迅速で的確な対応が高く評価されるようになってきた。
朝日新聞台北支局長を経てフリーのジャーナリストとして活躍する野嶋剛(のじま・つよし)氏もまた、すでに戦略物資となったマスクの確保面から台湾の危機管理を高評している。
下記にその全文を紹介するが、文中、キーマンとして台湾行政副院長の陳其邁(ちん・きまい)氏を登場させている。奇しくも、昨日の中央通信社が陳其邁・副院長について「医師出身の陳其邁行政院副院長(副首相)が省庁間の連絡に奔走し、調整役として大事な役割を担っている」と報じているので別途ご紹介したい。
なお、野嶋氏は「旧正月の大晦日の1月28日」と書いているが、これは勘違いであろう。今年の旧暦の1月1日は1月25日だから、大晦日は1月24日に当たる。台湾は1月23日から29日までの1週間、春節休暇だった。
野嶋氏は「陳其邁・副院長と沈栄津・経済部長は、旧正月期間中に各方面を走りまわり……60台のマスク生産機械を発注」したことにより「これらの生産機械を業者に分配し、生産を委託し、生産量のすべてを政府で買い上る仕組みを整えた」という知られざるエピソードを記す。この2人が旧正月もほとんど休みを取らずに各方面を駆けずり回ってマスク生産を整えたという、初動の速さが奏功したとレポートしている。
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台湾「マスク・ポリティックス」に見るコロナ時代の危機管理野嶋 剛(ジャーナリスト)【WEDGE infinity:2020年3月11日】
危機管理といえば、真っ先にイメージされるのが軍事や安全保障、外交問題などだが、いま起きている新型コロナウイルスの世界的拡大もまた、国民の生命・財産に大きな影響を及ぼしかねないリスクを有する重要問題であり、政府の危機管理能力が問われることは言うまでもない。特に、日々の生活に関わるマスクの確保に世論は敏感に反応しており、マスクはまさにコロナ時代の「戦略物資」となっている。
コロナの世界的流行で、どの国でも起きているマスク不足。韓国政府はマスクを「戦略物資」と指定することを検討すると明らかにした。日本政府も原則マスクの転売を15日から規制する閣議決定が行われたが、現在マスクは日本では入手困難な状況が続いている。コロナ流行の兆しがある米国でもマスクが不足は始まっていると伝えられている。
現時点でコロナの流行を感染者が50人未満で新たな感染者の発見もこの数日間は起きておらず、中国と近接していながら拡大の抑え込みに成功している台湾の蔡英文・民進党政権の対応が世界で注目されているが、そのなかで1月下旬に発動させたマスク確保作戦を中心とする台湾政府の「マスク・ポリティックス」を詳しく見てみたい。
◆大晦日に始まったマスク自主供給計画
台湾については、38歳の天才デジタル 担当大臣・唐鳳(オードリー・タン)が作ったマスク在庫確認アプリが話題になっているが、それは台湾の新型コロナ対応の大きなピクチャーの一部である。実は、新型コロナウイルスが広がりかけた時期に、台湾でもマスク不足が一時的に表面化しかけたことがあった。台湾の行政副院長(副首相)の陳其邁氏がメディアに語ったところによると、危機が察知されたのは、台湾の旧正月にあたる1月下旬のことだった。
「これはまずいかもしれない」。マスク在庫の動向に対し、不安を感じた陳其邁・副院長は、通常、役所は長い休暇に入る旧正月の大晦日の1月28日に、マスク生産を管轄する経済部の沈栄津部長(大臣)に連絡をとり、対応策の協議に入ったという。
台湾は1月24日にマスクの輸出停止を表明していた。この措置を、野党・国民党は人道的ではないなどと批判したが、もはや輸出など言っていられない事態になっていた。懸念されたのは、マスクの在庫が急激に不足しており、しかも旧正月はマスク生産工場が動かないため、当時、台湾政府が備蓄していた4500万枚のマスクが、旧正月の間にあっという間に空になってしまいかねないことだった。
それまで台湾政府は、毎日600万枚を在庫から出し、コンビニエンスストアなどで販売していた。当時、1人につき3枚という制限があったにもかかわらず、セブンイレブン、ファミリーマートなどの主要コンビニエンスストアでは配分したマスクの8割が売り切れてしまっていた。マスク売り上げのスピードは、新型コロナウイルス騒動が起きる前の40倍に達していたという。
沈栄津・経済部長は、政府が補助を負担して給料を上乗せするので、旧正月の間でもマスクの生産をできないか工場に確認をとったが、すでに職員が休暇に入っているため、応じてくれるところは見つからなかった。台湾では、一般向けマスクの9割は中国からの輸入。このままではマスクの在庫は早晩尽きると判断し、政府自らがマスク生産をサポートし、台湾自身によるマスク自主供給体制を確立することを決めた。
陳其邁・副院長と沈栄津・経済部長は、旧正月期間中に各方面を走りまわり、ほとんど休暇をとることができなかったという。その間にやったことは、台湾政府が60台のマスク生産機械を発注したことだ。一台につき価格は300万台湾ドル(1台湾ドル=3・5円)で、合計で1.8億台湾ドルの費用となった。これらの生産機械を業者に分配し、生産を委託し、生産量のすべてを政府で買い上る仕組みを整えた。
◆世界第2位のマスク生産国へ
通常台湾でマスクは1枚につき工場の中間業者への卸価格は1枚1.5台湾ドルだが、政府は2.5台湾ドルで買い取る約束にした。そのかわり、500万枚の生産につき、120万枚は政府へ無料供与をするということになった。一定期間が経過し、緊急事態が終わったあとは、生産機会は協力してくれた企業に贈与されることになっている。材料についても、一般向けマスクの材料となる不織布を生産する企業と連携をとり、少なくとも6月までは不織布の供給に問題がないよう手配済みだという。
こうした努力が功を奏し、仕事始めとなる1月上旬の旧春節明けには、台湾では日産400万枚の生産体制が整っていたという。現在もさらに追加で生産機器30台を購入しているという。現在の生産能力は日産800万枚。3月中には日産1000万枚に達する予定であり、中国に次ぐ世界で第2位のマスク生産大国になるという。ただ。いまのところ台湾内部の供給を優先して輸出は解禁しない方針だ。
それほど大量のマスクが必要になるのかと疑問に思われるかもしれないが、人口2300万人の台湾では通常は毎日200〜300万人がマスクを使用しているが、コロナ危機が始まってからは1日に1000万人が使用している可能性もあるため、日産1000万枚であっても多すぎるとはならない、という政府内の試算があるという。
◆どの薬局にどれだけマスクの在庫があるか一目でわかるアプリ
一方、台湾では2月6日からマスクの実名購入制を導入する準備も旧正月中に完了させた。購入できるのは大人1人につき週に2枚まで。台湾は国民すべてにID番号がある。オンラインで健康保険と紐付けさせられる特定薬局や保健所でIDを提示しながら1週間に1人2枚のマスクが買えるようにした。大行列を回避するため、ID末尾の奇数番号と偶数番号で購入日を分けた。回線がパンクしないように巨大なサーバーを買いつけたという。
同時に、台湾の「天才IT大臣」とも称される唐鳳は、どの薬局にどれだけマスクの在庫があるか一目でわかるアプリを開発した。開発にかかった時間はわずか48時間だったという。多くの民間のプログラマーが、唐鳳が立ち上げたオープンソース式のソフトウエア開発に参加し、2月6日の実名制導入と同じ日にアプリも立ち上がった。アプリの運用にあたっては、唐鳳は、利用者の意見を素早く反映しながらアプリを随時改善し、マスクの在庫を示す衛生当局の資料も30分ごとに更新するよう指示したという。こうした努力があったら、事実上のマスク配給制ともいえる実名購入制がスピーディーに導入できたのである。
それでも現状は台湾では朝などは行列の姿を目にするが、人々から大きな不満の声は出ていない。それは、苦労はしても「必ずマスクが手に入る」という見通しが立っているから、不安を起こさないという状況が大きいと見られる。台湾政府は、マスクに関わる違法な転売やフェイク情報の流布も取り締まっており、マスクをめぐるパニックはなく、国民みんなが少しずつ我慢をすれば、マスクを確保できるようになっているのである。
また、台湾では政府を通して、航空会社、タクシー会社、医療機関、社会福祉施設など、多くの人間と接する職場には、マスク供給を欠かしていない。
◆今週から「マスク実名制2.0」へ
9日には閣議を開き、「マスク実名制2.0」と称して、現在の大人1人週2枚、子供1人週4枚から、それぞれ大人1人週3枚、子供1人週5枚に増やし、さらに現在の行列解消ためにネット予約のコンビニ受け取り方法も試みるという。今週からテスト運用が始まる。
たかがマスクではないかと思われるかもしれない。あるいは、マスクを必ずしも健康な人はつけなくてもいい、という専門家の意見もある。しかし、いまやマスクは新型コロナウイルスの脅威に直面する人々にとって、目に見えないウイルスという敵から身を守るための唯一といっていい、ささやかだが確かな防御方法だと認識されている。マスク着用が、この感染拡大状況で社会のスタンダードになってしまっている以上、安定供給を確保するのが政府の務めであることは言うまでもない。
台湾では特に世論の政府監視が厳しい。マスクという生活に密接した物資が手に入らないとなると、コロナ対策全体の信頼度が問われる、という認識が政府にあった。1月11日に選挙で大勝したばかりの蔡英文・民進党政権であるが、緩みを見せないでこの危機を乗り切ろうという意思統一があったことが、マスク確保にも役立っている模様だ。
日本政府もマスクの買い上げや生産増強を進めていることは伝わっているが、台湾の取り組みよりは1カ月以上遅れている。この初動の遅れとスピード感の欠如は、マスクだけでなく、学校の休校やイベント自粛、中国客の遮断などほかの措置とも共通することであり、日本と台湾のコロナ押さえ込みの結果にも残念ながら明確に現れていると言えるだろう。
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野嶋 剛 (のじま・つよし)ジャーナリスト1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)、『謎の名画・清明上河図』(勉誠出版)、『銀輪の巨人ジャイアント』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)。訳書に『チャイニーズ・ライフ』(明石書店)。最新刊は『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』(小学館)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com。
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