日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」 より転載
昨年12月、ノンフィクション作家の門田隆将氏は『汝、ふたつの故国に殉ず ―台湾で「英雄」
となったある日本人の物語』を日本はKADOKAWAから、台湾は玉山社出版から同時出版し
た。
日本人の父と台湾人の母との間に生を享け、後に超難関の高等文官司法科試験(司法試験)と高
等文官行政科試験(国家公務員総合職試験)の両方に合格する湯徳章(とう・とくしょう 日本
名:酒井徳章)が、2・28事件で無実の罪により処刑されるまでを描いた渾身の作品で、涙なしで
は読みとおすことができない。
2・28事件から70年を迎える今年、「まさに日本と台湾を縒(よ)り合わせて、一本の絆を綯
(な)って」(門田氏)従容として死に就いた湯徳章を慰霊顕彰する本書の刊行はまさに時宜を得
ている。日本人にも台湾人にも知って欲しいその生涯だ。
門田隆将氏を講師に昨年12月23日に開いた本会の「日台共栄の夕べ」では、本書をテーマに講演
いただいた。声涙ともに下る話に、会場は水を打ったように静まり聴き入った。
講演後、用意していた50冊の本書は瞬く間に売れ切れてしまった。近々、再び取り寄せて皆様に
できるだけ廉価でお頒ちする予定だ。
西日本新聞が門田氏の『汝、ふたつの故国に殉ず』を基に、湯徳章についてかなり詳しく報じて
いる。下記にご紹介したい。
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台湾の若者守った日本人 民衆弾圧「2・28事件」から70年
坂井徳章弁護士 決起断念を説得、自身は処刑死
【西日本新聞:2016年1月4日】
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/article/299217
写真:坂井徳章の銅像の前で「正義感と勇気があり、台湾人民を愛した人だった」と語る李文雄さん
戦後間もない1947年に台湾で起きた「2・28事件」。日本に代わって台湾統治を始めた国民党政
権が多数の市民を殺害する中、命懸けで民衆を守った男性弁護士がいた。熊本県宇土市出身の父と
台湾人の母を持つ坂井徳章(台湾名・湯徳章)。言論統制が長く続いた台湾では詳しく語られて
こなかったが、その生涯を描いた本が日台で同時出版された。坂井の命日を「正義と勇気の日」と
定める台南市は、事件から70年の節目となる2月28日に犠牲者の慰霊祭を開く。(台南・中川博
之)
◇ ◇ ◇
坂井は1907年、日本に統治されていた台湾で生まれた。8歳のとき、交番襲撃事件で警察官だっ
た父を亡くすが、台湾のために尽くした父の思いを継ぐように自らも警察に入り12年間勤務。差別
に苦しむ台湾人の人権を守るには弁護士になるしかないと東京に移り住み、苦学の末に司法試験に
合格した。
43年に台湾に戻り、台南市で弁護士事務所を開設。敗戦で周囲の日本人が引き揚げる中、中国か
ら渡ってきた国民党政権から民衆を守ろうと、台湾に残って弁護士活動を続けた。
事件が起きたのは47年2月28日。政府へ不満を募らせ抗議活動する群衆に向かって警備兵が機銃
掃射。人々の怒りは台湾全土に広がり暴動が起きた。政府の凶暴性に気づいた坂井は、大学に出向
いて決起しようとしていた学生らを説得。思いとどまらせたことで、その後の容赦ない武力鎮圧か
ら多くの若い命を救った。
しかし坂井自身は、日本人を首謀者に仕立てたい当局ににらまれ逮捕された。隣の留置場にいた
男性によると、坂井は取り調べ中、天井からつるされ、銃床で殴られても、決起しようとした若者
の名前を一人も明かさなかったという。
処刑が行われたのは逮捕から2日後の3月13日。拷問で肋骨(ろっこつ)が折れ、手の指も動かな
くなった坂井は、後ろ手に縛られ、処刑場となった台南中心部の公園に連れてこられても悠然とし
ていたという。
多くの市民が見守る中、目隠しされることを拒否。言うことを聞かせようと蹴りつける兵士にひ
るまず立ち上がり台湾語で叫んだ。「目隠しは必要ない。なぜなら私には大和魂の血が流れてい
る。もし誰かに罪があるとしたら、それは私一人で十分だ」。さらに日本語で「台湾人、万歳」と
高らかに叫んだ直後、3発の銃弾に倒れた。
戒厳令による言論統制が87年まで38年間続いた台湾では、政府に立ち向かった坂井のことを詳し
く知る人は少ない。このため、ジャーナリストの門田隆将氏が当時の資料や証言を丹念に集め、ノ
ンフィクション「汝(なんじ)、ふたつの故国に殉ず」(角川書店)を先月刊行した。門田氏は著
書の中で「どんな拷問にも耐え抜く徳章の気迫は、若者の『命』を守り、『人権』を守り抜くとい
う信念に基づくものだった」と伝える。
処刑された公園の近くで生まれ育ち、その足跡を調べている李文雄さん(67)は「常に弱い人に
寄り添う正義の人だった。日本人、台湾人を問わず、多くの人にこの史実を知ってほしい」と話
す。
【ワードBOX】2・28事件と「正義と勇気の日」
1947年2月28日、中国から台湾に渡ってきた国民党政権に抗議する群衆に対し、警備兵が機銃掃
射し数十人が死傷、台湾全土に騒乱が拡大した。政府はいったん話し合いで解決する姿勢を見せた
が、3月8日に中国から援軍が到着すると鎮圧を開始。教育者や医師、弁護士など多くの知識人層を
逮捕、処刑した。92年の台湾政府の報告書によると死者・行方不明者は1万8千〜2万8千人とされ
る。
台南市は98年、坂井徳章が処刑された公園の名称を「湯徳章紀念公園」とし銅像を建立。2014
年、命日の3月13日を「正義と勇気の日」に定めた。