東京国際大学教授・村井友秀
2016.2.17 産経新聞
村井友秀・東京国際大学教授
世界の軍事バランスを見ると、軍事力の分野では米国は他国を圧倒する唯一の超大国である。特に海上では質と量において米海軍に対抗できる海軍は存在しない。ただし、太平洋、大西洋やインド洋などの「遠海」では米海軍の力は圧倒的であるが、東シナ海、南シナ海や地中海などの「近海」では沿岸国の影響力を無視することはできない。すなわち、米海軍が東シナ海、南シナ海や地中海を支配することができれば、米海軍の世界支配に穴は無くなる。
南シナ海の覇権に挑む中国
今、中国は南シナ海の公海で珊瑚(さんご)礁を埋め立てて軍事施設を建設し、周辺国を威嚇して公然と米国の海洋支配に挑戦している。南シナ海における「航行の自由」は、米国にとって価値の小さい周辺的国益ではなく世界支配に不可欠な重要な戦略的国益である。米国が戦略的国益を脅かす中国の挑戦を看過することはない。
米海軍に対抗できる海軍力を持たず、北朝鮮以外に同盟国がない中国は、陸上にミサイルを展開することで東シナ海と南シナ海を支配しようとしている。陸上に配備されたミサイルが届く中国沿岸から2千キロ程度離れた海上までは中国の軍事力が影響力を持つ領域である。他方、米国は戦場に近い同盟国に米軍を展開することが可能であり、世界中の何処(どこ)でも攻撃できる空軍と海軍を保有している。
外交の基本は「棍棒(こんぼう)を持って静かに話す」(セオドア・ルーズベルト米国大統領)である。現実の外交交渉では、多くの場合、棍棒の大きさが話し合いの結果を決める。平和時においても、戦争になればどちらが勝つかという双方の認識が外交交渉の結果を決める。米中が話し合いをするとき、双方が持っている最も影響力があるカードは戦争のシナリオである。
米国と中国の戦争シナリオ
現在、中国が米軍と戦う戦略は「接近阻止・領域拒否」と言われている。中国の対米戦争シナリオは、陸上に配備し、艦艇や航空機に搭載した数百発の巡航ミサイルや弾道ミサイルによる奇襲攻撃によって日本や西太平洋に前方展開する米軍に打撃を与え、米軍の戦闘意志を挫(くじ)き、米軍が中国に接近することを阻止し、その後は戦略守勢をとるというものである。
ただし、中国の対米戦略の主要兵器である対艦弾道ミサイルの効果は未知数である。
他方、米国では現在、4つの戦争シナリオが提案されている。(1)中国本土攻撃戦略(2)海上制限戦争戦略(3)海上封鎖戦略(4)代理戦争戦略-である。
(1)は、グアムや日本の基地を分散化し強化することによって中国軍のミサイル攻撃を凌(しの)いだ後、前方展開した海軍と空軍が連携して中国本土に対する縦深攻撃を実行し、中国軍の戦闘ネットワークを破壊する戦略である。この戦略は中国沿岸に配備された中国軍の強力な防御線を突破することになり米軍の損害も大きい。しかし、本土を攻撃された中国政府は存続の危機に陥るであろう。中国政府を屈服させるハイリスク・ハイリターンの戦略である。
(2)は、中国本土を攻撃せず、戦闘を東シナ海と南シナ海に限定して、中国海軍の主要戦闘艦や潜水艦を撃沈し中国海軍に大損害を与える戦略である。この戦略では米軍は中国沿岸の中国軍の防御線を越えず、米軍が有利な海での戦闘に限定し米軍の損害は小さい。同時に中国政府に対する打撃も(1)よりは小さく、中国政府が敗北ではないと主張できる余地も残っている。中国政府を最後まで追い詰めずに妥協点を探る戦略である。
(3)は米軍は攻勢作戦をとらずに日本とフィリピンを結ぶ第一列島線の防御に徹して中国海軍を東シナ海と南シナ海に封じ込め、中国軍の戦闘能力が届かない太平洋やインド洋で輸送船を攻撃し、中国のシーレーンを切断して対外貿易に依存する現在の中国を経済的に締め上げ、中国政府に政策変更を迫る戦略である。
(4)は、(1)と(2)の戦略を米軍ではなく、地域の同盟国に代行させ、米軍は後方支援にまわる戦略である。この戦略は最もローリスク・ローリターンである。ただし米国のゲーツ国防長官は、2008年の国際安全保障会議で「ある同盟国が贅沢(ぜいたく)にも安全な民生活動だけを選び、そのせいで他の同盟国は必要以上に戦闘と死の負担を強いられている」と発言しており、同盟国の反発を招く可能性がある。
紛争解決のための抑止力
古代中国では「相手を圧倒する軍事力を誇示することによって、相手の戦意を喪失させ、戦わずして勝つ」(孫子兵法)ことが最高の戦略であると言われた。現在でも多くの国は、軍事力を実際以上に大きく見せて相手を威嚇し、戦争を抑止しようとしている。
国連の平和維持活動(PKO)も、紛争当事者よりも強力な軍事力を展開することによって戦闘を抑止し紛争を解決しようとするものである。安全保障環境が悪化している日本が外交に説得力を持たせるためには、外交における軍事力の役割を世界の常識に沿って再考する必要がある。(むらい ともひで)