【産経正論】馬総統の「危うい」対中首脳外交

【産経正論】馬総統の「危うい」対中首脳外交

産経新聞 2015.11.13

          拓殖大学総長・渡辺利夫

 来年5月に退任する馬英九総統の性急な要請に習近平国家主席が応じて、後者に有利な形で終始したのが今回の中台首脳会談だった-。これが私の見立てである。

 ≪「幻の合意」を利用する中国≫

 馬氏が依拠したものは「92年コンセンサス」である。これは、台湾側窓口機関「海峡交流基金会」と中国側窓口機関「海峡両岸関係協会」の双方が、1992年の香港での協議において口頭で交わした合意であり、台湾・行政院大陸委員会の蘇起主任委員(当時)により「九二共識」として2000年に公表されたものである。

 台湾側はこの合意の内容を「双方が『一つの中国』を堅持するものの、その解釈は各自異なることを認める」(「一中各表」)ものだとし、中国側は「双方が『一つの中国』を堅持する」(「一中」)としており、中台の思惑には大きな懸隔がある。

 台湾においては、国民党が「一中各表」原則に立つ一方、民進党はそのような合意は存在しないと主張する。実際、当時の総統、李登輝氏はかかる合意がなされたとの報告は受けていないといい、香港協議に出席した当時の海峡交流基金会理事長の辜振甫氏自身が合意の存在を認めていない。蘇起主任委員の発言の趣旨は果たしてどこにあったのか。

 台湾統一工作の場を求める中国側はこの「幻の合意」を利用して中台交流を正当化してきたのだが、中国が「一中各表」を認めて「一中」原則を放棄することなどありえない。ただコンセンサスがあったふうに装って行動してきたというにすぎない。

 台湾統一は中国共産党の悲願であり、台湾は中国の「核心的利益」であり、「中華民族の偉大なる復興」を証す政治的結実でなければならない。首脳会談後に開かれた中国の台湾事務弁公室の張志軍主任の記者会見によれば、習氏は「大陸と台湾は『一つの中国』に属する。双方は国と国との関係ではない。主権と領土の分裂はない」と明言したという。

 ≪会談のペース握った習主席≫

 台湾の総統の面前でこう確言することにより、習氏は将来の台湾統一を自らの主導の下で実現するという意志を内外に顕示したのであろう。さらに習氏は「『台湾独立反対』を政治的土台とする」と主張して馬氏を牽制(けんせい)したのだが、これは馬氏に対してというよりは、次期の総統となる可能性が高い野党・民進党の蔡英文主席に対してのものだったとみていい。

 台湾統一を念頭においてのことであろう、「『中華民族の偉大なる復興』を双方で実現しようではないか」と習氏が呼すれば、馬氏は「中華民族のために平和で輝く未来を開きたい」と応じる。ペースは明らかに習氏の手に握られていたのである。

 習氏とて空手で臨んだのではない。馬氏が「東アジア地域包括的経済連携」(RCEP)交渉への参加の意向を訴えれば習氏はこれに前向きの姿勢を示しはした。しかし、習氏はそれと引き換えに中国主導の「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)と「一帯一路」建設への台湾加盟を歓迎する旨を表明した。

 馬氏は台湾に向けて中国が配備するミサイル撤去を求めた。しかし習氏は「台湾住民に向けられたものではない」とそっけなく答えただけだという。台湾も領有権を主張する南沙諸島を擁する南シナ海問題については、馬氏はこれを協議のテーマに取り上げることさえせず、中台首脳会談に寄せる周辺諸国のせめてもの期待に応えることもできなかった。

 ≪台湾住民に流動するマグマ≫

 かくして中台首脳会談は台湾をほとんど利することなく終わった。だが、中国が味を占めて「現状維持」を求める台湾住民の民意の在りかを見誤れば、これが禍根へと転じて、代償を支払わせられるのが習氏となりうるところに中台問題の難しさがある。

 昨年3月、「両岸サービス貿易協定」に反対する大学生が大挙して立法院(国会)を24日間にわたり占拠したという事実は記憶に新しい。同協定が成立してしまえば台湾の中国依存が一段と深まり、政治的にも中国にのみ込まれてしまいかねないという恐怖にも似た感覚が、「ひまわり学生運動」によって台湾住民の中に鮮やかに呼び覚まされたのである。

 中国へと一方的に傾斜していく台湾の現状に対する大きなアンチフィーリングのエネルギーが、次代を担う台湾住民の中にマグマのように流動していることを中国は認識しておいた方がいい。ひまわり学生運動に対する台湾住民の広範な支持は、中国指導部をして台湾の民意を斟酌(しんしゃく)しない台湾統一工作など至難なことだと認識されねばならない。

 習氏はさしたる譲歩をみせることなく台湾首脳との「歴史的」会談を実現することに成功した。だが、これが中台統一の一里塚となるかどうかは、次代の執権政党となる可能性が高い、「台湾独立」を掲げる民進党と、いかに寛容に対話できるかにかかっているといわなければなるまい。(わたなべ としお)


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